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3ヶ月間、子宮全摘出するかどうか考えてみた2 ~デメリット編~

次の受診までの3ヶ月間、本当に子宮を取ってしまいたいか、それとも別の方法をとるか。
人生をかけた決断を迫られることとなる。

とはいえ、心の中ではもうほとんど気持ちが固まっていた。
全摘出する方向で。
次の受診までに考えるのは、結論ではなくむしろ、その“理由”だった。
非常識な決断に合理性を与えなければならない。

極端な言い方をすれば、

「子宮を摘出するメリットが、デメリットを上回った。」

シンプルにそれだけのこと。

子宮全摘出のデメリット 1

子どもを産むことができない。
当たり前だが、これが一番大きい。
自分の股から産まれた子を抱けない。
孫の顔を親に見せてあげられない。
老後を支えてくれる人がいなくなる。
…しかし、子どもを産むということが、あまりに利己的になっていないか。
自分にとっても、家族にとっても、世間にとっても。
今の母を見ていると、祖母が介護要員として女児である母を手元に置いてきたようにも見える。
仮に私が子どもを産んだら、そういう風に使役したくないと思っていた。
また、父を見ていると、悔しく恥ずかしいことだが、自分が彼と似ていると感じる部分がいくつもある。
憎悪と軽蔑の対象である父の呪われた血が、この私にも流れている。
この耐え難い呪いの円環を、私で終わらせなればならない。
母についてもそうだ。
嫌な部分が似ていると思うことが多々ある。
つまり、私は血のつながりというものを極端に怖がっている。
自分の中にある、人間としての嫌な部分を子どもに引き継がせて良いのか。
背負わされた子どもはどんな思いで生きていくのか。
その悲劇を未然に防いだ、その点において評価されたい。
俺が末代だ。

子宮全摘出のデメリット 2

少子化に加担する選択をすること。
ともすれば非国民と誹られる恐れがある。
出生数が年々減少傾向にあるというニュースは、私ももちろん耳にしている。
「自分だけがつらいからといって少子化に加担するのか?」
「芸能人でもアスリートでも人間国宝でも何でもない一介の事務員の女のお前から、子どもを産む機能を取ったところで何が残る?」
こんな思いを、口にはしなくてもみんな思っているのではないかと怖くなる。
仮に、主治医が提案するように、腹腔鏡下手術で筋腫核だけ摘出できたとする。
だが、無事に懐胎したとしても、子宮破裂を恐れて帝王切開する可能性が非常に高いという。
おそろしいですね。
何度もお腹を切りたくないというのが正直なところだが、大きなリスクを伴うものは可能な限り避けたい。
石橋を叩いて渡って生きてきた私には、そんな低確率ガチャに割くエネルギーはない。

しかし、少し小さな規模で、功利主義的に考えてみよう。
子宮がある私はいつも、いらいら、そわそわ、ぐったり、など落ち着かない様子で日常生活を営む。
仕事では凡ミス連発、突発的有給取得、上司に噛みつくなどの非行が目立ち、効率も上がらない。
家でもいらいら、家族と衝突しメシも不味い。
その元凶である子宮を取り除き、様々な病気への不安も払拭された私は、おそらく元気満々。
職場では能率・業績アップ、家庭円満、趣味充実。
進研ゼミ並みに何もかもうまくいくような気がする(気がする)。
自分も周囲も明るく楽しく平和になれる。
私は人類の繁栄や国家経済の安定には貢献できないけれど、ミクロ圏で平和な環境を構築することならできるのではないかと思う。

子宮全摘出のデメリット 3

もうないかな。
人によっては、上記のメリットをいくつ積んでも、「子どもを産めない」という1つのデメリットがすべてを打ち消してしまうこともあるだろう。
以前にも記したように、私は幼いころから、結婚し出産し主婦となって年老いていくことに高い価値を見出せなかった。
研究者志望だった大学時代は、「子どもを産むより、そのぶんだけ本を書いて出したい」などと吹いてまわっていた。
今思えば恥ずかしい言葉だが、母親になることよりも、自らの頭脳によって業績を残し評価されたいと考えている。
(妊娠することを一概に低能の所業と断定しているわけではない。)
大学のゼミ同期で非常に優秀な女の子がいたが、大学院前期課程修了後にあっさり結婚し、2児を出産した後はすっかり研究から退いてしまった。
彼女から近況を聞いたとき、出産とは優れた才能を殺ぐ現象で、育児とは人材を埋没させる悪しき制度なのではないかと思った。
本人の幸福度は別として。

子宮に対して、良い印象をもっていない、それに尽きる。
これらのメリット、デメリットをマイルドにまとめて、次回先生に伝えようと思う。
先生は、やっぱりがっかりするかな。

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