ダ・ヴィンチ子宮全摘出手術5 手術室入り
ダ・ヴィンチという手術支援ロボットを使って、子宮全摘出手術を受ける。
34歳の5月半ばのこと。
手術室の前で
銀色の自動ドアをくぐると、そこは長椅子が置かれちょっとしたロビーのようになっていた。
さらに奥にいくつもの手術室のドアが並んでいる。
ロビーにはすでに数人の手術室付き看護師さんが待っていた。
「あらー!どうしたのー!」
入るなり泣き顔の私に気づいて、手を握ってくれる。
「ちょっと緊張されているみたいで…」
病棟看護師さんがフォローしてくれる。
「だいじょうぶ!心配することないですからね!」
マスク越しに笑いかけてくれるのが頼もしい。
壁際の長椅子に座るよう促される。
「一回鼻かむ?ティッシュいる?」
まだぐすぐすしている私を見かねて、ティッシュとゴミ箱を差し出してくれた。
勢いよく鼻水を出すと、目と頭が少しすっきりした。
目を拭うのに邪魔なので、もう眼鏡を外してしまった。
「まず、手首のバーコード失礼しまーす」
リストバンドのバーコードが読み取られる。
「確認ですが、お名前と生年月日を教えてください」
フルネームと生年月日を伝えた。
「それでは、練りものさん。今日は何の手術をすると聞いていますか?」
「…支援ロボットを使って、腹腔鏡で子宮と両方の卵管を取る手術と聞いています」
「そうですね。手術室に入る前に、まず帽子かぶってもらいますね」
不織布製の帽子で頭を包まれる。
「練りものさん、終わったら迎えに来ますからね。安心してください」
優しい声の病棟看護師さんに一礼し見送る。
また恥ずかしさがぶり返してくる。
看護師さんたちのお顔をちゃんと見られない。
「では、手術室に入ります。今日はこちらです」
前室から一番近い、おそらく一番広い手術室。
手術室に入ってから準備
自動ドアをくぐって入った手術室は、やはり広かった。
それに、やけに人が多い。
ダ・ヴィンチ操作の補助の人がつくと主治医は言っていたけれど、こんなにいるもんなの?
補助も一人やそこらではないだろうし、ダ・ヴィンチ手術はまだ珍しいから院内で見学とかもするのかな。
ところでダ・ヴィンチの機械はどこにあるんだろう?
もう眼鏡を外してしまって裸眼なので、どれが何だかよくわからない。
ベッドの真上に、いわゆる手術室の照明みたいのはなんとなくわかる。
「まず、パジャマの上を脱いで、ベッドに仰向けになっていただきます」
紐を解いて脱いでいくと、前を開けたタイミングで看護師さんが素早くタオルをかけてくれる。
タオルはよく乾いていてほんのり温かく感じる。
「身体が冷えたら良くないので、電気毛布もかけていきますねー」
胸あたりまで電気毛布をかけられ、じんわりと熱が広がっていく。
「麻酔医の◯◯です」
左耳のすぐそばで、女性の声がした。
「よろしくお願いします」
すぐに真横を向けなくて、麻酔医の先生の顔をちゃんと見られなかった。
若くて小柄な女性だ。
あまり冗談とか言わなさそうな感じかもしれない。
「左手から点滴入れていきますね」
左の手の甲に点滴の針が刺さる。
前の手術のときは左の下腕だったなあ、今回は手の甲か。
「血の中の酸素を測る機械をつけていきます」
どっちの手か忘れたが、パルスオキシメーターが人差し指の先を挟む。
「麻酔の効き具合をみるために脳波のセンサーをおでこにつけていきますね。マジックテープのような素材なので、ちょっとギザギザして痛いかもしれません」
眉間と左のこめかみに、マジックテープの硬いほうが擦り込まれるように貼られる。
人体にマジックテープを当てるなんて経験、普段ないもんな。
こんなもので脳波がとれるのだろうか。
「次、心電図のセンサーもつけますねー」
胸のまわりに吸盤のようにぺたぺたと貼り付けられていく。
このあたりはもうされるがまま。
手術室の中でもルーティン化されている工程のはずだ。
この間、また涙が急に溢れ出してきた。
それもなぜか右目からだけ。
「どうしたの〜急に込み上げてきちゃった?」
本当に、何が悲しいのか全然わからない。
手術自体への不安なんてとっくの前に克服しているのに。
そのわからなさがますます不安を増大させて、ますます泣く。
周りの方には基本的に敬語で接するのがモットーの私も、このときばかりはつい、「うん、うん」と首を振るだけになってしまった。
看護師さんが右目から溢れ続ける涙をティッシュで拭ってくれる。
それが嬉しくてまた泣けた。
「あ、先生来ましたよー」
私の右側、腰の脇あたりから私のほうを見る人物がいる。
裸眼だからよく見えない。
「あらー緊張してるねー」
声とシルエットがいつもの主治医だ。
「よろしくお願いします」
こんな寝ながらで失礼します。
しかも先生にまで泣き顔を見られてクソ恥ずかしい。
深呼吸をすると、涙が少し引っ込んだ。
「練りものさん、あれ見えますか?あれがダ・ヴィンチですよー」
主治医が、私の足のほうを指差す。
白か灰色で一部が銀色の、人の背丈くらいの機械があるようだ。
何度も言うが、裸眼だからほとんど見えない。
「私はこっちのコンソールで操作してますからね」
私の枕元の右側、こちらにも灰色っぽい機器がある。
細部はわからないが、とりあえず何かしらの機械が用意されていることはわかった。
私は今から、あれに蹂躙されるのか…。
麻酔
“麻酔なんて、始まったらいちにのさんですぐ寝ちゃうよ”と、手術経験のある家族や知人から聞かされていた。
私もそうなるのかとドキドキわくわくしていた。
「点滴から、麻酔のお薬を入れていきますね」
いよいよか。
「点滴の入るところがちょっとぴりぴり感じるかもしれません」
麻酔医の先生の声がする。
その言葉のとおり、左手の点滴がぴりぴり、ひんやり、不思議な感じだ。
こんなもので本当に眠くなるのだろうか。
口の前に酸素マスクがかざされる。
「もうすぐ眠くなりますからねー」
マスクを持つ看護師さんがた数人が私を見下ろしている。
いちにのさん、なんてみんな言うけれど、眠るまでが妙に長くないか?
「もうすぐですよー」
手のぴりぴりが始まってから20〜30秒は意識を保っていたように感じる。
頭は妙に明晰かつ冷静。
全然眠気こないなー遅いなー、なんて脳内で思う。
いや、これはもしかして走馬灯体験と同じで、アドレナリンにより周囲が遅く感じられるだけなのか?
「すぐ寝ちゃいますからねー」
何回も言われる。気がする。
往生際が悪くて気まずい。
早く寝ちゃいたいけどまだ眠れない。
一昨日までビール飲んだせいで、麻酔の効きが悪くなってたりして。
なーんて。
記憶があるのは、ここまで。
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