村上春樹文学に触れて
初めに 村上春樹と小説家の私
恥ずかしながらに私も小説家志望端くれだ。しかしながらきっと同じ年代の小説家、小説家志望や本好きの人間に比べると、遥かに触れてきた活字の量も文学に於ける教養も少ないだろう。
私も、物書きとしての自分の弱点だと自覚している。私は自分の文学的センスには自信があるが、先ほども述べた通り、私は活字のプロに比べたら圧倒的に知識、教養も足りていない。自分に対する自信から、学ぶことを怠ってきた。そこで、日本の代表的作家である村上春樹先生から「小説」を学ぶことにした。
「読者」として「文章を書く者」として作品に向き合っていく。
「風の歌を聴け」
今回、私が読んだ作品は村上春樹の「風の歌を聴け」である。この作品は群像新人賞受賞のデビュー作であり、映画化までされている。堂々の名作だ。友人に勧められることがなければ、この作品に出会うのはだいぶ先か、もしかしたら出会うことも無かったのかもしれない。この一冊は私に大きな衝撃をもたらしたと同時に、小説家としての大きな刺激となる。
序:最初の7ページから受け取る「村上春樹文学の主人公」
まず、私が最初に衝撃を受けたのは最初の7pである。この作品では、最初の触りとして主人公の語りがある。
「風の歌を聴け」は29歳になった主人公の語りから始まる。当時の村上春樹は29歳である。私はこの作品に村上春樹の自己投影を感じた。村上春樹自信の考え、価値観を主人公の語りを通して作品にしているのではないだろうか。
この一文に、私は数分ほど心を奪われていた気がする。これは「文章を書く者」が、小説の8ページ目にして、まるで一冊読み終えたかのように、読んだ後の余韻に囚われてしまう。
精神的に落胆しているような時期に自分の辛い感情を文章に投影する。これをまるで自己療養かのようにその都度行う。この本質は自己療養として自分をよくするものではなく、自己のメンタルを保つための一種の逃避であり、これを自己療養として錯覚しているのではないだろうか。これを私は自傷行為の一種と考える。安らぎではなく、負の感情をそのまま作品にぶつけているに過ぎない。
話が逸れてしまったので戻そう。この辺はいつか、別の場にて自分の考えを述べる事にする。私は村上春樹のこういった文章が大の好みだ。私は今回、この一文について掘り下げた。これが私の手記なら、序だけで一万字を超えるだろう。それくらい、私にとって「風の歌を聴け」の最初の語りは衝撃であり、有意義であった。
まだまだ語りたりないが、埒が開かないのでこれで序を閉めよう。
破:村上春樹の文章。何が我々を惹きつけるのか。
続いてだ。小説の一番大きいな部分、文章について語っていこう。村上春樹の書く文章、何が我々を惹きつ受けるのだろうか。私がこの作品を読み終えた時に感じたの
は、まず何よりも読みやすい。活字がスッと入ってくる。驚くほどに。
しかしここでひとつ、理解が追いつかない。テンポよく進む物語、洒落た表現、難しい言葉の羅列。何度ページを前のページに手繰ったことか。
自分なりに、彼を、彼の書く文章を考察してみることにした。
まず、この作品に、ごく簡単に感想をつけるのなら「洒落ている」だろう。夏、ジェイズバー、ビールに相棒の男。呼び名は「鼠」
知らない家で目が覚める。隣には名前も覚えていない女が裸で寝ている。よく見ると指は4本しかない。この物語は最初から最後までとにかく洒落ている。読んだ人ならこの言葉の意味がわかるだろう。
これは私の友人も言っていたが、彼の小説には比喩がとても多い。且つ無駄がないように感じる。だがそれ故に難しい。彼の文を一目見てお洒落だと感じる。私の好みだからか、情景を想像するのも捗る。しかし、彼の小説を理解するの実に難解だ。
先ほどから狂ったように「洒落」という言葉を連呼しているが、何度も同じ言葉を使うのはあまりよくない気がする。しかし、あまりにもこの言葉が彼の文章に似合う。
彼の物語は、我々の心を動かす。何度も、彼の文に心をくすぐられた。しかし、我々に何かを伝えたい、知って欲しいというのを感じない。我々が理解するには、理解に必要な情報があまりにも少ない。
彼の文の一つ一つは、我々が心惹かれるパズルのピースであり、それらは実に数が多い。尚且つ変わった形をしている。故に、物語という一つの作品の全体像を見渡すのは我々には難しいのだ。真髄はパズルの作者である村上春樹本人にしかわからない。
急:私と村上春樹
最後は簡潔に済まそう。もっと簡単な記事にするつもりが、気づけば二千字を超えていた。これも、私の物書きとしての課題なのかもしれない。
今回、私がこの作品を通して得たものは、村上春樹という人物への興味と、小説家としての尊敬の気持ちだ。友人の勧めでなんとなく手に取ったこの一冊だが、開いてみれば小説の奥深さ、村上春樹文学の面白さを教えてくれる教科書だった。いてもたってもいられず、この記事を書くに至ったわけだ。
このように村上春樹のことを長々と語ったわけだが、私はまだ彼の作品を一冊しか読んでいない。まだ序の口であり、彼のことを何も知らない。初めて読んだ感想として当文を書いたわけだが、これから「私の知る村上春樹」はどのように変化してゆくのか、しみでならない。また私が村上春樹にもっと触れ、得たもの、感じたものを今回のように形にしていきたいと思う。
最後に私の好きな村上春樹の言葉を添えて終わりにしたいと思う。