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[六本木パープルレイン:シーズン2]

★エピソード7「Stock Brokers」
「バー:パープルレイン」の客層は40%が外国人。日本人は60%ほどだった。外国人と言っても様々だが、観光客は少ない。
一番多いのはアメリカ人やイギリス人で、日本で仕事をしている人たちだ。日本人女性と結婚している男性も少なくない。
そのような客は日本のこともわかっておりマナーも良く、問題を起こすこともほとんどなかったが、ビリーが案じている集団がいくつかあった。
まず、ひとつは軍人、中でも海兵隊だ。
先日も10人ほどの団体でやって来て、ビールをガブ飲みして大騒ぎ。飲み方もスゴいが、とにかく声がデカい。
幸い、早い時間帯だったので他の客は少なくトラブルもなかったが、一番階級が上の軍曹が事あるごとに「お前!PushUps(腕立て伏せ)50回」とか部下に命じるのだ。
命じられた方は店の床に這いつくばって腕立て伏せ50回、「One!Two!…」と大声で数えながらやる。
傍から見れば面白いかもしれないが、店をやっている身からすればヒヤヒヤものだった。いつ仲間同士でケンカが始まるかも知れない不安もあったし、他の客に絡んだりしたら、それこそ警察沙汰になりかねない。
「悪いね、騒がしくて。でも俺たちは日本を守ってるんだ。たまにはハメを外させてくれよ」
軍曹を名乗る金髪を刈り上げた大男は南部訛りの英語でそう言った。
(ほお!「日本を守っている」と教わっているんだ)
ビリーは彼の考えには少々異論があったが、黙って礼を言った。

しかし何と言っても恐ろしいのは「株屋(Stock Brokers)」の集団である。
店から溜池の方に下ったところにある六本木:アークヒルズは外資系の株屋軍団の巣窟だった。彼らはガラの悪さでは海兵隊に引けを取らない。
株で儲かった時の彼らは全く問題ない。金払いも良いし、騒いでも上機嫌なので他の客とのトラブルもなかった。
しかし、損した時のヤケ酒は最悪だった。
あの日もそんな日だったのだろう。
5~6人で訪れた彼らは最初から荒れていた。
「Fuck!」だの「Shit!」だのを連発し、ふざけてダーツで遊んでいる内はまだ良かった。その内の一人、背の高い面長の男…確かカイルと呼ばれていた…が、店の椅子を手に取りメリメリと壊し始めたのだ。
止めようと思ったが、あっという間に背もたれが外れてしまった。
ビリーがすぐに店から退出するように言うと、カイルはクレジットカードを取り出し
「すまない。少し飲み過ぎたようだ」

と言って支払いを済ませ帰って行った。
しかし、ビリーの怒りは収まらなかった。彼らの傍若無人な振る舞いは、たとえ飲み代をキッチリ払ったからと言って許されるものではない。
翌日、彼らの会社の住所を探り出し、クレジットカードの控えにある名前宛に文書を送った。
そこには英語でこう書かれてあった。
「先日、六本木のバー:Purple Rainで起こした器物破損事件について六本木警察署の担当刑事が事情聴取に伺いますので、対応をお願いします」と。
その二日後、店の開店直後だった。先日椅子を壊したカイルが焦った様子でやって来た。
「椅子代は弁償するから、警察と話を付けてくれ」と。
「いいですよ。警察には話しておきます。それでは椅子代4万円、お願いします」
「え?4万円!ずいぶん高い椅子だな」
「はい、ロンドンから輸入したアンティークなんで」
「わかった…払うよ。これで全て帳消しだな」
「はい、警察には電話しておきます」
実は椅子の値段は1万2千円。アンティークの模造品だった。さらに、壊れた椅子もビリーは自分で釘を打って直してしまった。もちろん警察沙汰になど最初からなっていない。
「さて、4万円浮いたぞ。どうするかな…」
あの時は店のスタッフ達もイヤな思いをしたから、みんなでパーッと飲みに行くか。
というわけで、その日の夜、ビリーはスタッフ4人を連れて焼肉屋で慰労会を催したのだった。
「株屋の分際で…六本木のバーを舐めんなよ」そんな気分だった。

★エピソード8 「Hashish」
ビリーの店は時々パーティーで貸切になった。主に結婚式の二次会やクラス会、時には自己啓発セミナーや宗教団体などもあったが、基本的にビリーは相手が誰であれ「お金さえ払ってくれれば」断らない方針だった。
しかし、あのパーティーだけは断るべきだった。それはサーファー達の忘年会だった。
最初の内はサーフィンのビデオなどを流しながらおとなしく飲んでいたのだが、次第に雰囲気が変になって来た。
明らかに「ブッ飛んでいる」状態の者が増えて来たのだ。ビリーは「ハイ」になっている者はすぐにわかった。
口元が緩みヘラヘラと笑い、目が赤く充血しているのだ。
(トイレでハッパやってるのがいるな…)
ビリーの店は男女共用のトイレがひとつしかない。トイレの前には3、4人の男たちが並んでいた。
ドアが開いたのでビリーはサッと前に出て「ちょっと失礼。トイぺを取り替えますから」と中に入った。
案の定、トイレの中はモウモウと煙が立ち込め…タバコではない…大麻の匂いだ。ビリーは換気扇を「強」にするとトイレから出て幹事の男をつかまえるなり言った。
「幹事さん、困るよ。トイレでハッパ吸ってる人がいるみたいだから注意してよ」
その髪を肩まで伸ばして髭を生やした幹事はあまり驚いた様子もなくこう言った。
「すいません。お店に迷惑かけて。すぐにやめさせますから」
他の店だったら警察に通報していたかも知れないが、ビリーはそんなことをする気はなかった。内心では「ハッパくらいいいじゃないか」と思っていたし、せっかく楽しんでいるサーファーたちに冷や水を浴びせるつもりはなかった。
程なくしてパーティーは終わり、片づけている時、バーテンのキヨシが言った。
「あいつら、ヤバいっすね。ハッパの匂いがプンプンする」と。
やはり匂いはトイレの外まで漏れていたのだ。

ビリーの自宅が家宅捜査を受けたのはそれから約二週間後だった。4人のマトリ(麻薬取締官)はキッチン、寝室、居間、トイレ、あらゆる場所を引っかき回した。
「何も持ってませんよ」と言っているのにしつこく探し回る。
すると若いマトリが大声で叫んだ。
「あった!ありました!」
(え!まさか、そんなはずは…)
ビリーはその男の白い手袋の上にある茶色の塊を見た。
「これはハッシだな?」
ハッシとはハッシッシの略で大麻樹脂を固めた粘土のようなものだ。
「いや、そんなものがウチにあるはずないですよ」と言いながらビリーはとんでもない事に気付いた。あの塊は飼っている猫:チンチラの雄「ラージャ」のトイレから転がり出たウンコらしいと。
しかし…しかし、それを言うと彼らはさらに証拠を見つけようと家中を引っ掻き回すだろう。ビリーは主任らしい中年のマトリに尋ねた。
「どうしてウチに来たんですか?誰かがそう言ったんですか?」
「ん?この前、お宅の店でパーティーがあったろ?六本木の。あの時、店でハッパを買ったと言う男がいたんだよ」
「え?まさか、ウチの店がそんなものを売ったと?」
「いや、詳しいことは署で聞くから」
すると先ほどの若いマトリが戻って来た。
「課長、反応が出ません」
先ほどの猫のウンコの入った試験管を手に持っている。試験管を激しく振ったせいかウンコは半分溶けて茶褐色の液体となっている。
課長は苦々しい表情で左の掌を右手の拳骨で叩いた。額に青筋が立っている。そして押し殺したような声でこう言った。
「よし、撤収だ!」
4人のマトリは道具を片づけるとそそくさと出て行った。
かき回した戸棚や散らかしたキッチン道具はそのままだ。「失礼しました」とも言わずに去って行った。
「一体、どんなガセネタだよ」
ビリーは散らかった部屋を見て溜息をついた。
「ウルル」
ラージャが足元に身体を擦り付けて来た。
「良かったね。お前のウンコ、問題ないってさ」

★エピソード9「Fight」
飲み屋をやっていればケンカは付きモノだ。しかし、Bar[Purple Rain]ではオーナーのビリーの温厚な人柄もあり、ケンカらしいケンカはほとんどなかった。
しかし、ある時、それは予期しない形で起こった。
6人のグループ客だった。男4人女2人。初めて見る顔ぶれだが、ある常連の紹介という事で席に案内した。どうやら音楽関係者のようだ。
日頃から音楽関係の客は多かった。レコード会社、プロダクション、プロモーターなどなど。
中には新譜のプロモーション・ビデオやサンプル盤を持って来てくれる客もいて、ビリーとしては大歓迎だった。
その6人組のグループは何かいいことがあったのか、テキーラを1本、ボトルで注文し、ショット・グラスでゴンゴン飲み始めた。
「あれれ…ちょっとヤバいペースだな。吐いたりしなければいいが…」
ビリーは彼らの飲むペースが異常に早いので不安を感じていた。
案の定、彼らは悪酔いしたのか、傍らでダーツに興じている客に絡み始めた。
「男同士でダーツなんかやって、女にモテないのか」とか
「ダサいな~、真ん中に当ててみろよ」とか。
ダーツを知っている者なら常識だが、ダーツは矢を真ん中に当てれば良いというものではない。狙った数字に当てて点数を競うゲームで、縁日の射的とは違うのだ。
ダーツに興じている4、5人の男たちは、それでも彼らにかまわず黙々とゲームを続けていた。多分、飲み代を賭けているのだろう。
ダーツ・プレイヤーたちはここの常連客だし、何よりも店でトラブルを起こしたくない気持ちが強かったはずだ。
その日は金曜日という事もあり店は満員だった。ビリーも彼らのことは気にしつつも、忙しく立ち働いていた。
すると、ダーツをやっていた内の一人が、ビリーのところにやって来て言った。
「ちょっとマズいことになってるんだけど」と。
いつもダーツをやりに来ている小宮という40代のサラリーマンだった。
ビリーがダーツボードの所に行くと、6人組の一人…小太りの浅黒い肌の男と、ダーツをやっていた痩せ型の…確か手塚とか言うサラリーマンの男が睨みあっている。
話を聞けば、手塚がダーツを投げている時にこの小太りの男がヤジったらしい。
ダーツを真剣にやっている者にとっては、集中力を乱される行為は最悪なのだ。
ビリーは小太りの男に言った。
「お客さん、だいぶ酔っていらっしゃるようですから、今日はお帰りになってはいかがですか?」
なるべく丁寧に言ったつもりだったが、この酔っ払い男は絡んで来た。
「なに~?帰れって?お前、生意気だな。ああ?客に向かって帰れって?」
「いや、これ以上トラブルになると困るんですよ。今、お会計しますから、お待ちください」
「なに~?トラブル?誰が?お前、生意気なんだよ」
その男はビリーのシャツの胸元を掴んだ。
「ちょっと…やめてください」とビリーが身を引くとシャツが破ける音がした。
「ビリビリ!」
その瞬間だった。ビリーはその男の顔にパンチを食らわせたのだ。
何も考えない…本能的な動きだった。
「なんだ!この野郎!表に出ろ!」
その男が言うと、他の仲間も立ち上がった。
するとダーツをやっていた4人も口々に叫んだ。
「やっちゃえ!」
一緒にいた女の子が「やめて~!」と言うのが聞こえたが、男たちは聞かない。
路上に出ると殴り合いが始まった。
「殴り合う」と言ってもドラマの様には行かない。
「酔っ払い組」はフラついているし「ダーツ組」もケンカは素人だ。
ビリーも先ほどの小太り男と取っ組み合っていると、後ろから思い切り尻を蹴られた。
10分もしない内にパトカーが到着した。
みんな口々に自分は悪くない…などと言うが4人の警官は容赦しない。
「話は署で聞くから、とにかく車に乗りなさい」と片っ端から引っ張って行く。
ビリーは一切逆らわずにパトカーに乗った。冷静に説明すれば警察はわかってくれると信じていた。
取り調べ室は警察の二階にあった。真ん中に置かれた小さな机と椅子が二脚。六畳ほどの部屋が広く見える。
警官は椅子に座って待つように言うと出て行った。
しかし、事情を話したにしても、最初に手を出したのは自分なのだ。やはりただでは済まないだろう。ビリーは次第に不安が込み上げて来た。
急にドアが開き中年の刑事が入って来た。白髪交じりの髪を刈り上げ若干ヤクザ風に見えるが表情は険しくはなかった。
「それでは調書を取ります。まず何があったのか順を追って話してください」
ビリーは彼らが他の客に絡んで、迷惑をかけそうだったので帰ってもらおうと頼んだら胸ぐらを掴まれた話をした。
何も嘘は言っていない。
すると刑事は言った。
「相手の話によると先に手を出したのは『マスターだ』と言ってるけど、どうなんだね?」
「いや、胸ぐらを掴まれたので『やめてください』と手を払ったら顔に触ったかも知れません」
「顔に触った…ねぇ。それにしちゃ相手の顔が腫れているしねぇ…」
刑事はボールペンでトントンと机を叩いた。
その時だった。隣の部屋から喚き声が聞こえて来たのだ。
「なんで俺が連れて来られなきゃならないんだよ!」
そしで椅子だかテーブルだかがひっくり返るようなけたたましい音がした。
ビリーの前に座っていた刑事は慌てて席を立って出て行った。
隣の部屋からは、さっきの酔っ払い客の一人が怒鳴る声と刑事たちがなだめる声が聞こえて来た。
「自分は悪くない」と言いたいらしいが、あんな態度を取ったら却って立場が悪くなるのがわからないのだろうか。恐らく泥酔してまともな判断力が無くなっているに違いない。
その時、ドアが開いて先ほどの刑事が入って来るなりこう告げた。
「ああ…マスター、もう君は帰っていいよ。気を付けて」
「え?あっ…どうも。失礼します」
信じられない!無罪放免だった。バカな酔っ払いが墓穴を掘ってくれたおかげだ。
ビリーは足取りも軽く六本木の街を抜け、店に戻って行った。

★エピソード10「Entertainers」
ビリーの店「Purple Rain」の常連客は外国人が四割くらいだったが、日本人客も音楽関係者や広告関係、芸能関係、アーティストなど、どちらかと言えば「クリエイティブ」な人たちが多かった。
また、時には、アーティストのライブの打ち上げや誕生会で貸切になることもあった。
ある時、日本のフォーク界の大御所の一人「I.S」の打ち上げがあった。彼は元々フォーク系ではあるが、いわゆる「ニュー・ミュージック」系ではなく、もっとロック寄りのワイルドなパフォーマンスが売りで、役者としても個性的な演技が評価されている…ちょっと「変わった」芸能人だった。ビリーは彼の型破りな雰囲気が好きで、店に来てくれたのも内心嬉しかった。
その日集まったのは、そのシンガー以外はレコード会社やライブの裏方たちで、どちらかと言うと「慰労会」のような雰囲気だったが、特に問題もなく予定の終了時間を迎えた。
ビリーが店の奥にあるブースでBGMを取り替えていると、急に扉が開いて、そのシンガーがびっくりしたような顔で言った。
「なんだここは!便所じゃないのか?」
見ると彼のズボンのチャックから何やら肌色の物体が見えている。
「あっ!あ~トイレは反対側ですよ。ご案内しましょうか?」
すると彼は黙ってチャックを締め一人でフラフラとトイレまで歩いて行った。
(あ~あ、変なモノ見ちゃったな…)
それでも、彼に対するビリーの印象は変わらなかった…と言うよりもますます「変なアーティスト」と言う意味で好感を持ったのだった。
しかし、ビリーは全てのロック系シンガーを評価しているわけではなかった。
特にあの「U田U也」は嫌いだった。ビリーが昔、バンドをやっていた頃、一度レコード会社の廊下ですれ違ったことがある。あの時に感じた「邪気」はまるでヤクザかチンピラのようなイヤなものだった。
そう。あの男は「ロックンローラー」と自称しているだけで「ロック魂」など皆無なのだ。そもそも歌もヘタだし、何であの男が日本のロック界で大きな顔をしているのか全く理解できなかった。
そしてある晩、彼はビリーの店に現れたのだ。しかもキックボクサーでもある「Y.R」を伴っていた。
幸いまだ早い時間だったので客は彼らだけだった。
(ん?こいつらテンパってるな)ビリーはすぐにわかった。
「テンパる」とはドラッグ…特にシャブ(覚醒剤)でハイになっている状態だ。シャブは人によっては攻撃性がむき出しになる。つまり「本性」が出るという事だ。
二人は明らかに「誰かにケンカを吹っかけてやろう」と言う雰囲気だったが、あいにく他に客はいない。
ビリーは努めて冷静に接した。相手が誰だか気付いていないフリをしたのだ。
「何にいたしましょうか?」
「ビール2本」
「バドワイザーでよろしいですか?」
「ああ…」
二人はつまらなさそうに黙って座っている。
ビリーはなるべく彼らを刺激しないBGMを選んだ。マイケル・フランクスだ。
その時、ひと組のカップルが入店した。ビリーは彼ら二人からなるべく離れた席に案内した。できるだけリスクは避けたい。
彼らはボソボソと何か話していたが、急に立ち上がって勘定を済ませると出て行った。
何の刺激もないこの店が退屈だったのだろう。ビリーはホッとすると同時に彼らが二度と来ないことを祈った。

★エピソード11 「InshAllah」
ビリーは基本的には無宗教だった…が「無神論者」ではない。「神は信じるが、いかなる宗派にも属していない」という…英語で言えば「フリーランス」ということだ。だから、客や従業員の宗教にも拘らなかったし、誘われて興味が湧けば色々な宗教の催しなどにも出かけて行った。しかし、どの宗教にもハマることはなかった。そして様々な宗教の集会や行事に参加して、ビリーは自分が宗教の何が嫌いなのかがわかったのだ。それは「教祖を頂点にしたピラミッド型の組織」だった。そもそも「教祖」だって生身の人間に過ぎないのだ。肉体を持って生まれるという事は何らかの「カルマ」があるはずだ。だから、その人物を自分より上に見て「特別」に崇めるのはおかしい。確かに人格の優れた者は存在するし、ビリーもそのような人物を尊敬することに抵抗はない。しかし話したこともない、直接会ったこともない「教祖様」を崇めることにはものすごく抵抗があったし、たとえ誰の勧めであろうとも従う気はなかった。
そんなビリーの元にアルマンというイラン人の青年がバーテンとしてやって来た。年は27。イラクとの戦争に従軍した後、フィリピンに留学し英語を学び、日本で仕事がしたいと思いやって来たのだと言う。その当時、日本とイランの関係は良好で、かなりの数のイランの若者が日本に来て働いていた…と言っても主に飲食店などのバーテンやウェイターが多かったが…。また、東京にはペルシャ料理の店もちらほら出来はじめていたので、コネのある者はそこに働き口を見出す者もいた。
アルマンは宗教上の戒律があるので酒は飲まなかったが、カクテルの作り方や生ビールの注ぎ方を覚えるのは早かった。ビリーや客とは普段は英語で話したが、次第に日本語も覚え…それもテレビで覚えることが多かったのか、時代劇のサムライのように「セッシャは…」とか「カタジケナイ」などと言うのには笑った。
アルマンが店に来てから3か月ほど経った頃、彼はビリーに折り入って頼みがあると言ってきた。よくよく話を聞けば彼には弟が二人いて、上の方の弟が日本に来たがっているとのこと。仕事をしながら「カラテ」を習いたいと言うのだ。
外国人が日本で仕事をするには「スポンサー(身元保証人)」が必要なのだ。ビリーはアルマンの働きぶりや人間性を気に入っていたので、スポンサーになることを快諾し、必要書類などに署名・捺印してやった。
しかし、間もなくそんな彼の別の一面を垣間見る事件が起きた。
その晩、常連のパトリックというアメリカ人が彼に酒を勧めたのだ。
「俺の奢りで一杯飲めよ。なあ、アル、たまにはいいじゃないか」
パトリックには全く悪気はなかった。時々、ビリーや他のスタッフにも奢ることがあったし、株のブローカーだから、何かいいことがあると…多分、株で儲かると…誰かに奢りたくなるのだろう。
最初はアルマンも「いや、酒は飲めない」などと断っていたが、あまり断るのは悪いと思ったのだろう。
「それじゃ、一杯だけ、ウォッカをいただきます」
ビリーは驚いた。いきなりウォッカ、それもショット・グラスで。
「アル、大丈夫か?」
ビリーは心配になって尋ねた。
「ダイジョブ。フィリピンで飲んだことあるから」と彼はズブロッカをショットで一気に煽った。
「おお!いい飲みっぷりじゃないか。どうだ?もう一杯!」
パトリックは喜んでもう一杯勧めた。
ビリーは今度こそ心配になって止めようとした。
「アル、もうやめておいた方がいいよ」
すると、パトリックがこう言った。
「アル、ビリーが心配しているから、これで最後の一杯だけにしておきな」
そして彼はもう一杯煽った。
「大丈夫か?」
ビリーがアルの顔を覗き込むと目が血走っている。
「ダイジョブ、ダイジョブ」と繰り返しているが、これはまずいだろう。
暫くするとパトリックは帰ってしまい、他の客たちが入れ替わりに入って来て忙しくなって来た。
ビリーは暫くアルの様子をうかがっていたが、特に仕事に差し障りがあるようには思えなかったのでキッチンのサポートに入った。
バーの方から大声が聞こえたので、驚いてキッチンから飛び出したのはその10分後だった。
見るとアルと客の男がカウンター越しに睨みあっている。
相手は何度か見たことのある禿げ上がったイギリス人の中年男だった。自称「投資家」のその男は少々尊大なタイプでビリーは彼があまり好きではなかった。
その男はアルを指差してこう言った。
「このバーテンダーは俺を侮辱したんだ」
するとアルもビリーに訴えた。
「この客は彼女が嫌がっているのに身体に触ったんですよ」
彼女とは、そのバーのストゥールに座っている厚化粧の30代の日本人女性だった。この女性も時々来ているのは知っている。確かナオミとか言う名前だ。どこかのOLらしいが英語が得意で白人の男が好みらしく、いつも一人で飲みに来ていた。
彼女は自分が原因でトラブルになっているのに、まるで他人事のように騒ぎを無視してジントニックを飲んでいた。
ビリーはまず彼女に尋ねた。
「何か失礼なことがありましたか?」
「え?え~、ちょっと押されたみたいな…」
一般的に日本人はバーのストゥールに座りたがるが、外国人はバーの周りに立って飲む者が多い。混んで来ると自然と身体が触れ合う事も増えて来る。
するとアルは言った。
「この客はわざと彼女に触ったんですよ。私は見ました」
するとそのイギリス人の男が言った。
「お前は使用人の癖に生意気だな。Fuck You!」
と中指を立てたのだ。これは最悪だった。
まるで、それがロケット発射の合図だったかのようにアルはカウンターを飛び越え、その客につかみかかって行ったのだ。
店内はかなり混んでいたので、二人がもつれ合うスペースはない。当然周囲の人間たちも右に左に揺れ動く。周囲の客たちの何人かは喧嘩を止めようと、客とアルの間に割って入ったが止められない。
結局、そのイギリス人の友人達が彼を裏口から逃がし、アルも諦めて追うのをやめた。
ビリーはアルに説教したかったが、店が満員で忙しかったのでそのまま仕事を続け、閉店してから話をすることにした。
二時間後、店の片づけが一段落したので、ビリーは紅茶を淹れアルとテーブルに向かい合って座った。
アルは小さくなって黙り込んでいる。
「アル、君が今まで良くやって来てくれたのは認める」
ビリーが言うとアルはチラリとビリーの目を見て頷いた。
「で、これからも仕事を続けたいかどうか、それを確認したいんだ」
アルは何かを…多分ペルシャ語で…言ってから話し始めた。
「私は神に背きました。あなたにも背きました。でも仕事は続けたい。弟も来ることになっているし…」
つまり「酔っ払ってケンカしてクビになったら兄貴として体面が保てない」と言いたいのだろう。
ビリーはこの場では言わなかったが、あの傲慢なイギリス人がもう来なくなるとしたら、それは幸いだとも思っていた。
それに、これはもっと情緒的なことだったが、ビリーはアルを好ましく思っていた。良く働くし客のウケも良い。これまでは問題を起こしたこともない。できればクビにしたくはなかった。
「わかった。アル、これからもここで働いてくれ。その代りもう酒は飲むな。これはアラーの神との約束だと思って欲しい」
アルは頭を下げたまま握手を求めて来た。
「神に誓います。もう酒は飲まない。誓います」

帰り道、ビリーは思った。「酒は魔物だ」と。
今までも酒癖が悪くて問題を起こした客が何人かいたが、あれは「酒癖」などではなく一種の憑依現象なのではないか…と。そんな危ないドラッグを売って生活の糧にしている自分は…もしかしたら神に背いているのかもしれない。
「いつまでも続ける商売じゃないな…これは」
ビリーは路上ですれ違った酔っ払いの群れを見ながらつぶやいた。

★エピソード12「SATORI」
ビリーは自分の店をオープンする前、半年ほどアルバイトをしていた店があった。大学の先輩の経営するそのスナックは、六本木の外れ:狸穴にあるちょっと隠れ家的な小さな店だった。先輩は芸能関係に顔が広かったので、芸能人や業界関係者の溜まり場的な雰囲気があり、いつも深夜まで賑わっていた。実はこの店との縁を運んで来たのはビリーの妹だった。妹はその1年ほど前から先輩と付き合っていたのだ。
「シンちゃん」と妹は呼んでいたが、ビリーは一応先輩なので「松田さん」と呼んでいた。
ビリーがその店でアルバイトを始めたのはお金が目当てではなく、自分が店をやることになり少しでも水商売…そして夜の世界に慣れておきたかったからだ。大学一年の時に西麻布の焼き鳥屋で3か月ほどアルバイトをしたことはあったが、その時は漫然とやっていたので、鶏肉やレバーを串に刺す以外に何かを学んだとは思えなかった。しかし先輩の店では接客からカクテルの作り方、そしてトラブルの処理まで学ぶつもりで働いた。
その店の席数は20に満たない広さでキッチンにチーフが一人。ホールはマネージャーの猪野と言う30代の男。そしてバイトのビリーだった。ビリーは特に忙しい金曜・土曜と猪野が休みの水曜、週3日だけ出るシフトだった。
その店は業界人の溜まり場だけあって、クスリでヘロヘロになったミュージシャンなどは珍しくなかったし、時々、裏の倉庫のあたりからハッパの匂いがして来ることもあった。
しかし、そんなことがあっても店のスタッフや客達は「ああ、またやってるなぁ」程度の反応だった。時には「●●がパクられたってよ」みたいな話も流れるが、特に騒ぎになることもなかった。
年に数回、先輩は店をスタッフに任せて海外に遊びに出かけた。ハワイやカリフォルニア、ヨーロッパ…行先は色々だったが、実家が裕福なせいか、あまりガツガツ稼ぐようなタイプではなく、「店は一旦軌道に乗っちゃえばけっこう楽だよ」とよくビリーに言っていた。
ある晩のことだった。その日は土曜日で店もかなり忙しく、やっと最後の客が帰り片づけを済ませて帰ろうとしたら、先輩が「ちょっとウチに寄って行かない?ニューヨークのお土産があるんだ」と誘われた。翌日は日曜日で休みだし断る理由もない。先輩はその店から歩いて5分くらいのアパートに住んでいた。
先輩の部屋は白い漆喰の壁とナチュラルな木製の家具、そして壁には赤い屋根の家が描かれたユトリロのような風景画が飾ってあり、モスグリーンのペイズリーのカバーのかかったソファとJCBの大きなスピーカーが置いてあった。
「ワインでも飲む?」
先輩はレコードをかけるとキッチンに入って行った。デオダートの「ツァラストラはかく語りき」。大好きな曲…パーカッションの音が心地良い。
ちょっと甘口の赤ワインを飲みながらニューヨークの街の様子などを聞いていると、先輩はチョコレートの缶の中から小さなビニール袋を取り出した。
「こんなの試してみる?」
それは5㎜程度の小さな紙の切れっぱしだったが、よく見るとミッキーマウスの絵がプリントされていた。
「え?これって…」
「うん、アシッド」
アシッドとはLSDのことだが、ビリーが知っているのは錠剤の方だった。
「え~?今はこれなの?」
「うん、ニューヨークでは普通みたいよ。試してみる?こうやってクチャクチャ噛むんだよ」
先輩は紙片をひと切れ口に入れるとクチャクチャと噛んで見せた。
ビリーも真似して口に入れ噛んでみた。苦くはないが耳の後ろがキューっと締まるような感じがした。
「じゃあ、後は適当に楽しんで。音楽は何がいい?ニューヨークでクロスオーバーばっかり10枚ほど買って来たけど」
「じゃあ、適当にお任せします」
先輩の音楽の趣味はかなり良いので安心だった。
しばらくすると頭の中で音が躍り始めた。ジョー・サンプルのピアノ、ヒューバート・ロウズのフルート、ロン・カーターのベース、ラリー・カールトンのギター。職人たちの織り成す音の粒が様々な模様を描き、スパイラルのように上昇し、そして星雲のように宇宙に広がって…ここはどこ?安らぎと温かいバイブレーションが母の胎内のようにビリーを包んだ。
気が付くと、窓に光が差していた。
「朝!光だ!」
ビリーは誘われるように中庭に出た。そこには様々な植物が太陽の光に向かって手を伸ばしていた。ただそれだけが生きる目的であるかのように。
「そうだ!光に向かって伸びるだけでいいんだ。それが生きる意味!他のことはどうでもいい」
頭の中にオラトリオの様な音が鳴り響き、ビリーは歓喜に包まれた。
ある言葉が頭の中に浮かんだ「SATORI」。
暫くすると、先輩が寝室から出て来た。
「どうだった?アレ…」
コーヒーを飲みながら先輩が尋ねた。
「いや…もうスゴいのなんのって」
「あははは。きっとセッティングが良かったんだね」
外から小鳥たちの声が聞こえて来た。
アパートから出て朝日の中を歩いているとソ連大使館の前に差し掛かった。
「あれれ、ここ、かなりヤバいな」
その建物は灰色のモヤのようなものに覆われていた。
せっかくの日曜の朝の爽やかな気分を壊されてはたまらない。ビリーは足早に大使館の前を通り過ぎ六本木の交差点の方に歩いて行った。
「光に向かって伸びる。生きる意味はそれだけ」
ビリーの頭の中では、この言葉がマントラのように繰り返されていた。

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「六本木パープルレイン Season 2」は以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました。

なお、この作品は「六本木パープルレイン Season 1」

の続きです。よろしければお読みください。

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