某日、私が切れ痔になった理由


はじめに、私はバイセクシャルだ。
とは言ってもバイセクシャルにも種類があり、一定の性に性的興奮を覚えないものから、そもそもそれのみで成り立っている性に奔放なものまでまちまちと言ったところである。


「私はバイセクシャルである」と明言したが、当然のように私は自らの肛門を刺激することで快感を覚えることが出来るタイプのバイセクシャルである。これがマジョリティーなのか、それともマイノリティーなのかは地域などによると思うが、少なくとも私の心中では普遍的で共産的な価値観と言えるだろう。


さて、本題とも言える痔の、それも切れ痔についての話をしよう。
まず念頭に置いておいてほしいのが、私の肛門は男性とのプレイで裂けたのではないという事だ。二人のアダムによる禁忌のような崇高なものではなく、もっと汚濁に満ちた下賤のそれに準じた原因を孕んでいる。私の肛門は、傘によって引き裂かれたのだ。


私は肛門を使用して快感を得る際、必ず事前に入念な下準備を行う。まるで築地の鮪の値段のように、その時々の腸内環境によって状況が大幅に変わってくる。私はこの一連の流れを、自然と“アナリティクス“と呼んでいる。
「肛門が裂けた」と聞いて嫌な予感を覚えている者もいるかもしれないが、意外にもその日の腸内環境はベストコンディションに近いものだった。それ故に私は調子に乗り、普段とは違う趣向を凝らしてしまったのだ。


私は数滴のバーボンを舌と玩具に振りかけ、『宇宙』を感じようとしてしまった。すぐさまに広がる全能感、エクスタシー、銀河。しかしそれは間違いなくまやかしであり、自身の拙い自尊を甘やかし、助長したのである。私の左手はおもむろに傘を手に取り、その取っ手を肛門に挿した。


「ピカチュウ、アイアンテールだ!」「ピッピカピ!」

気がつくと私が奇行に走っている。


得たことの無いイメージだ。先程『宇宙』を得ると言っていたが、もしもこれが宇宙だとして、そもそものアカシックレコードさえ現実を拒む有様だろう。


「ピカチュウ、エレキネット!」


私はジャンプ傘のボタンを押した。
跳ね上がる傘、勢い、抜け落ちた取っ手、肛門。アルコールで麻痺した局部にも充分響き渡る衝撃。さしづめ、ビッグバン。


空気が冷えていく感覚がする。何もかもの許容量を超過してしまった私は床に伏すことしかできなかった。否、床に伏すことで正気を保っていたのだ。その日以降、私がイマジナリーピカチュウに命令を出すことも、ましてやイマジナリーピカチュウの役をかってでることも無くなった。


以上が事の顛末である。果たして平和とは一体何なのだろうか。世界への疑問と肛門の痛みが、いつまでも私の胸を苦しめた。

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