自由のための忍耐。
昨日、インタビューに文字起こしで、自分の声を聞くのがしんどくて苦手だ、という話を書いた。
書くことで踏ん切りをつけて取り組もうという魂胆で、書いた日記。
まあ、夜になってようやく手をつけましたとさ。
そして、終わらずに半分今日に持ち越しだとさ。
でも、手をつけたのはえらいと自分を褒めたいのはそれとして、
書かねばいけないことがある。
それは、
恥ずかしいのは、文字よりもわたしのしゃべったときの文章の崩壊レベルのやばさだった、
ということだ。
これはもう、書くときに「とりあえず書き散らす」というスタイル、
といえば格好はつくけど、ここにおいては完全にネガティブに作用している悪癖のせいだろう。
質問するときの、一文が、長い。
想定質問のリストでは短くまとめているのに、しゃべる段階で切ったはずのゴミをくっつけちゃって、無駄に長くなってる。
・いらん前置きをする
・よけいな例を入れる
・言い換えて同じことを2回言う
ああ…。
もう、これね。
相手の答え次第で、必要であれば言えばいいことを、いきなり乗っけちゃう。
わたしのねっこが、「基本、誤解されるだろう」という、他者への信頼に欠いている。
同じ言葉を違うふうに解釈されたり、焦点が微妙にずれていてなかなか会話がまとまっていかないことへのガマンのなさ。
思えば、子どもに対しても、そうだった(あるいは現在進行形)。
「どうしたら、子どもは出したものを元の場所に戻してくれるようになるんですか?」
「やってはいけないと何度言っても、繰り返すのはどうすればいいんですか?」
どんなに工夫をしても、言い方を変えても、伝わらない。わかってもらえない。
教育のプロ「言ってもまたやるのは当たり前です。何万回でも、繰り返し、言ってください。ただ、淡々と繰り返し伝えてください」
…(絶望感)…!
子どもの正しい叱り方は、たくさん情報として出ている。
わたしも、二つの市の図書館に並ぶ育児書を片っ端から読んだから、たいていのやり方は知っている。
なんなら、NHKのすくすく子育てにまで悩みを応募して、顔と私生活まで晒して悩みを聞いてもらった。
でも、それだけ悩み抜いて、わかったことがある。
この世界にあるのは、
「子どもが同じことをやらなくなる叱り方」ではなく、子どもに害をなるべく及ぼさない、被害を拡大しない、伝え方の工夫だけだ。
大人が欲しいのは、一度叱ったら、二度とやらなくなる方法だ。
しかし、そのような方法は犯罪まがいの方法以外には、存在しない。
伝わる伝え方を、毎日毎日、淡々と繰り返す。
「洗濯物はカゴに入れてね」と、なぜか飾り棚に置かれた丸まった靴下を洗濯カゴに「いいかげんにせいよ、ゴルァ!」とスローインする代わりに、何万回でも伝える。
この忍耐。
この忍耐と同じ忍耐が、インタビューでも必要なのだ。
最初のシンプルな質問文では伝わらないかもしれない。
誤解されるかもしれない。
でも、相手を信じて、軽く、小さい、言葉を投げる。
例を伝えるのは、意図と違う答えが返ってきてからでも、遅くない。
言い換えるのも、相手が意味を測りかねている様子が見えてからで充分だ。
ねっこの恐怖から自由になるには、この忍耐。
忍耐が、必要なんだろう。
今日の残りの文字起こし、この忍耐を少しでも軽くするために、自分のまどろこしい発言の方も、イヤイヤ文字起こししてみようと思う。
自分の鬱陶しさのイヤさが、忍耐よりイヤになれば、もしかしたら忍耐する方が楽だと、思えるようになるかもしれない。
今日も晴れ。
今日こそ、明るいうちに、イヤな作業をしよう。