のら庭っこ便り#017 2023 9/3-9/24 弐 虫を見ること
※この記事は、虫の写真がテーマです。苦手だけど慣れたい方に向けて、風景的に撮っています。
野っ原、として通りがかれば、多分それがあったことも記憶に残らず、
それが畑だ、と気づけば、なんか育ててるんだろうなとみつめ、
ニラが咲いてる、と分かると、意外ときれいな花だなあと思ったりする。
けれど、そこから一歩踏み込んで虫を探す人は、たぶん虫が好きな人だけかもしれない。
今日は、そんな虫が好きな人の目線を、ちょっとだけ一緒に散歩したいと思います。
散歩が終わりには、これからの季節、わざわざ「虫を見る」メリットも添えてみました。
これは、去年の秋の様子ですが、これを投稿している春の今も、虫にピントを合わせようとすると、たくさんの虫たちと出会えるはずです。
どうぞ、お楽しみください。
ニラの花は、いつも虫のパラダイス。
ハナムグリやアリが、花の一つ一つに顔を突っ込んでは、また次の花へと、黙々とお食事中。
巨大なヒトの顔は、多分目に入っていません。
ニラの葉にも虫。
体のサイズに対してかなり細いですが、平均台を歩くかのような芸当。
ショウリョウバッタは、どこが「ショウリョウ(少量)」なんじゃ?
と親父のツッコミが脳内で聞こえるくらいのバッタ密度ですが、
旧盆(精霊祭)の時期に姿を見せることから「精霊」という名がついたと、試験運用中のAIが0.20秒で教えてくれました。
花の影は、敵から身を守りつつ、まだまだ強い日差しを避ける避暑地。
テントウムシの幼虫でしょうか?ジャストフィットサイズのいい場所をみつけて、ここなら生き延びられそうです。
生い茂る夏の草の陰、芽を出したばかりの双葉を発見してお食事中のだれかさんを発見。
撮影された直播き野菜の双葉は、バッタの皆さんがおいしくいただきました。
生い茂るナガイモの葉の陰には、そんなバッタをおいしくいただきたい、ハンターのカマキリも。
カマキリの成虫は、なれる率1〜数%のスーパーエリート。
人間の収入に例えると、日本で1億円超の「富裕層」は2%だそうなので、日本で富裕層に出会うより2倍レアな出会いです(たぶん)。
冬にみつけて置いておいた、カマキリの卵からの唯一の生き残りかもしれないと思うと、胸熱ですね。
落花生や無花果は、見た目に注目した和名に対して、英語名はピーナッツ(豆の木の種実)、フィグ(つまらない事・些細な事)という扱いの違いがじわじわくる植物。
ここには無花果はないですが、いつもセットで思い出してしまいます。
ウリハムシは、キュウリなどウリ科を食べる虫ですが、黄色い花を、ウリ科と間違えたのか、あんまりどうでもいいのか、分かりませんが、マメ科にもつくウリハムシモドキなかもしれません。
今となってはどなたでもいいですが、ウリハムシの仲間は、アイドル並みに顔がかわいいので、こっち向いて欲しいです。
強風で倒れてしまったコスモスは、倒れたまま上に伸び始めたので、そのまま見守っていました。
コスモスの葉っぱの林のなかも、ちょっと覗くと、だいたい誰かがいます。
手前のコスモスの細い葉が簾に見えて、どこか高貴なお方に見えます。
殿様(バッタ)か、それともイナゴか。ここは、殿様の方だということにしておきましょう。
ナスの接木苗で台木だけ生き残った、トルバムビガー(スズメナス)は、さすがの育ちっぷり。
カメムシにちゅーちゅーされていますが、くたびれた様子もありません。
別の場所のピーマンは、カメムシに崩落させられそうになりましたが、トルバビガーの隣のナスには、むしろカメムシはおらず、元気です(壱の写真参照)。
秋の野菜の種が芽吹いて、あちらこちらで芽を出しています。
その周りには、やっぱりバッタ。
でも、保護色が目立ってしまう敷き草に囲まれたごちそうは、バッタたちにとっては命の危険が高くなる場所でもあるわけで。
こちらは、もっと小さな虫たちの狙い目なのでしょう。
「人は見たいものを見る」と言ったのはカエサルですが、このような性質は今は「確証バイアス」として知られています。
その点で言うと、「虫を嫌なものとして見る」のは、病気を運んだり、毒を持っていたり、遠ざけることが身の安全のために役立つことを考えれば、合理的なバイアスだとも言えます。
でも、そうやって遠ざけ続けた結果起きる「見たくないから見ない」は、逆効果。
身を守るためには、それに気づくことが必要なので、身を守るためには、まず「見る」ことが必要です。
近づくと見える、虫の世界。
虫の世界を見て知るほどに、ほとんどの虫は、「人側が先に気づいていれば安全」な存在だと気づくはず。
スズメバチだって、こちらが先に気づくことができれば、安全な距離を保つことができます。
虫を「見たいもの」側に加えておいても、悪いことはないと思いますよ…!
自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。