「戦争は恐ろしい」と言うほど、実は平和から遠ざかるという話
いきなり煽るようなタイトルですみません。
近況というか、平和について思っていることを書きます。
戦争は「恐ろしさを伝えること」で防げるか
ママ界隈では、去年あたりから改憲問題で、平和への意識が高まりつつあり、各地で憲法の勉強会や、戦争の悲惨さを訴える活動が行われています。
このような活動は100%善意で、それ自体はすばらしいアクションだと尊敬するのですが、
この中でよく出てくる、
「戦争はこんなに恐ろしい、だから平和を守らなければいけない」
という論法と、
「平和を守るためには憲法を守ることが絶対に必要だ」
という主張に、
そうだそうだ!と、
無邪気に賛成できなくて困っています。
子供の命は大事だよね=命をうばう戦争って怖いよね!=平和を守るためには憲法が絶対必要だよね!
この三段論法は、一見とてもわかりやすく、頷きやすいものです。
でも、ちょっとモヤっとするポイントもあり。
熱狂する前に、立ち止まって考える必要あるかも、って思うんです。
なにがいけないの?戦争の悲惨さを伝えるって大事だよ?
こうした全員一致の意見相手に、リアルタイムだとすぐ言語化して返せないので、あらかじめ言語化する意味で、この日記を書きました。
お時間と気持ちの余裕のある方、よかったらお付き合いください。
軍隊も憲法も目的は同じ、平和の維持
軍隊を持つことと、戦争を放棄することは、一見対立しているようですが、
軍隊を持って戦争に備えるのも、平和を維持したい、という実は同じ目的を持っています。
だから、
「戦争はこんなに恐ろしい、だから平和を守らなければいけない」
という動機は、戦争を放棄すべき根拠にもなりますが、
目の前に火の粉が降りかかってきそうになったら、
「戦争はこんなに恐ろしい、だから平和を守らなければいけない」
という同じ動機で、普通に軍隊の支持に回ることも可能です。
母親にとっての平和は家族の安全
母親が国が軍隊を持つのを嫌がるのは、自分の子が徴兵され、軍隊で戦地に赴く可能性を退けるためであって、本質的には国の平和のためではありません。
うちは男子はいませんが、男女平等に従軍させられる恐れがあるなら、少なくとも、徴兵は本能的に嫌だな、って感じます。一方、年齢や性別で身内が誰も徴兵されないなら、徴兵反対という前に、まず心のどこかでホッとすることでしょう。
だから、もし外国がいきなり攻撃してきて、マジやばい状況!ってなったら、
「戦争はこんなに恐ろしい、だから平和を守らなければいけない」
って世界観にいる人ほど、自分や自分の子を戦地に送るリスクのない人から、
「やむを得ない」「しかたない」とか言いながら、どんどん軍隊に協力すると思うんです。海外逃亡できない親が自分と身内を守るためには、もうそれしかないですから。
だから、戦争回避にとって、恐怖心にフォーカスすることは、有事の時に一気に戦争反対から真逆に転ぶ、危険な道、
なので、諸手で賛成できない、困惑…となっています。
平和の絶対条件を作る怖さ
もうひとつ、憲法こそが平和を守る説のモヤっとポイントについて書かせてください。
憲法9条の崇高さや、それによって大国に守ってもらいつつ、いい国の顔ができる、おいしいポジションを維持できている話などは知っているし、ふむふむと思います。
でも、憲法を平和の絶対条件にしちゃったら、
万一改憲されちゃったとき、
「ほら、いわんこっちゃない」
と溜飲を下げたいために、口では平和を叫びながら、
心のどこかで、やっぱり平和には憲法が必要だったっていう
「悲劇的展開」をどこかで期待してしまう、ねじれを抱える恐れがあると思うんですよね。
で、この矛盾を解決するために、指導者自ら、あんなすばらしい憲法を変えるような国は見限った!と、日本を見捨てる可能性もあるわけです。
本当に子供を守りたいならついてこいって言って。そしたら、応援していた日本に残される人たちは…どうなるの?です。
これ、震災の時に身に覚えがあって、すごく嫌な気持ちだったので、もう本当に嫌です。
だから、憲法を守るなら、「憲法 is 平和の絶対条件」みたいな訴え方じゃなくて、
現在の日本が平和を維持するのに、いかに憲法9条が役に立っているか、国際政治に有効か、
憲法9条は、敗戦とセットだから掲げることができた貴重な財産で、よその国が真似できない、天皇と同じく守る日本独自の価値があるものだ
とか(以上は全てあくまで例です)…、
相手側の世界観、文脈にあった主張で、改正側に向けて対話を求めていく方がよほど建設的で、
母親の感情に訴えている場合ではないと思うんですよね…。その方が手応えは感じるのかもしれませんが。
少なくとも、「今はあなたのためにも維持した方が得策…」と言って国の借金みたいに先送りにさせる…とか、スカッとしないですけど、スカッとする方法ってだいたい失敗するんで、ズルズル引き伸ばさせるっていう美しくない現実的な方法が、実りある道だと思います。
支持者も熱狂もない方法論
じゃあどうすんだよ!ってほうぼうからツッコミが入りそうなんですが、
基本的に、わたしの平和への考えは、こうです。
フランスのテロの時にタイムリーに書いたのに、
ファボ1件しかつかなかったんで、
あまり共感されてないのかな、と思います。
だから、こういう話を、身の回りにも反戦とか反原発とかがんばって活動している方がいるなか書き置くって、
申し訳ないな、って気持ちもあるし、友達なくすリスクしかないんですけど、
こういう1つの方向に偏った空気を破壊することこそ表現者の仕事だと思っているので、孤独上等、ってことで続けます。
上の記事を読んでいただければわかりますが、私の信じる平和への道は、自分の感情を離れることが必須の方法論なので、分かりやすい支持や、熱狂も生みません。
戦争に対して、自分が被害者側になれない視点は、心地よいものではないと思います。でも、世界的に見たら、これは事実です。
いつか伝わる人も現れると信じて、ときどきこういう話を発信しておこうと思います。ご勘弁ください。
平和への道は、対立構造を超えた先にある
推進でも反対でもない、包括した視点で、自分の利害から離れて、建設的な選択をする。
同じ目的で反対の方法をとる相手と敵対しない。
相手の価値観に翻訳して歩み寄り、相手の平和を第一に尊重して対話する。
これが、大衆レベルでできるようになったら、解決できることって結構あると思うんですよね。
noteも実名の方、お客さん持ってる方も多いと思うので、
この手のネタには足跡残したくない方も多いと思いますが、
共感してくださった方は、アクションを起こしてもらえたらうれしいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
自分と違う意見にも耳を傾けてくれるあなたのやさしさと志の高さに、心からの尊敬と、感謝を送ります。