
ひょうたん島は私を乗せてどこへ行くのか
保育園のころ、毎日毎日まーいにち家や保育園で聴いて歌ってた大人気の曲、ひょっこりひょうたん島。
曲調はアップテンポで、歌詞も歌いやすくて、とても気に入っていた。
ただ、気に入ってはいたけれど、なぜか心の奥の底の方では、この曲を聞くたびに歌うたびに、なんなら思い出すだけで心の奥の底に何かしらの感情が突っかかるのである。
この感情はなんだったのか。
当時の自分がひょうたん島の曲から連想していたものを思い出す限り挙げてみた。
夕焼け、
灰色のクレヨン、
留守番、
よく見たら妹のより少し小さいショートケーキ、
おままごとに参加したら犬役かおじいちゃん役かの二択に迫られた時、
アイロンかけてもらったら熱で溶けすぎてストラップをつけれそうな穴が全部埋まったうさぎのアイロンビーズ、
「人間の髪が紺色なわけないだろ!」祖父に圧をかけられ、腑に落ちないまま焦茶色で塗らざるを得なかった塗り絵のキュアホワイトの髪、、、
そう、ひょうたん島の曲に感じるのは、「悲しさ」なのだった。
だからといって保育園の合唱で歌っていたら露骨に悲しくなって泣き出すってことは絶対になかった。
なんかこう、ひょうたん島=悲しいもの、って言うイメージを持っていて、逆に悲しくなった時にひょうたん島の歌が自然と流れてくる感じ…?
これは説明するのが難しい、理解されにくい内容である。
自分でもこの感覚はよくわからない。
楽しい曲なのに悲しくなる…当時は難しいことを考えることなく、ひょうたん島を聞くたびこの感情になっていた。
しかしある出来事がひょうたん島の印象を少し帰ることになった。保育園の頃の話である。
私には一歳の頃からつるんでいる幼馴染がいて、家もめちゃくちゃ近いので保育園のころはよく外で遊んでいた。
幼馴染は根性があった。だから私のお家にママやパパなしで、1人で遊びに来れた。
私は根性なしだった。ママやパパがいない他人のお家に1人で遊びに行くことなんて到底出来なかった。
でもママやパパに尻を叩かれ(〇〇ちゃんはできるのに…ってお決まりの感じで)、私はとうとう100メートル先の幼馴染のお家に1人で訪問することになった。
この時、既にひょっこりひょうたん島はずっと頭に響いていた。
灰色のひょうたん島に乗っている灰色の人形達が、ひょっこりひょうたん島を楽しそうに歌いながら、私をひょうたん島に招いてきた。
「ひょうたん島はどこへ行く
ボクらを乗せてどこへ行く♪」
後ろを振り向くとパパやママは島に乗らない。乗れないらしい。
灰色なのはひょうたん島のはずなのに、いつのまにか私の家やパパやママまで灰色一色になっていたようだ。
ふたりは笑顔で手を振って私を追い出した。私は灰色のひょうたん島に乗って、一緒に灰色の人形達とひょっこりひょうたん島を何度も歌った。
「丸い地球の 水平線に
何かがきっと 待っている
苦しいことも あるだろさ
悲しいことも あるだろさ
だけど ぼくらは くじけない
泣くのはいやだ 笑っちゃおう
進め
ひょっこりひょうたん島
ひょっこりひょうたん島
ひょっこりひょうたん島」
幼馴染のお家に着く頃には、私の顔は泣いてくしゃくしゃだった。(歌詞通りちゃうんかい)
けど、べそかきながらも1人で他人の家に訪問できた。
後ろを振り向くと、灰色のひょうたん島にひょっこり顔だした灰色の人形達が、ひょうたん島から幼馴染の家に乗り移った私に笑顔で手を振ってくれた。
そして浮輪のようにぷかぷか浮くひょうたん島はどんどん離れてあっという間消えてった。
もちろんひょっこりひょうたん島を元気よく歌いながら。
幼馴染の家に着いてからもひょうたん島は頭にずっと流れていた。なんなら口ずさみそうな衝動にずっと駆られていた。ママとパパがいない空間はやっぱりずっと悲しかった。
けど一度勇気を出して1人で遊びに行けたから、それ以降は1人で遊びに行ってもへっちゃらだった。
ひょうたん島は私の人生にとって悲しい存在だけど、時にはいい仕事してくれるので、今まで縁を切ろうとはしなかった。
一つの曲が人生に与える影響は馬鹿にできないと思う。
悲しみのテーマだったあの曲が、今では悲しんだ時の励ましや慰めのテーマである。