neon
アイドルとわたしとわたしの世界。その光が本物でもそうでなくても、わたしの足下が明るくなったのは真実だから。だからきっともうそれだけでいい。
ある日突然仕事が家にやってきた
写真の置き場所です
ここまで虚無と歓喜の声がはっきり分かれるお仕事って近年では珍しいな、と思いながら眺めています。見えざる手に翻弄される立場からやっと抜けたと思っていたら、大きくて透明な手は未だなんにも変わらず其処にあったことに気付かされたという感じでしょうか。 "立たされている"と"立っている"の狭間を生きるアイドルという職業に就くふうまくんが、ひとつでも多く自分の脚でたどり着いたと思えるお仕事に出会えますように。 偶然にも近い濁流で流れ着いた地に毎回どうにか意味を見い出して立ち上ろうとするふ
結婚して母になったり独立してフリーランスになったりした友人たちがぺたんこのバレエシューズやスニーカーへといつのまにか履き替えていたことに気付き、ふと悲しくなる瞬間がある。同じ時期に学生を卒業し同じ一歩を踏み出したはずなのに、私だけがまだあの頃と同じ靴を履いたまま今もあの日の道を歩き続けている。25歳の頃も、今も、たぶん明日も、私の靴は大して変わらない。 もちろん何歳であっても、ハイヒールが似合う女性は素敵だ。言うまでもないことだ。そんな女性への憧れだって大いにある。そ
2020年1月22日、わたしは渋谷に居た。詳細は割愛するけれど上司と一緒に外回りをしている最中で、スクランブル交差点付近を何度か行き来していた。とてもとても寒い日だった。 その日は新しいアイドルがCDデビューする日で、日本中にたくさん広告が掲出されていた。もちろん私が訪れていた渋谷も例外ではなく、駅構内のボードや屋外ビジョン、CDショップの装飾など街の至るところに数えきれないほどの"彼ら"がいた。 どうしても忘れられない景色がある。スクランブル交差点に設置された広告の
とてもとても楽しみにしていたライブが中止になった。勿論ギリギリまで検討した上で現時点での最善策を選んだ結果ということは重々理解しているし、この判断に対して反論は一切ない。ただ、やっぱりすごく寂しくてなんだか毎日に力が入らなくなってしまったことも事実で。たぶん私のような人間が今の世界には溢れているんだろうなあと思う。 中止が決まった当初、「悲しい」「寂しい」「残念だ」と叫ぶことは応援している存在に刃を向けることになるのではないかと思ってしまい、なんとなく何も言葉にできない日
一生捨てられないと思っていた指輪を捨てた。 あんなに重かったはずの3gもゴミ袋に投げ入れてしまえばもうそこに在るのか無いのかすら分からない程に軽くて。もっと早く気付けば良かったな。手元に残った指輪はおばあちゃんの遺品で作ったこのひとつだけ。(https://note.com/neon923/n/n43c2388e747b) でもしばらくはきっと、それでいい。 そして、この際だからと服やら食器やら我が家を占拠していた思い出も45リットルのゴミ袋に詰め込んだ。今はも
まだ満開ではない桜をこんなにも眺めたのは多分今年が初めて。日常を疑う、生活に目を凝らす春。
私用PCの電源が入らなくなってしまった。 どうにかこうにか復旧を試みてみたが、まったく動いてくれる気配がないのでとりあえずしばらくはスマホから更新してみる。 少し間があいてしまったが、私は引き続き在宅勤務を続けている。 今週いっぱいはこの状況が続きそうだ。なんだか慣れてきてしまった。それは私だけでなく取引先や同僚や上司にとっても同じことで「在宅勤務を円滑に進めるための最適化」を皆がものすごい勢いで進めている。電子印が爆速普及し、不要な会議が減って、論点が最初からまとまっ
朝が来た。明け方まで仕事をしたり休憩したりまた仕事をしたり。生産性のゆるやかな無駄遣いをくり返していた気がする。ひと段落ついたと思ったら次のメールが舞い込み、これだけ処理しておくかと手を付けるとまた次がやって来る。少しのけだるさと眠さを含んだままで眩しい朝を迎えることになってしまった。 時間管理が仕事の質ひいては日常生活の満足度にまで直結するのが在宅勤務だ。今までの私は、「午後のアポまでにこれだけ終わらせよう」「明日入稿の案件を優先しよう」といった外的要因に行動決定の大半
恥ずかしながらまだ仕事が終わらない。 おやすみなさい、はまだ言えそうにない。 まあそんな夜もあるよ。お疲れ様です。
体温は、個人情報か。 会社にサーモグラフィ装置を設置するという話を聞いて考えた。もちろん個人情報でもなんでもないだろうが、この第一報を聞いたときになんとなく「毎日体温を知られるのはちょっと恥ずかしいかも…」と感じてしまったのだ。何故だかわからないけれど。あと、肉まんとかココアとか持って通過したらどうなるのか気になる。カイロを貼っていたら?冷えぴたを貼っていたら?そんな在宅勤務(2日目) ◼️昨日から持ち越した課題 ・深刻な運動不足 ・電気代が嵩む気がする(部屋が寒い)
正確には先週から在宅勤務中だが、今日から心を改めて記録しよう!という意気込みなので(1日目)。 まず、昨夜考えてみた「在宅勤務に打ち勝つ工夫」はこのような感じである。 ■検証事項 ・通勤時間に相当する45分間のウォーキング ・業務中はBGMを流してみる ・朝に2食分の食事を作ってランチと夕食に ・たとえ自宅であろうが顔面フルメイクで挑む ・たとえ自宅であろうが社員証(首から下げるタイプのIDホルダー)装着 ■検証結果 ・雨だったので寒くて外に出る気がしなかった。 ・
ある日とつぜん仕事が家にやってきた。 主に珈琲を飲みながら読書やネットサーフィンをするためだけに使っていたこの机が、しばらく私の仕事場となるらしい。 在宅勤務に切り替えた企業の存在は連日の報道で勿論知っていたし、その必要性も重々承知していたけれど、いざ自分自身の出来事として捉えてみると全く違う印象を受けるのだなあ、というのが数日在宅勤務をしてみての率直な感想だった。なかなかペースが掴めない。仕事のスピードが落ちる。なんだか心が晴れない。病む。 そもそもが自宅で仕事をするため
キレイとかカワイイとかカッコイイとか、美醜の評価基準は個人の価値観や文化圏や時代によって大きく変わるものなんだろうけれど。いつもひとつだけ、素敵な人に出会った時に感じることがある。ああこの人はきっと神様が丁寧につくったんだろうなあ、と。だってどう考えてもわたしを作るのと同じ時間と労力でこんな美しい造形や深い思考を授けることができるはずがない。きっと神様がめちゃくちゃ気合入れて作ったんだろう。そんなことをよく考える。 わたしはアイドルが好きな一介のOLであると同時に、彼ら
わたしの毎日には置き忘れてきた爆弾がそれはもう死ぬほどある。端的に言うと「なんとなく放置してしまったミス」「後回しにしたまま時期を逃した事務処理」「自己流でなんとかなっている知識」の類である。 もちろん本当にヤバヤバのヤバいミスをやらかしたときはその場で速攻大爆発する。つまり置き忘れた爆弾にはならない。後処理には多大な心労と時間がかかるけれど、逆に言ってしまえばもうそれを片付けるまで永遠に前に進めないのでどうにかこうにかその場で決着するしかない。「申し訳ございませんでした」と