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わたしの代わりなんていっぱいいる

ということに20代の私は抗っていた。

他の誰でもない「私」を見いだしてほしくて、ちょっと個性的なファッションに憧れたり、恋人に私のどこが好きなの?!と詰め寄ったりしていた。
私以外のもっと容姿が端麗で優しい女性から言い寄られたりしても、私との絆を選んでくれると約束してほしくて、私だから付き合っているという確信を求めていたのだ。

そうだったはずなのだが、最近はちょっと心の変化がある。
誰かにとっての私の代わりはいる。
という事を事実として受け止められたし、かなり肯定的に捉えられている。むしろ、代わりがいない存在だったら……と想像すると怖くなってきた。

もちろん、真に取って代われる人なんていないのだが、同じポジションにつける人という意味ではいくらでもいるのだ。
恋人の新しいパートナーも、仕事も、友人も。

それぞれの人に見せている私の一面は、私じゃなきゃいけないなんてことはなくて、代わりに務められる人は山ほどいる。

恋人に対しても「私じゃなきゃダメな理由を述べよ」なんて無理難題を突きつける気はもうさらさらない。
逆にわたしも「この人じゃないとダメだ!この人と別れたら一貫の終わりだ!」という執着をしなくなったと思う。
(昔の私が重すぎて引く)

何度かいろんな人と付き合ったりしてそう思えたのかもしれない。

仕事も私が休んだらこのチームは回らないから頑張らなきゃ!なんて驕っていたこともあったけど、若手が1人休んだり辞めたりしたところで組織は崩れない。
ましてや大きな組織なら尚更。いくらでも補充できるし、私より優秀な上位互換の人たちだらけである。

でもそれで良いと思うし、私がふと進む道を変えても、大きくはこの世の中も、私の周りも変わらないことに、近頃は安堵している。


なんて、深夜のつぶやきでした。あとで読んだら恥ずかしくなりそうだな。

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