精神論は無敵
「やればできる!」と松岡修造みたいな事を言うのがいわゆる精神論ってやつだ。
「やればできる!」というのは確かにそう言われればそうだな、と思うような気もするが、あまりにも正論すぎて何も言い返せない言葉でもある。それ故に自分は精神論があまり好きではない。
タイトルにもある「精神論は無敵」というのは、精神論には誰にも反論できない悪魔の言葉があるからで、それは「あなたが出来ないのはまだ頑張ってないからだ」という無敵のセリフがこの精神論の根底にはあるからだ。それを言っちゃ終わりじゃん!ってやつ。
しかし、自分は小中学生の頃は割とこの精神論ってやつを信じていた部分があった。圧倒的努力をすれば目標は達成できるみたいなことを少し思っていた。
でもだんだん大人になるにつれ、頑張っても出来ないことは出来ないと思うようになってきた。それはなぜかと言われればシンプルに精神論で通じないことが増えてきたからだと思う。
大人になっていくと、様々な要素が増えてきてエネルギーを注ぐ数が絶対的に増えてくる。しかし、エネルギーの絶対量も基本的には変わらないので1つに当たるエネルギーを注げる量ってのは限界がある。だから、エネルギーを注ぐモノのを見定めて生きていくというのが大切なのだろうが、なかなか簡単に見定めることなんて出来ないので失敗することも増えてくる。
要は大人になっても精神論を言ってくるのは、失敗をしたことがないか(そんな人間いない)、失敗しても精神論でなんとかしてきた(と思っている)人間なんだと思う。このような方たちはやはり、出来ない人に「意志が弱いんだ発言」をしてくる。(この発言は自分自身に適用する分は全く構わないと思っている。)
でも、自分はこの意志ってほど曖昧で脆いものはないと思っていて、環境や方法などが変われば一気に変わったりする不確かな存在だと思っている。例えば、ダイエットをしている人が大好物のケーキ屋の前を通ってギリギリ我慢するより、そのケーキ屋の前を通らない道を選ぶ方がケーキを食べないで済む、みたいな。
つまり、結果をその人間の置かれていた環境などを全く無視して、意志だけに委ねるのは余りにも短絡的すぎるような気がしている。それよりも、環境を変えたり、思い描く結果に結び付くような構造的な方法を考えた方がよっほど確実性があるよな、という話。
そしてもう一つ重要なのは、その環境や方法っていうのは、自分が生まれる親を選べないように、その人その人によって選べなかったりする事も大いにあるということを認識しておくことだと思っている。
おわり
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