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「無意識Ⅱー泉の章ー」#2 木曜日

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1992.9.16 wed  17:00 

たぶん、考えられるのは2箇所だけだ。


リュックが軽いかなと最初に感じたのは今朝、電車に乗ってすぐくらい。
微々たる違いだから、気のせいだと思ってすぐに確認はしなかった。

だとすればひとつ目は、貴石駅の前で定期券を取り出した時。
イヤフォンの音楽に気を取られているうち、定期券と一緒に出てきて地面に落ちてしまったのかも知れない。


ふたつ目は、昨日の夕方。
場所は、今年の春にオープンしたレンタルショップ。フリッパーズギターと矢野顕子のアルバムを借りるために会員証とお金を出した時までは、確実にあった筈だ。

ただその後、リュックにしまったかどうかまでハッキリ意識はしていないけど、いつもそんなもんだし。


真っ白になりそうな頭で捻り出した紛失ポイントを交互に思い返す。
生まれて初めての大きな落とし物にしては、結構スレスレで耐えている。

乾電池が買えなかったため、完全に動きが止まったウォークマンのイヤフォンを外したら、急に駅のアナウンスや人の歩く音が耳に飛び込んで来て、現実が迫ってくる。不安と憂鬱と、時間をどこかへ動かしたい衝動。

巻き戻せるなら、今朝まで。あ、念のため昨日のレンタルショップまで。

早送り出来るなら、無事に誰かの手から財布が届けられてホッとする瞬間まで。
いや、でも無事に戻るかなんて分からないんだった。
このまま、出てこないことだって。


もうやだ。


駅で落としたのなら、駅の案内にでも届いているかな。(良い人が拾ってくれたらの話だけど)。いちばん近い解決ポイントはそこか。

「お財布?・・・いやー届いてないですね。失くしたの何時(いつ)です?」

「もし駅で落としたとすれば、今朝だと思うんですけど」

「今朝か。うーん、届いてないな。…いつだっけ?先々週ぐらいに届いたのあったけどなー。あれどうしたっけ?(←他の駅員さんに声をかけている)・・・あー!東野くんね!東野くんの財布だったんだ!あはは」


あははって。
誰ですか。東野くんって。

「あ、ごめんごめん。やっぱり今日は朝からずっと届いてないな。もし、この後届いたら保管しておくから、どんな特徴か教えてくれるかい」

「はい」

気持ちがちっちゃくなって、消えそうになりながら駅員さんに財布の特徴と名前を伝えて駅を出る。


あとは、レンタルショップか。
行ってみようかな。

でも、借りたCDは明日返却だから家に置いて来ちゃったし。
それに、もしかしてお店の中で落としてスタッフの人が保管してくれてたとしたら
家に連絡が来てるかも!

どうしよう。

一度家に帰って、もし連絡が来ていたら出直せばいいか。
(1日早いけど、その時にCDも返しちゃえば良いし)

来てるかな。連絡

音楽ナシで歩く家までのたった10分がこんなに長いなんて。
早送りどころか、いつもの半分以下の速度でしか回らないウォークマンのグルグルを思い浮かべる。まるで今日の、電池がなくなる寸前のようなノロノロとした回転を。


「ただいま。お母さん、今日私に電話とかなかった?」
「え、今日?・・・何もないけど、どうかしたの?」

「何でもない」


ぜ、ゼッツボーだ!
オメデトウ!あなたのおサイフ、本格的に行方不明です。グズなネズミちゃん!

部屋に戻って、念のためリュックの中身を全部出してみたけど
やっぱり無かった。

とりあえず、充電池だけコンセントにつないで息をつく。
充電中の赤いランプが、今のピンチを表している気がして憂鬱がまたもや押し寄せて来た。


1992.9.17 thu   16:30
一日過ぎても、状況は変わらない。
朝と帰りに、一応駅員さんにも声をかけたけどやっぱり何も届いていないらしい。

帰りの時なんかは、顔を覚えたのか私が声を発するが早いか駅員さんの方から
「あ、お財布のお嬢さん。やっぱり届いてないよ」
と、ご丁寧で残念なお知らせをしてくれた。

駅と言っても、もしかするとその少し手前の道路かも知れない。
改札の前でモタモタするのが嫌だから、結構早めにリュックから定期券を出して準備をする。その拍子に財布も落ちたなら、駅の外だ。

それならば、拾った人は向かい側の交番に届けるってことも?
一応聞きに行ってみる?

ないか。

もう諦めようかな。

・・・

駅前の信号のところまで歩いて来た。

道路を横断した向かい側に交番がある。
信号は、赤だった。

青になるのを待っている時間が異常に長い。
昨日からこんなのばっかり。

時間って、本当に1分、1秒、均等に過ぎてます?
ビヨーンって、時々伸ばしてませんか。


・・・

立っているのが耐えられなくなってきた。

信号を渡らないで左方向にそのまま歩道を行くと、100mぐらい先に「フレンドシップ」のチカチカした看板が見える。例のレンタルショップだ。

どっちにしても、一昨日借りたCDは返しに行かなきゃいけない。
それに、家に電話は来なかったとしても、お店で預かってくれてる可能性はまだ消えてないもん。(むしろ、中身を勝手に見て会員カードの名前で電話してくる方がちょっとモンダイなんじゃ?)

CD返して、ついでに「財布の落とし物を預かっていませんか」って聞いてみればいいんだ。それだけだ。

優しいスタッフさん「預かってますよ。良かった!連絡は出来ませんでしたが、いずれご来店の時にお返ししようと思っておりました」
なんて言ってくれないかな。

信号が赤から青に変わる寸前、私の足は先に「フレンドシップ」を目指して歩いていた。100mの道のりを必死に耐えて、チカチカが灯り始めた看板の横から自動ドアを抜ける。

二階のCDレンタルフロアまでの螺旋階段も、ちょっと段数水増しされてる気になる。今日の私は「とにかく全てが長い世界」にいるから、もう驚きもしないけれど。


階段を登り切ると、お客が二人ぐらいCDを選んでいて、カウンターの周りにも三人の人が立っていた。

二人はたぶんスタッフ(大学生ぐらいの男の人と、いつもいるお姉さん)。それに、お店の人なのか常連のお客さんなのかよく分からない、40ぐらいの男の人。

店内のBGMはユニコーン。
木曜日の夕方にここに来ると9割ユニコーンだけど。

本当は、早くCDを返して、肝心なことを聞きたくてドキドキしているんだけど
なんか踏み込めない。三人の会話が全然途切れないからだ。

「本人はここにあるって知らないでしょ」

・・・

「東野くん、また自分が言ったこと忘れたんだねー」

・・・

ユニコーンに遮られて全部は聞こえないけど。

・・・

「その方がいいですよ」
「あ、東野くん、これ交番まで届けてくれるかい」


交番?


あと「東野くん」ってどこかで聞いたような・・・。

しばらくして、ちょっとだけ会話が途切れたのでカウンターに近づき、フリッパーズギターと矢野顕子のアルバムCDが入ったケースを差し出した。

大学生っぽい男の人が、何も言わずに中身を確認して
「はい、返却オッケーです」
表情ひとつ変えずに、返したCDを無造作に後ろの棚に置いて

オッケーですって・・・

え?終わり?

か、

か、

感じワルー!


さっきまで思い描いていた「優しいスタッフさんから・・・」のイメージは、目の細いこの感じワルい店員によって完全に打ち砕かれた。

お財布のことなんて、聞けるはずがない。

ショックで声も出なかった。
この場所に来るまでにグルグル考えていたことと、奥底にずっと渦巻いていた緊張感が更に冷たく体に絡みついてくる。


螺旋階段を踏み外さないように降りていく途中、上の方でちょっと言い争うような声が聞こえた。

何だろ?と思ったけど、人の揉め事なんてどうでもいいし。
会員証も一緒になくしちゃったから、もうこのお店にも来ないかな。

せっかく、この町にもレンタルショップが出来て嬉しかったけど。
さよなら「フレンドシップ」。半年ぐらいだけどお世話になりました。

トトン

トトンットトン

・・・

トン。


トントントントン!
トントントントン!

私じゃない足音が急いで階段を降りてくる。


「あの・・・」

感じワルオじゃん。
何かご用ですか

「あの、ちょっと戻ってもらえますか」

「え…?」

なんで?

「すみません、急に。えーと、店の者が呼び戻すように言うので」
ワルオくんは必死に説明しようとしてるけど、なんかよくわかんないし。

そこへ、もう一人のスタッフ(お姉さんの方)が追いついて来た。
手に何か持ってる。ちょっとだけ、私の財布に似た財布。

「あなた、北里泉さんよね。これ、あなたのじゃない?」

私のだった!


さっきまで絡みついていた、緊張感と、考えてたグルグルと、憂鬱と不安と、寂しい気持ちと、空腹と、眠気と(増えてないか?)が、
一気に溶けて無くなっていくのがわかった。

だめだ。顔が緩む。

「あ、そうです。私のです!こちらで預かって下さってたんですね」

「ええ、まあ、ちょうどウチの店長が拾って…」
お姉さんの返しが若干歯切れが悪いけど、嬉しいからそんなの気にしない。

「でも、どちらかと言うと駅のあたりで落としたような気がして。このあと交番に行こうかと思ってたんですけど」

私が言うと、お姉さんとワルオくんが一斉に40ぐらいの男の人を見る。

「でも、今日ここの返却日だし、今日中に返さないと延滞金だし。お財布見つからない限りはその延滞金も払えなくなっちゃうと思って・・・」

嬉しくて喋り続ける私。
今度は40の人(←勝手に確定)がお姉さんとワルオくんをみてニヤッとしてる。

一体この三人で何を話していたのだろう。


会員証も戻って来たので、二階に戻って新しく借りるCDを選んだ。
(ただいま!フレンドシップ。)

借りる時に応対してくれたお姉さんと、そこでも会話が弾んだ。
私の制服を見て「私、同じ高校だったんだよ。あなたの先輩ね」と懐かしそうに笑うお姉さん。横から「大昔の」と口を挟むワルオくん。ホント感じワルい。

帰りがけ、もう一度お礼を言って
「私、お財布とか失くしたことなかったからすごく焦りました!」
って付け加えたら、何故かうな垂れていたワルオくん。

この人が、貴石駅の駅員さんの間でも有名な「東野くん」だということも、
ちょうどこの日も「絶賛財布失くし中」(私と違って、もう数えきれない回の)だったことも、
ついでに40ぐらいの男の人=店長さんだったことも、

私が知るのはもう少し先のことだ。


外に出ると、いつの間にか雨が降っていた。

一度駅の方まで引き返して
そこから道路を渡る信号は、今度は青。

パーカーのフードを被って、ウォークマンのボリュームを少し上げる。
今朝なんとなくセレクトして来た中身は、ミスチルのファーストアルバム。これは先週ぐらいに借りたやつ。

雨と街灯の光で、道路がキラキラしてる。
私は、やっと息を吹き返した。

雨に濡れた、濡れネズミだ。


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(もう一人の「濡れネズミ」が見つかります)






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