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線維筋痛症患者が感じた生きることの厳しさ

線維筋痛症という目に見えない病気を抱えて半年が経過し、「見えないって本当に厄介!!」と思うことがとても多い生活を送っております。

とりあえず生活環境を整える、生活を取り戻す、というのが当面の目標なのですが、診断書が出るまでに1ヶ月、交付可否判定が出るまでに2ヶ月、交付されればその後車椅子の補助の審査を通過し、車椅子をオーダーして出来上がるまでに3ヶ月、その3ヶ月の間にスロープをつけたり車を改造したりしたとしても、全部整うのは年を跨ぎそう。

な、長い…

生活環境すら整うまでが大変すぎる。

確定診断が降りてやっとこさ診断書が書ける、診断書書くのも項目多いし慎重且つ丁寧さが求められる繊細な作業だし、判定医が判定する機会も月に1回の審査会のみ、車椅子はもう海外から部品輸入とかなら仕方ないし、わかっちゃいるけど正直めちゃくちゃ長いです。

7月末に診断書を依頼しているので、色々見積もってとりあえず判定降りるの10月だとしても、あと2ヶ月の間に困ること、実際障害認定されていない今、色々きついよ〜〜〜と弱音を吐きたくなることが多いので、ここで共有させていただきます…!

(尚、認定されるとも限りません。認定は夢、そして幻想。)

「見えない病気」ならではの、障害認定までの苦悩と葛藤のラインナップはこのようになっております。

生活水準とQOLが爆下がりする

まず、線維筋痛症というのは身体のどこを調べても異常がないのに、身体中がとにかく痛い、激痛どころじゃない地獄の痛みと24時間365日付き合い、痛みに耐えなければならない病気です。

痛みによって生活水準は低下、QOL (生活の質)が一気にドスーンと落ちてしまうため、痛みに耐え忍ぶに留まらず、とにかく生活が回らなくなり、言ってしまえば生存競争のような状態になります。

痛みのため立つこと、歩くこともままならず、排泄、食事、入浴や着替えが出来なくなってしまうケースがとても多いです。
そして、わたしはその一人。

たまたま車椅子を持っていて、室内でそれを使っているので移動はできます。
が、生活のひとつひとつのアクションが大変すぎる
食事は「箸や食器を持つ」「口に運ぶ」「咀嚼する」、排泄は「トイレまで歩く」「衣服の着脱」、入浴はもう地獄です。洗えません。浴室に入ったが最後です。

わたしの場合、「風呂は2、3日に1回」「歯磨きは1日1回できたらいい方」「食事は1日2回が限界」「トイレに行かなくて済むように水を飲まなくなる」など、それまでの生活が嘘のように一変し、最低限で文化的とは?というような生活を送る羽目になりました。

居場所がなさすぎる

線維筋痛症は割と最近新しく発見された病気で、研究が進められている段階であり、まだまだ未知なことばかり。
「知らない」「そんな病気は存在しない」と言う医療従事者はまだまだこの国にはたくさんいるし、概念はあやふや、しかも200万人以上も患者がいるのに国民に病名がほとんど知られていない難病です。

生活は回らない、体は痛い、確定診断が降りなくて、ドクターショッピングを繰り返す人も多く心が沈んで落ち込みまくるので、弱音も愚痴も吐きたくなるのは当然。

しかし病気が医療従事者にも浸透していないくらいなので、福祉従事者にも当たり前に浸透していません
わたしは訪問看護サービスを受けていますが、訪問に来る看護師さん、OTさん、誰に話しても「はて…?」という感じなのです。

訪問看護サービスを受けたことがある方はなんとなくイメージできると思いますが、訪問看護の看護師さんはゆとりを持ってめちゃくちゃ寄り添いながら話を聞いてくれる方が多いので、話せないことはないんです。

ただ、知らないから辛さが伝わらないのが本当にネックです。

病名が浸透してないから、病気に関する知識がなくて、どこをどうサポートしてもらえばいいのか、何をどうしたら楽になるのか、相談しても解決策が見つからない。
弱音や愚痴が出てきても、辛さが伝わっていない気すらする。
もちろん看護師さんは寄り添ってくれるし、担当の看護師さんと手探りでこれからの生活のことを考えたりもしますが、関わる人がみんなそれぞれに真っ暗闇で何にも見えない道を進んでいる状態で、何を道標にしたらいいのかは誰にも分かりません。

医師も発見はできるけど治療法はわからないようなので、大きい病院に転院を考えてはいるものの、そこに病名否定の医師がいるという話も別の医師から聞いたりで、どこにどう頼っていいかわからない。ひたすら孤独。

自分で外に出られないので、友達にLINEで話したりしてみるも、内容がヘビーすぎて気を遣うので、わざと明るい文面で送り、自分を押し殺すストレスから痛みは更に強くなる。孤独が孤独を呼ぶ悪循環で、自分はどこに頼りどう生きていけばいいのかわからない、居場所がどこにもない状態になってしまいます。

痛みや苦しさに対する理解がない

そんな生活でもわたしは幸い実家暮らしなので、体調が良ければ知人友人には電動車椅子などを使って会いに行くことができます。
ある日知人と会ったとき、線維筋痛症って異常がないって言われるんだよ、こんなに痛くて難治性なのに、という話をした時のこと。
知人が私を励まそうという気持ちで、「病気が治るって信じてないと治らないよ」「信じてればきっとすぐ治るよ」と言った、その一言が、私の心にグサッとナイフのように刺さりました。
浸透していないが故に知人はもちろん知らない、悪気もないのですが、異常がないから気持ちの問題だよ、と片付けられた気分になってしまったのです。

また、線維筋痛症は個々により症状の出方が違い、アプローチもさまざま。
そんな中で全面的に推されているのが「自然療法」「民間療法」です。
私も身近な人に「ストレッチがいいらしい」「太極拳やヨガがいいよ」「瞑想しなよ」と言われるのですが、運動できたらもうしてるんだよなあ〜…と思いながらヘラヘラ笑ってやり過ごしています。
瞑想に集中できる痛さならもうやってるよ〜とも思っています。
リハビリ計画表の運動だけは血流促進のためにとりあえずやっていますが、それすらできない日も多いです。
そして医学的エビデンスは認められないものがほとんど、とも言われています。

しかしネットの情報から、自然療法や民間療法で治る!と考えている方も多く、「じゃあ肩こりや腰痛と一緒だね」という認識の方もかなりたくさんいます。
痛みを数値化できる知覚分析装置を使うと、骨折が700、線維筋痛症重症患者で平均2000程度という知覚数値になります。
その他脱力や不随意運動など身体症状、精神症状、神経症状も発症するので、肩こり持ちの私も正直肩こりは比にならないです

だからと言って、全身複雑骨折してるくらいとか、肋骨が肺に刺さってるくらい、とか伝えても、現実味がないので伝わることは少なく、「リハビリしてないから痛くなるんだよ〜」「この病気って努力次第なんじゃない?」と言われることがとても多いので、軽視されているのかなあ、他人事なのかな、と悲しい気持ちになることもあります。

受けられる支援はほとんどない現状

今私が受けているのは、訪問看護のみ。
作業所等には、B型でも行かなければ除籍となる日数が自治体により定められていて、その日数行けるとも限らないし、生活介護は重度心身の方が多いのでスタッフに後回しにされてしまうことが目に見えています。

色々と私の経験からの憶測もあり、実際に現場の人から聞いたこともあり、の中での選択ですが、今は支援サービスはほとんど活用していません。
しかし精神障害者手帳があるので、受けられるサービスがないわけではなく、知らなかっただけで受けられるサービスもあるようなので、これから少しずつ始めていく予定ではいます。

環境整備の面では、電動車椅子やスロープ取り付け、車の改造などが必要ですが、こちらは身障者手帳がないことには話が進みません。
身障者手帳が交付されている方々は、交付されるまでの半年以上をどうやって生活していたのか、とても気になります…!(もしかしたら入院治療などされていたかもしれません)

線維筋痛症で罹る整形外科などの医療費補助もなく、それなのに保険適応外の薬ばかり、更に働くこともできないので、経済的にひっ迫した状況を強いられます。
難病指定もされていないので医療費は自己負担です。
障害者にも認定されず、指定難病でもない、私のようなグレーゾーンの病気を持った人たちのセーフティネットが社会に不足していることも、強く実感しています。

線維筋痛症患者が周りにいたら?

私がこの半年で強く感じたのは、「未知が故の理解の無さ」「理解の無さ故の居場所の無さ」「居場所の無さ故の孤独感」です。
線維筋痛症は痛みのみならず、その理解の無さと医療や福祉の不足から、「なったら生き地獄」とSNS等で言われるほど辛い病気なので、診断が降りた人は病名がついた安堵感はあれど、自分の病気を受け入れられなかったり、何もできない自分に無力さを感じたりしています。

周りに患者がいたら、(あくまで私主観で)どうして欲しいかというと、「アドバイスしないこと」「ただ患者を肯定すること」です。

ネットに転がっている「これが効く!」というような情報は所詮ネットの情報だし、医師が載せているにしても、学術論文にしても、あくまで一患者の治療方法の一例であり、それを線維筋痛症の患者が1番分かっています。
本人はとても悲観的になってしまう場面も多いので、ポジティブに「治った人を知ってるよ」「そのうち治るよ」と励ましたり、アドバイスをすると、マイナスな本人の気持ちとプラスなアドバイスや励ましの言葉にギャップが生まれ、悩みのタネが増えるだけになってしまうこともあります。

福祉が充実しない、適切な治療を受けられない中で、「ここがこう痛くてこれができなくて辛いんだよ」と弱音を吐くこともあるかと思いますが、その痛みや生活を想像できなくても、詳しいことについてわからなくてもいいので「そうだよね、そりゃ辛いよね」って一言気持ちを肯定していただけると嬉しいです。

また「適切な治療をすれば時間をかけて治せる」ということは、患者の希望にもなり、同時に「早く治療法を探して治さなきゃ」というプレッシャーにもなります。
「いつ治るの?」「ちゃんとリハビリしてるの?」と急かしたりせず、闘病している本人のペースに合わせた方がうまくいくかもしれません。

中には、立てるし歩けるけど、長距離は無理だから車椅子に乗っている方もいます。車椅子は歩けない人だけのものではなく、「生きていくために自ら乗ることを選んだ」という患者さんもいます。どうか心に留めておいてくれたら嬉しいです。

先が見通せず、見通そうとしても医療の限界や制度に阻まれる線維筋痛症ですが、患者さんは精一杯生きることを頑張っていますので、がっつり!というよりそっと静かに寄り添う気持ちを持っていただけると、いい関係作りや支援ができるかと思います。


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