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禁酒の心

自粛期間中やることがなくて、または、オンライン飲み会などのブームも相まって、家でお酒を飲む機会が増えたという方も多いのではないだろうか。
家飲みでは、つい油断して飲み過ぎてしまうということもあるだろう。アル中には注意したい。そこで、太宰治の「禁酒の心」という小説をご紹介させていただく。


時代背景

私は禁酒しようと思っている。このごろの酒は、ひどく人間を卑屈にするようである。..........今日この際、断じて酒杯を粉砕すべきである。

冒頭の文である。書かれた当時は戦時中で酒も不足しており、配給制であった。
なかなか手に入らない酒を手に入れる、また手に入れた酒を人に飲まれないように行動する人間の”卑屈さ”が描かれている。

はっきり分かれているわけではないが、この小説は大まかに3部構成になっている。一つ一つ私なりに要約していく。(ネタバレ注意)

青空文庫「禁酒の心、太宰治」


家での晩酌について

おそらく作者、太宰治のやり方であろう。日頃、酒を飲む者は配給された一升瓶に15分割した目盛りをつけ、それを毎日、1目盛ずつ飲む。2目盛飲んでしまった日には、1目盛分水を入れ、瓶を揺すって発酵をうながす。また焼酎には番茶を加え色をつけて「このウイスキーには茶柱が立っている、愉快だ」などと負け惜しみを言っていた。

以前は来客が来ようものなら、一緒に酒を楽しんだ。しかし、酒が少なくなってからは雨戸をしめ、コソコソ飲み、もし来客があった場合は慌てて酒を隠していた。


ああ、書きながら嘔吐を催す。


作者はこう言った感想をのせ、古来の典雅な酒の飲み方との対比を持ち出し、”それほど酒を飲みたいものか”と締め括り次のシーンへ移る。


酒を飲んだことのない人まで酒を飲み始める現象


ビアホールで、男たちの酒を奪い争うシーンに続いてこんなことが書かれている。


国内に酒が決してそんなに極度に不足しているわけではないと思う。飲む人が此頃多くなったのではないかと私には考えられる。

国内で酒が不足してきたという噂を聞いた普段酒を飲まない人々が、”まだ酒があるうちに酒というものを経験しておこう”という思考に至り飲み始めた結果、いつの間にか酒飲みになっていった、という趣旨のことが書かれている。


飲み屋での卑屈な人々たち


たまに酒の店などへ行ってみても、実に、いやな事が多い。お客のあさはかな虚栄と卑屈、店のおやじの傲慢貪慾、ああもう酒はいやだ、と行く度毎に私は禁酒の決意をあらたにする

店に入って、「いらっしゃい」と出迎えられたのは昔の話で、今は客が一杯でも多くの酒を飲ませて貰えるように店主の機嫌をとる。

笑顔で店に入って挨拶したり、植木屋でもないのに店内の植物の手入れをしたり、新規の客が来たら「いらっしゃい」と声をかけてみたりと、社会的に身分の高い人でさえ酒を飲むのに必死である姿が描かれている。

さらには、食べたくもないのに店主が勧める料理を積極的に注文して機嫌をとる。
もはや、飲みに来たのか、食べに来たのかわからない有様であるという。


まとめ

なんとも酒は魔物である。

こう言った文で、「禁酒の心」は締め括られている。

この作品で、”酒を辞めよう”と仕切りに言う作者は、禁酒を断行できずにいる。書いていて嘔吐を催しても、酒場での店主の傲慢な態度をみて嫌気がさしても、禁酒をしようと思ってもできない。
酒はそれだけの魔力を持っているということだ。


話はそれるが...


家飲みが多い今は酒に対する依存を高める危険性が高い。私だけかもしれないが、1人で飲んでいると、周りと自分を比べることができないため、自分が酔ってることに気付きにくい。よって量が増えてしまうのだ。

いまだ4Gの時代。オンラインで飲んでいても、ラグや画質の問題でこの周りとの比較はしにくいだろう。気を付ける必要がある。

自粛期間中、私も酒量が増えた。魔物に魂を売らないためにも、酒は控えたいものだ。




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