今年のふりかえり

 少し早い今年の振り返りを綴っていきます。自身の心の内を吐き出したものです。特に意味はありません。その前に、最近のどうでもよい思考を発表します。それは、わたしはフィクションの中でいうと、ヴィラン側で残念だということです。きっと、自分の中の正義を貫こうとし、最後は主人公にボコボコにやられる役回りです。
 きっと、わたしはヒロインに違いないとこれまで思い続けていました。ディズニープリンセスやちゃおのヒロインに憧れ続けていました。けれど、彼女たちになる条件は美しい容姿よりも、なによりも美しい心でした。今は醜く弱い心でも、いつかは正の側の心持ちでいられると信じていました。
 けれども、それはわたしにはあり得ない話なのだと、今年は痛感させられる年になったのでした。それでは、その心情のいきさつを今年の1月から4月までをすっ飛ばし、なんと振り返りの意味があるのだろうか、6月から追っていこうと思います。

6月

 この頃、わたしは嫉妬に狂っていました。内側からの咆哮を自分自身で抑えることがどうしてもできませんでした。過去のコンプレックスを刺激され、血眼になり喉から血反吐を吐くような勢いでそのことを必死で訴えました。広い部屋を用意されても、お金を出してもらってもまだまだ気が収まることは無く、日々が過去に囚われたまま心の身動きが取れなくなりました。

7月〜8月

 争いが絶えませんでした。自分自身のコンプレックスに取り憑かれ、人の気持ちを考える余裕など全くありませんでした。ただひたすらに苦しみのまま感情を表し、自身の悲劇のヒロインっぷりに拍車がかかりました。見ず知らずの女性が羨ましくて仕方ありませんでした。

9月〜10月

 何度も輪っかに首をかけようかと考えました。袋の鼠である状況下で、自身の咆哮を鎮めるほかありませんでした。何度も沸騰したお湯が溢れないようにするのは大変でした。どれだけ泣き喚いてもどんな言葉を投げても、通用することはありませんでした。北風と太陽でいうと、わたしは北風です。
 頭が悪いと言われました。そうだと思います。いいえ、考えなくてもいくらでもうまくやる方法など思いつく頭くらいあります。しかし、この肥大した憎悪、嫉妬、憎しみが理性に勝ることなどあるもんでしょうか。 

11月

 疲れました。必死になって謝る気力もないですし、もうそんな惨めったらしいことをしたくありません。それだったらもう、咆哮も棘も全て仕舞い込んでしまおうと考えました。以前のようなことは、最近はありません。
 でも、こうしてこのようなnoteを書いているということは、おわかりかと思いますが、まだまだまだまだ吹っ切れてなどいません。永遠に悔しい。見知らぬ女性が羨ましくて仕方ない瞬間は何度もあります。わたしのコンプレックスは一欠片ほどもその存在が認められることはないのに、その女性の困りごとは認められ、そこに佇んでいることを承認されていたのかと思うと、今でも暴れ狂いたくなります。
 22時ごろになると心臓のあたりが締め付けられます。本当は泣き喚き、咆哮を我慢することもなく、爪を立て、カリカリと夜通しドアを引っ掻きたいような心持ちです。でもそんなことをしたら、せっかく褒められるようになった顔も、この綺麗にネイルを施した爪も台無しです。最低限の容姿は保たなければなりません。
 
 そして現在12月。この心に飼っている野獣を撫でながら日々を送っています。もう、バカな真似はしません。輪っかに首をかける予定も今のところありません。ただ、野獣がしょっちゅう爪を立てて、カリカリ、カリカリと内側を引っ掻いてきます。わたしはその痛みに屈しません。


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