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アゲハチョウの飼育
アパートの軒先に金柑が植えられている。毎年、春になるとナミアゲハという蝶がその葉に産卵する。おしりを葉にくっつけて、ホバリングをしながら、一度に2個から4個ほどの卵を産み付けていく。産み付けられたばかりの卵の色は明るい薄黄色で、美しい輝きを放っている。
卵の中には無精卵も多くある。またその他様々な理由で孵化しないものも多い。しかし卵を産み付けていくチョウの数はかなりのものになるのでその分、孵化する個体数もそれなりに多くなる。孵化した幼虫が育つと、木の周りには黒い丸いフンが散らばり始める。しばらくすると外壁で蛹になった姿を見ることが出来た。
昨年からそこで生まれたチョウの幼虫を保護して自室で育てている。毎年5匹ほどを羽化させて、成虫になったらリリースしている。春から初夏に保護した幼虫はその年のうちに羽化する。晩夏から初秋にかけて保護した幼虫は冬越しをして、翌年の4月頃に羽化する。今年の4月、真夜中に2匹が冬を越して羽化した姿を見た時は、思わず大きな声が出てしまった。春になっても蛹の色が変わらないので、羽化する予感を感じなかったし、病気や栄養不足で羽化できない個体も多いことを知っていたから、おそらく羽化しないだろうと思って半ば諦めていたからだ。だから感動もひとしおであった。
保護したチョウはペットボトルで自作したケースに入れて育てている。終齢幼虫になるまではペットボトルの底だけを残して切り詰めたものにキッチンペーパーをひいている。エサは金柑の葉を与えている。時折、霧吹きで水を与えている。チョウはどんな個体でもきれい好きなので、ケースの中にフンが目立ち始めたらケースを掃除する。難しい世話はしていない。
三齢幼虫になるまでは葉だけを与えているが、三齢幼虫になったら小さな枝ごとケースに入れている。身体が大きくなった幼虫はケースの中をよく動き回る。少しでも自然に近い環境を作ったほうが良いのではないかと思ったからだ。
終齢幼虫に近づき、身体が更に大きくなったらペットボトルの上部を切り取ったケースに替える。横幅はそれまでの小さいケースと同じだが、縦に長くなることで幼虫が動けるスペースが広くなる。エサは少し長めの、葉が多めについた枝を入れる。この頃になると食べる量もこれまでとは比べ物にならないくらい多い。一本の枝を簡単に丸裸にしてしまう。
そうやって幼虫たちを眺めていると、全ての個体に共通してきれい好きであることがわかった。ケースが汚れてくるとはっきりと動きが減り、食事も取らなくなる。草食のためにフンに臭いはないが、幼虫たちには何か感じるものがあるのかもしれない。
そして個体によって性格に個性があることもわかってくる。ケースの中を落ち着きなく動き回るものもいれば、見ているこちらが不安になるくらいに大人しく寝ている時間が長いものもいる。高い場所を好み、常に上に移動したがる個体もいた。エサの好みもある。身体が大きくなってもに柔らかい新芽ばかり食べるものもいれば、小さいうちから少し厚手の葉を食べるものもいる。
個性が最も表出するのは寝床の作り方だ。寝床と言っても眠るための葉を決めているだけであって、巣を作るということではない。縄張りと言ったほうが適切かもしれない。葉が少し痛むとさっさと他の葉に移動するものと、どれだけ葉が枯れていてもそこで眠り続けるもの、と違いが出てくる。寝床は食料の確保と言う一面もあるようで、寝床を変え続けず、その寝床の葉が芯だけになるまで食べ続けてしまうものもいる。
ふとした時にアゲハチョウにも性格や意思、思考する能力があり、我々人間とは全く異なるアプローチで世界を認識しているのではないだろうかと考えたことがある。米粒みたいな小さな身体であるにも関わらず、我々と同じように心臓と口があり、消化器官をはじめとした内臓があり、排泄器官があるのだ。それは事実であるが、私の理解の外にある事実だ。だからチョウにも世界を認識するための臓器が備わっていると考えるのはそれほどおかしなことはないだろう。
幼虫が夢中で葉をかじっている可愛らしい姿はその日のことを全て(そしてその後でやらないといけないことまで)忘れさせてくれる。チョウを眺めているとき、まるで私の身体の周りに薄い膜が出来て、それが私とチョウを包み込むような感覚を覚え、その時の私はとても温かい気持ちになっている。これは神秘体験の一種なのだと思っている。
チョウはやがて成虫になる。羽化したばかりの成虫は即座に飛べるわけではなく、いくらか飛ぶ訓練が必要なようだ。羽化した直後は少し飛ぶだけで床に下に落ちてしまう。更に外の気温がある程度、暖かくならないと身体が思うように動かないらしい。
成虫は明るい方向に向かう習性がある。ケースから飛び出したチョウは私の部屋の、明るい窓際のカーテンに留まることが多い。ふらりと飛んでは落ちてを繰り返し、なんとかカーテンにたどり着いたチョウはそこで羽を休めながら、身体に活力がみなぎるのを待っている。場合によってはケースから出てきた後に私の手に留まらせて、開け放した窓際に運ぶ。
なかなか私のもとから飛び立たないチョウを見ると、私との別れを惜しんでくれているのではないかと考えてしまう。でもしばらくすると美しい羽を忙しなく羽ばたかせる。その姿は飛び立つことに怯えているようにも見える。あともう少し...と思っているとパッと足元が浮く。最初はふらついたように見えるが、高く舞い上がるにつれて力強く飛んでいく。
成虫の寿命は自然下ではおおよそ一週間程度だそうだ。力強い顎もなく、とびきりのスピードもないし、敵に襲われた時に反撃できるようなものは何もない。そんなチョウが生きていくことは、私達人間には想像もできないくらいに厳しいことだろう。私は飛び立つ前のチョウに必ず声を掛ける。元気でしっかり幸せに生きるんだよ、と。
この話をすると「チョウの恩返しがあるかもしれませんね」と言われることがしばしばある。それは悪い話ではないし、私も「なにかあれば良いね」と軽い感じで返す。でもこの神秘的な美しい時間を体験させてくれることがすでに恩返しだと考えているし、それ以上のことは期待しないようにしている。