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Don't judge a book by its cover.

私は女の中でいうと造形のよくないタイプ。
小中高はこの造形の悪さでいじめられることや馬鹿にされることも多かった。
「人は見た目じゃなくて中身だよ」って近くの優しい人たちはたくさん声をかけてくれた。
中学生の頃に通りすがりの人から「ブス」と言われたことも。
若い間は、整形したいとずっと願っていた。
鏡の前の自分を恨んだ。
それは4歳のころに家を出て行った父そっくりの顔だ。

母は自称、原田知世(若い方は知らないかも‥笑)
どうしてこっちに似なかったんだと毎回、コーヒーのCMを見て思っていた。
参観日に母が来ると「お母さんは美人なのに似てないね」と言われること100パーセントだった。

社会に出てからも

社会に出てからは大人ばかりだから、外見で人を判断なんてすると思ってなかった。それなのに「若い」や「美人」「かわいい」ということで冷遇されることがあることに私は衝撃を受けた。
特定の男性だけでなく、特定の女性からもだ。
社会に出ても化粧や髪を変えても相変わらずの顔と愛想も悪い(正直に顔に出る)私は可愛がられることもなく、他者との待遇の違いを嘆いた。
年齢的にもう若くもないのに現パート先でも未だにある。
どこへ行っても必ずそんな人と会う。明らかに話したこともないのに、態度を変える人が一定数いる。
そんな時、とてつもなく残念に思う。
私はその人のことを知らないし、私のこともその人はよく知らない。だけどその態度で私がその人のことを知る機会はもうないんだなと思う。

最近は落ち込むことも少ない。年齢とともに良くも悪くもこういうことを華麗にスルーすることができるようになった。
もしかしたら、年齢だけじゃなく経験から学んだこともプラスされたのかもしれない。
それは、私の中にある「その人のことを噂や外側で判断しない、自分で話してみて判断する」という信念(学生時代のいじめの経験から)と大きな一歩を踏んでみた20歳の時の経験からかもしれない。

カナダへ短期ホームステイ

社交不安障害、そしてパニック障害がまだあった頃に初めて行動したことがこれだ。(実際には社交不安と診断されていない時期)
中学生の頃から洋楽や洋画が好きで海外ドラマの影響もあり、海外に一度行ってみたいと思っていた。学生時代はお金が無く、母もお金がないからと高校の希望者全員が参加できるオーストラリア研修には参加できなかった。
ずっといじめや人生の辛い時の私を支えていたのは、音楽と映画とドラマで。中でも音楽は私の心の拠り所だった。
そんな私の好きな音楽を生み出した国、アメリカへ行きたかった。どんな文化なのか知りたかった。だけどアメリカへはお金が足らず断念せざるおえなかったけれど、今ではカナダに決めてよかったと思う。
カナダに行く前は、人前で大きな声を出せない、下を向いて顔を見せないように歩いたり(横断歩道や対向車に見られているような気がする感覚だった)、息が出来なくてバスを途中下車したり、外食できなかったり。
でも工場でお金を貯めてやっとの思いで行けるようになったのがカナダ。期間も長く行きたかったが、そんなお金はなかった。

大きく呼吸できる場所

カナダに行って、英語も別に喋れるようになったわけでもない(短期なので本当に語学学校も2週間しかいなかった)でも、私の中で得られたことが大きかった。
・誰にも見られていない感覚(開放感)
・どんな自分でも個人(人格)として扱われる嬉しさ
・何もかも英語でしなきゃならないことで行動力がめちゃくちゃついた
・英語という言語が、自信に溢れた表現なので少しずつ自分の自信が回復してきた気がした(実際はしどろもどろの英語だっただろうけど‥)
・外見のネガティブな話はそもそもしない。そこの居心地の良さはすごかった。
そのような体験を経て帰国した私をみて、一番驚きの声をあげたのが母である。
「別人みたい!」と言っていた。
そこからゆっくりとパニック障害は回復して、スローではあるがいろんなことに挑戦したいと思えるようになった。

後天的、天邪鬼

昔から芸能人のキレイ、美しいにはあまり興味がなく。
もともとオシャレにも疎いし、化粧も超絶下手。
そして私は天邪鬼だ。
物心ついた時から人とは違う格好、流行りものはどうせ似合わないんだからと諦めて、どう個性的にしたいのかわからない感じだった。

きっと美人になれなかったからの僻みなのかもしれない。そこから捻り出された天邪鬼なので、今考えると面倒な感じだったことは言うまでもない。
もちろん「可愛い」「綺麗」と言われる人たちのことは否定もしないし、本当にそう思う。けれどどんな人なのか本当にその人の内面を知りたいと思う。


美人の苦労

中学の時にとても美人だった友人(なみちゃん)がいて、なみちゃんは週に一度は告白されるような毎日を送っていた。
いわゆる私でいう知り合いに朝会ったら「おはよう」と声をかけられる挨拶レベルでなみちゃんは「好きです!」と言われているのだ。
当時の浅はかな私からすると少女漫画「りぼん」をリアルに体験している子が、なみちゃんだと感じていた。

いくら寝坊して朝ごはんの食パンを口に加えながら、道の曲がり角を曲がったとて誰ともぶつからないし、ある日曜にまだ出会ってない転校生と街中でちょっとしたトラブルを起こし、転校初日に「あ!あの時のアイツ〜」とお互いを指差すような日はない。
そう簡単に普通の中学生は少女漫画の「りぼん」のようなシチュエーションにはならないのにも関わらずだ。(例えが昭和の「りぼん」でごめんなさい)

当時、なみちゃんとはクラスも部活も帰る方向も同じだったので、よく一緒に帰った。そして話せば話すほど、なみちゃんのことが好きになった。ハーフではないのにも関わらず、栗毛で北欧風の顔立ち、背も高く、そして頭も良く、控えめでおとなしく、気が利いて誰にでも優しく、性格は穏やかだった。
だけど一番の彼女の悩みは、まだ男性に興味もない状態での突如の告白の嵐に大変困惑していた。私が勝手に少女漫画の世界にいると思っていたなみちゃんは、実際は苦しんでいた。私はこのとき本当に自分をバカだなと思った。望んでいるわけではないのに、追いかけられる苦しみ。経験したことのない、苦しみだったかもしれない。私はなみちゃんにとって何ができるかを考えていた。

一方、横にいた私と言えば、スナック菓子「カール」のチーズ味が大好き過ぎて毎日「カール」をこよなく愛していた。(今も好きです)当時は夕食さえも大量の「カール」で済ますような「カール」を愛すぎるがゆえ、そして野菜嫌いだったことに加え、かなりの偏食‥思春期の体格は徐々に逞しくなっていった。そしていつしか立派な彼女のボディーカードを務められるほどになっていた。

部活が終わるとなみちゃんから「一緒に帰ってもらえるかな?いつもごめんね」という控えめなヘルプを求められた。私はできる限り、なみちゃんと一緒に帰った。
そしてだいたいにおいて誰かがなみちゃんの下校を待っていて、告白するタイミングを見計らっていた。
同じ中学の男子なら「なんでお前がいるんだよ!」と絶好のチャンスを失って舌打ちしながら帰るのを見送っていた。だが、他校となると話は別で私と離れるタイミングを待っている状態。ずっと後ろから付きまとわれるようなこともあった。
なみちゃんの家は共働きだったこともあり、怖がるなみちゃんの誘いもあって私が彼女の家に入り、しばらく玄関のドアスコープでその男が帰るまで見守って帰ったことも。帰り際になみちゃんに「親以外にチャイムがなっても絶対、ドアあけちゃだめだよ!」となみちゃんの完全なるボディーガードと化していた。

そういう友人がいた為、容姿で人が寄ってくるというのも本当に大変なんだということは痛いほど理解した。
今はもうなみちゃんと会うこともないが、心から彼女が好きな人と一緒にいられることを願う。

リアルなものが好き

話をだいぶ逸れてしまったけれど、そんなこんなで私はリアルなものが好きだ。ドキュメンタリーや史実を元に描いた映画や漫画など。
事実と向き合うその人のリアルが伝わるから。もちろんフィクションも嫌いではないが、どちらかというとこっちが好き。
その人がどう考え、どう感じるのか、どんなふうにそれを表現するのか、言語化するのかも。
特にnoteやポッドキャストが好きなのはその理由かもしれない。
みんなのリアルが読めるし聞けるから、いろんな人の投稿を探しに行く。そこで考え方の違いや受け取り方、表現力、その人柄が文面や声に出ている。
そういうことを楽しめるようになったのは、カナダのおかげだと思う。ただ‥いい体験ばかりでなく、かなりのトラブルすぎる旅だったのでそれはまた別の機会に。

自分のことが嫌いじゃなくなった

私は自分のことが嫌いと思っていた頃は、他者の評価で私の顔の評価を決めていたからだと思う。
今は誰に何を言われても大丈夫と自信を持って言える。

私の外側には捉われずに、何十年も親友でいてくれる2人、祖父母、主人、娘たち、母からもらった全てが私は私のままでいいということを受け入れ続けてくれた事実が何よりも力となって自分の自信を補強してくれてる。

新たな出会いとして、パート先の同期や一部の先輩に関しても私を知ろうとしてくれてありがとう。
これからもさまざまな人と出会うけれど、社交不安障害なのに人が好きな私は様々な便利なツールを通じてたくさんの人の考えや人柄に触れたいなと思う。

そう考えるようになってから、今の顔を鏡で見た。
「今までいろいろあったけど、私らしい顔になってきたじゃん」と思えるようになった。








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眠たげなジンジャーエール
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