蒋介石主席の対日戦勝演説(「以徳報怨」スピーチ)紹介と雑感
【前置き】
あるところで、蒋介石の対日戦勝記念演説の話題が出ていたのです。
それで、原文(と言いますか、日本語訳)はどんなものか見てみようと思い立ったのですが。
意外とネットには日本語訳が転がっていない……というように見えました(実は後で見つかったのですが)。
結構重要そうな演説なのにそれはあんまりかなぁと思いまして。変に興趣が湧いたので、試しに機械翻訳をしてみたりしたのです。
そんな流れから、今回は同演説の音声、日本語訳、及び原文をご紹介します。あと、上述の機械翻訳もせっかくだから、一応末尾に載せておくことにします。
・中国語の原文につきまして。下に紹介の図書館リファレンスを見るに、テキストとして一番良さそうなのは『中央日報 : [重慶]』第2版,1945.8.16.(YB-AC11)、かなという直感が働きますが……
今回は、Wikisourceで見つけた次のものを難しい理屈抜きで採用します。
《追記その1》
本稿UP後、抗日戦争与近代中日关系文献数据平台(中国社会科学院近代史研究所)にて、この演説が掲載されている1945年8月16日づけ「中央日報」が閲覧できるのを見つけました。下は当該紙面の直リンクとスクリーンショット。演説の掲載は2ページ目。
・このスピーチには「以徳報怨」声明というあだ名もついているようですが、お読みになれば分かるとおり、そういうフレーズが文中にあるわけではありません。
「以徳報怨」というフレーズを蒋介石か誰かが別途用いたことで、対日方針を示す言葉として知られるようになったのか。あるいは内容から自然についたあだ名なのか……というようなことは私には全く分かりません。
・他に一点だけ私が思うことを書くなら。自分のイメージ的に蒋介石は、無限の仁慈をもって他者に対するというタイプとは到底思えないのです。
(西安事件後の張学良や、とりわけ楊虎城一家に対する扱いなどを見ても。)
従って「以徳報怨」というのも何かしらの政治家らしい計算が働いてのものではないかという気はするのですが(例えば、ヤケクソになった元日本軍兵士の蜂起の牽制、とか)。その辺は詳しい方の考察などに譲ります。
とは言え、この方針が当時の日本人に、天の助けのように思われたということも容易に想像できます。
《追記その2》
・本稿UP後、「(蒋介石の)以徳報怨」の項が中国語版Wikipediaに立っていることに気づきました。下に貼っておきます。
・「以徳報怨」……典拠として『老子』第63章「報怨以徳」があるそうです。
また、『論語』憲問篇14-36にも出てきて、こちらではやや否定的な評価がなされています。
【スピーチの原文、動画など】
スピーチの動画(とは言っても、音声のみ。映像は実況動画ではない)。
文字と異なる箇所もあるようですが、本稿では気にしないものとします。
(時間指定入り)
原文掲載のサイト(再掲)
日本語訳(率直に申し上げて、掲載のサイトはかなり主張が強めだと思いますが、その点はご了承の上でお読みください。)
また次の論文(和田英穂氏『国民政府の対日戦後処理方針の実際』)の冒頭にも抄訳が載っています。文章としてはこちらの方が読みやすいかも。
その他
さて、一方に蒋介石あれば一方に毛沢東ありというのが中国現代史ですけど。
この時期に毛沢東も戦勝演説をしたのかどうか、ネットでざっくり調べただけではよく分かりませんでした。
ただ、「抗日战争胜利后的时局和我们的方针」(抗日戦争勝利後の時局と我々の方針)という講話を1945年8月13日に行っているようです。日本の降伏交渉の様子などはある程度、毛沢東にも伝わっていたのでしょうか。
ここではその原文と日本語訳を掲載しているサイトのご紹介だけしておきます。
原文(中国語)
日本語訳
またこの先、気が向いたら他国の指導者の同様な演説もご紹介するかもしれません。
オマケその1(機械翻訳)
なんだか無駄になったような気もする機械翻訳ですが、せっかくだから以下に原文と併せ、対訳の形で載せておきます。
(実のところを言うと、日本語訳がネットにないと思って書きはじめたのがこの文章でしたので)。
間違いも多々あるようで、あまりお信じにならないでほしいのですが──ではなんのために載せるのだと言われそうですが(^_^;)──どうも完全にボツにする決心がつかないから、というようなところです。
動画(再掲)
抗戰勝利告全國軍民及全世界人士書
抗戦勝利にあたり全国軍民および全世界の人々に告げる演説
——中華民國三十四年八月十五日——
全國軍民同胞們:全世界愛好和平的人士們:
——中華民国三十四年八月十五日——
全国軍民の同胞たち、全世界の平和を愛する人々へ:
今天我們勝利了。「正義必然勝過強權」的真理,終於得到了他最後的證明,這亦就是表示了我們國民革命歷史使命的成功。我們中國在黑暗和絕望的時期中,八年奮鬥的信念,今天纔得到了實現。我們對於顯現在我們面前的世界和平,要感謝我們全國抗戰以來忠勇犧牲的軍民先烈,要感謝我們為正義和平而共同作戰的盟友。尤須感謝我們國父辛苦艱難領導我們革命正確的道路,使我們得有今天勝利的一天。而全世界的基督徒更要一致感謝公正而仁慈的上帝。
今日、我々は勝った。「正義は必ず強権に打ち勝つ」という真理がついに最終的に証明されたことは、我々の国民革命の歴史的使命が成功したことを意味する。私たち中国が暗黒と絶望の元にあった時期、8年間奮闘した信念が、今日実現しました。私たちは目の前に現れた世界平和について、我らの全国抗戦以来の忠勇な犠牲となった軍民の烈士や、正義と平和のために共に戦った盟友に感謝しなければなりません。特に感謝すべきは艱難辛苦して私たちを革命の正しい道すじへと導いた建国の父で、我々に今日の勝利の日を迎えさせてくれました。そして、世界中のクリスチャンが一丸となって、公正で慈悲深い神に感謝しています。
我全國同胞們自抗戰以來,八年間所受的痛苦與犧牲雖是一年一年的增加,可是抗戰必勝的信念亦是一天一天的增強;尤其是我們淪陷區的同胞們,受盡了無窮摧殘與奴辱的黑暗,今天是得到了完全解放、而重見青天白日了。這幾天以來,各地軍民的歡呼與快慰的情緒,其主要意義亦就是為了被佔領區同胞獲得了解放。
わが全国の同胞が抗戦を始めて以来、8年の間受ける苦しみや犠牲は年々増していきましたが、しかし抗戦に必勝するという信念もまた一日一日と強まりました。
特に、無限の破壊と屈辱の闇にさらされてきた占領地の同胞は、今日、完全に解放され、再び日の光を見ることができました。ここ数日、各地の軍人や民間人が感じている喜びや安堵感は、主に占領地の同胞が解放されたことによるものです。
現在我們抗戰是勝利了,但是還不能算是最後的勝利。須知我們戰勝的含義決不止是在世界公理力量又打了一次勝仗的一點上。我相信全世界人類與我全國同胞們都一定在希望,這一次戰爭是世界文明國家所參加的最末一次的戰爭。
今、私たちは抗戦に勝利しましたが、まだ最終的な勝利ではありません。私たちの勝利には、世界の正義の力がまた一つ勝利したという事実以上のものがあります。この戦争が、世界の文明国が参加する最後の戦争になることを、全人類と我が全国の同胞が望んでいると確信しています。
如果這一次戰爭是人類歷史上最後一次的戰爭,那麼我們同胞們雖然曾經受了忍痛到無可形容的殘酷與凌辱,然而我們相信我們大家決不會計較這個代價的大小和收穫的遲早的。我們中國人民在黑暗和絕望的時代,都秉持我們民族一貫的忠勇仁愛、偉大堅忍的傳統精神,深知:一切為正義和人道而奮鬥的犧牲,必能得到應得的報償。全世界因戰爭而聯合起來的民族,相互之間所發生的尊重與信念,這就是此次戰爭給我們的最大報償。我們聯合國以青年血肉所建築的這道反侵略的長堤,凡是每一個參加的人,他們不僅是臨時結合的盟友,簡直是為人類尊嚴的共同信仰而永久的團結了起來。這是我們聯合國共同勝利最重要的基礎,絕對不是敵人任何挑撥離間的陰謀所能破壞。
もし、この戦争が人類史上最後の戦争であるならば、同胞が筆舌に尽くしがたい残酷さと凌辱を味わったとしても、代価の大小や収穫の時期にこだわることはないと信じています。 私たち中国の人民は、暗く絶望的な時代にあっても、我ら民族の一貫した忠勇と仁愛、偉大な堅忍の伝統精神を保ち、また深く知っているのです:正義と人道のための奮闘の犠牲のすべてについて必ずそれに見合う報償が得られることを。戦争で結ばれた世界の人々の間に生まれた尊敬と信頼は、この戦争が私たちに与えてくれた最大の報酬です。我ら連合国が若者の血肉によって築いた反侵略の長い堤防は、参加したすべての人にとって、一時的に結びついた盟友ではなく、人間の尊厳という共通の信念のための永続的な団結です。これは我々連合国の共同勝利の最も重要な基盤であり、敵のいかなる離間挑発の策略によっても決して損なわれることはありません。
我相信今後地無分東西、人無論膚色,凡是人類都會一天一天加速的密切聯合,不啻成為家人手足。此次戰爭發揚了我們人類互諒互敬的精神,建立了我們互相信任的關係,而且證明了世界戰爭與世界和平皆是不可分的,這更足以使今後戰爭的發生勢不可能。我說到這裏,又想到基督寶訓上所說的「待人如己」與「要愛敵人」兩句話,實在令我發生無限的感想。
私は、将来、すべての人間が、東洋西洋を分かたず、その肌の色に関係なく、家族や兄弟のように、日に日に密接に結びついていくと確信しています。 この戦争は、相互理解と尊敬の精神を発揚し、信頼関係を構築し、世界の戦争と世界の平和が不可分であることを証明し、将来の戦争を不可能にするものであった。 このように話すと、キリストの教えである「自分がされたいと思うように他人を扱いなさい」「自分の敵を愛しなさい」という言葉が思い出され、限りの無い思いが起こります。
我中國同胞們必知,「不念舊惡」及「與人為善」為我民族傳統至高至貴的德性。我們一貫聲言,祇認日本黷武的軍閥為敵,不以日本的人民為敵。今天敵軍已被我們盟邦共同打倒了,我們當然要嚴密責成他忠實執行所有的投降條款;但是我們並不要報復,更不可對敵國無辜人民加以污辱,我們只有對他們為他的納粹軍閥所愚弄所驅迫而表示憐憫,使他們能自拔於錯誤與罪惡。要知道:如果以暴行答復敵人從前的暴行,以奴辱來答復他們從前錯誤的優越感,則冤冤相報,永無終止,決不是我們仁義之師的目的。這是我們每一個軍民同胞今天所應該特別注意的。
中国の同胞は知らねばならないが、「旧悪を念(おも)わず」、「人に善をなす」ことは、わが民族伝統における最高で最も高貴な美徳である。 我々は、武をみだりにした日本の軍閥を敵と認識するだけで、日本の人民を敵とは認識しないと一貫して声明してきた。我ら同盟国が共同して敵を打ち倒した今日、我々はもちろん、降伏条件をすべて忠実に履行するよう厳しく義務づけなければなりませんが、報復してはならず、まして敵の無辜の民を侮辱せず、ただ、ナチスの軍閥に騙され、追い込まれた彼らに慈悲を与え、その過ちと罪から自らを解放できるようにしなければなりません。
知っておかねばならないのは:敵の過去の残虐行為に残虐行為で、彼らの過去の誤った優越感に屈辱で報いるならば、仇を仇で返すことは永遠に終わらず、これは決して我らの仁義の師の目的ではありません。これは、軍人、民間人を問わず、私たち一人一人が今日、特別な注意を払うべきことです。
同胞們:敵人侵略中國的帝國主義,現在是被我們打敗了,但是我們還沒有達到真正勝利的目的。我們必須徹底消滅他侵略的野心與侵略武力,我們更要知道勝利的報償決不是驕矜與懈怠。戰爭確實停止以後的和平,必將昭示我們:正有艱巨的工作,要我們以戰時同樣的痛苦,和比戰時更巨大的力量,去改造、去建設。或許在某一個時期,遇到某一種問題,會使我們覺得比戰時更加艱苦、更加困難,隨時隨地可以臨到我們的頭上。
同胞の皆さん:我々は今、敵の帝国主義による中国への侵略を打ち破ったが、まだ真の勝利の目的に到達したわけではない。 我々は、敵の侵略の野心と侵略のための武力を徹底的に消滅させねばならず、また、勝利の報酬は驕りや怠惰ではないことを知らなければならない。戦争が明確に停止した後の平和は、必ずや我々に示すであろう:戦時中と同じ痛みと、戦時中以上の巨大な力量を要する、変革と構築のための極めて困難な仕事があると。多分ある時期には、ある種の問題に遭遇するかもしれず、それは戦時中よりも難しく、より困難と思え、いつでもどこでも我らの頭上に臨むかもしれません。
我說這句話,首先想到了一件最難的工作,就是那些法西斯納粹軍閥國家受過錯誤領導的人們,我們怎樣能使他們不只是承認他自己的錯誤和失敗,並且也能心悅誠服的接受我們的三民主義,承認公平正義的競爭,較之他們武力掠奪與強權恐怖的競爭,更合乎真理和人道要求的一點,這就是我們中國與聯盟國今後一件最艱鉅的工作。我確實相信,全世界永久和平是建築在人類平等自由的民主精神和博愛互助的合作基礎之上。我們要向民主與合作的大道上邁進,來共同擁護全世界永久的和平。
このように言うにあたり、私はまず、ファシストのナチス軍閥に誤って導かれてきた人々に、自分たちの過ちや失敗を認めるだけでなく、我々の三民主義を確信を持って受け入れさせ、公正で正しい競争が、武力による彼らの略奪や権力の恐怖による競争よりも、より真実で人道的な要求であることを認識させることができるかという、最も困難な課題を念頭に置いており、これは、我ら中国と連合国にとって今後の最も困難な課題である。私は、全世界の恒久的な平和は、人類の平等と自由という民主主義の精神と、友愛と相互扶助の共同の基礎の上に築かれるものと心から信じています。私たちは、世界の恒久平和を共同で維持するために、民主主義と協力の大道を進まなければなりません。
我請全世界盟邦的人士,以及我全國的同胞們,相信:我們武裝之下所獲得的和平,並不一定是永久和平的完全實現;一直要作到我們的敵人在理性的戰場上為我們所征服,使他們能徹底悔悟,都成為世界上愛好和平的分子,像我們一樣之後,纔算達到了我們全體人類企求和平及此次世界大戰最後的目的。
世界の同盟国の皆さん、そして私の全国の同胞の皆さん、こう思います:我々が武器の下で達成した平和は、必ずしも恒久的な平和の完全な実現ではありません。敵が理性の戦場において我々に征服され、完全に悔い改め、平和を愛する世界の一員となり、我々と同じようになって初めて、我ら全ての人類が求める平和と、今次の世界大戦の最終目標を達成したことになるのだと。
オマケその2
横浜の桜木町駅,日ノ出町駅からそう遠くない「伊勢山皇大神宮」には《蒋公頌徳碑》という石碑がある。これは「以徳報怨」に関連して蔣介石を称える趣旨のものである。
……ということは以前から知っていたのですが。
本記事をUPした後でちょうどその近くに用事が出来ましたので。参考写真を撮るのも良いかと思い、久しぶりに立ち寄ってみました。
そうしましたら、この日はなんと石碑がないのでした(!)。お化粧直しか何かの関係でしょうか? このまま撤去ということではないと思うのですが。
ともあれ、せっかく足を運んだのだし、ある意味レアな状況かもしれないので、がっかりな写真を一応、追加で載せておきます(^_^;)。
本来は次のページのようになっているものです。
トップ画像はWikipediaの「カイロ会談」より。言うまでもなく、一番左が蒋介石です。