「今ここにある危機とぼくの好感度について」最終話感想(ネタバレあり)
良い最終回だった。
①愛の目覚めについて
序盤、木嶋みのりに体調を心から心配されることで、「愛に目覚めた」神崎。前回のデートシーンでの「コイビトの涙の理由が自分を心配してくれているのかと思ったら全然違った」というくだりがよく効いている。
第二話で、木嶋みのりとの別れ際に放たれた神崎の言葉「俺、みのりちゃんに会えて良かった。同い年で、しかも女の人で、こんなしっかりした考えの人いるんだ、って」。そこには、若い女性を無自覚に見下している彼の思考が表れていた。そんな彼の価値観が今回、「みっともない自分を受け入れてくれる。そこに愛がある」と気づくことで大転換する。「カッコつけたい」男の人がこの境地に至るのは、本当に生まれ変わるほどの変化だろうと思う。神崎の場合、文字通り死の淵を見たからこその変化というのがリアルだ。
「目覚めた」神崎の行動は今までと打って変わって勇ましい。しかし、その勇ましさが、見ているこちらの不安を煽る。
②真実が負ける現実について
そして、やはり一筋縄ではない「現実」が描かれる中盤。リアリスト須田理事に不都合な事実が潰され、根回しされた各所が隠蔽に走り事実は葬られ(たかに見え)、絶望する神崎。彼の愛の挫折についての独白は唐突だったけれど、このあたりの流れは「真実の告発者が負ける」という後味悪くもリアルな、2話までの不正論文事件を思い出させる。このまま現実を映して、皮肉な風刺ドラマとして終わってしまうのか。論文事件で一度真実が敗北しているため、その可能性は高い。でも、木嶋みのりや三芳総長の思い、挫折しかけている神崎の「好感度以上に大切な愛」を応援したくて、ハラハラと展開を見守る。
③腐敗に名を付けることと、真実の学びについて
奇病の原因となる蚊は大学から流出した、という証拠を神崎たちが手に入れ、それが総長に渡り、総長が公表を決意しても、最後までどんな横槍が入るか心配で固唾を飲んで見守ってしまう。「正義は、真実を握る神崎三芳サイドにある」と思って見ているのに、須田理事の「大学の信用が地に落ちたら研究費も大幅に削られる。学問にも研究にも、金が要るんだ。この競争社会で生き抜かなくては」という主張を聞くうちに、心が揺らぐ。それは、須田の言うこともまた、残酷な「真実」だからだ。
それでも、「必ずや名を正さんか」。「病気だって認めないと、治療も始めらんないじゃん!」。総長は、この大学経営を「腐敗」と名付け、壊死した部分に深くメスを入れる決断をした。
見ていて心がひりひりする。公表に断固反対する須田理事や、髪を振り乱して公表を中止しようとする石田課長も、それぞれの正しさを信じているし、その歪んだ正しさを正しいものとさせてしまったのは他ならない、私達皆が作った「現実」だからだ。人命がかかった究極の局面で、「現実的に」学問を守ることと、「理想的に」真実をつまびらかにすることとが、ぶつかり合って激しく揺れる。
けれど、そうまでして守らなくてはならない「学問」はそもそも、何のためにあるのか。人間の命と、豊かさと、幸せのために他ならないだろう。そんなことを考えながら、マイクの行方を見守る。
神崎の震える指先が、総長にマイクを渡す瞬間。それが最も印象的なシーンで、神崎やみのりと同じく涙が出た。「人命のため、真実を公表」しようとマイクを持つ二人は、「優柔不断な総長と好感度第一の広報」ではなく、「知を愛し、学問を愛し、人を愛する、考古学研究の師弟」だということが、痛いほど伝わってきた。
真実は公表され、大学は信用を落とした。失墜した信用を取り戻さんと、真っ当に進んで行くラスト。清々しい終わりだった。
コロナとオリンピック…まさに「今、ここにある」日本の現状を鑑みると、理想論すぎる、現実味のないラストだったかもしれない。個人的には、三芳総長の存在自体がファンタジーだという気がする(ああいう決断の出来る人は室田教授化するし、須田理事タイプの人より上に行くことはあまりないだろう)。それでもあのような人物像を、総長として描いてくれたことに、このドラマの大きな意義があったのだと感じる。
現実を映すだけではない、理想的な「フィクション」は、いざ現実が混迷し未曾有の被害が生まれたとき、人々にそこから立ち上がる勇気と、進むべき道を与えてくれる。「病名が明らかになり、治療がはじまる」ときのように。
役者さんがみんな上手で、笑えるところも多く、見応えのあるドラマだった。神崎は本当にみっともない男だったけれど、木嶋みのりのような女性も惚れてしまうだろうと思える愛すべき純粋さを、松坂桃李さんが巧みに演じていたと思う。
ラストシーン、「恋人」に会いにいく二人の表情が愛しく映った。
#ドラマ感想 #今ここにある危機と僕の好感度について