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信じられるもの

人それぞれ、信じているものがあると思う。それは、神様の存在であったり、占いだったり、習慣だったり、人だったり。

私は、信じることが苦手。
それは、傷つきたくないから。
何かを信じると、何かに裏切られることがある。真摯に信じれば信じるほど、その瞬間の絶望感に耐えられなくなる。神様ですら、時に残酷な現実を与えてくるから。

だから、たくさん、言い訳を用意して、まるで最初から信じてなんていませんでしたよーと強がる準備を常にしている。もしもの時に、悲しまなくてすむように。

だったら、何も信じなきゃいいのに。
だけど、何も信じずに生きていくことも、なかなか難しい。何にも頼らずに生きていけるほど強い人間にはなれていないから。

よく、「あなたのためをおもって」という枕詞のもといろんなアドバイスをしてくる人がいる。
私はずっと不思議だった。
なぜ、あなたが私のためを思うのかと。それが、本当に100%私のためを思っていたとして、あなたに何の得があるのか。そもそも、あなたは私の全てを知れるはずもないのに、なぜ私の正解がわかるのかと。

これほど、信じられない言葉はないんじゃないか。捻くれ者だと思われるかもしれないけれど。
だけど、信じられるものと信じられないものの判断軸は持っているべきだ。

そんな私が、信じられるもの。
それは、win-winな提案をしてくれる人だ。

昔から感情の波があった。
特定の周期で、躁鬱というべきか、ひどく精神が落ち込んでいく時期があり、元気になりを繰り返していた。
会社では、いつも通り振舞っていたがSNS上では、感情を曝け出していたのでその波が明確にあらわれていた。
感情の波は自分で自覚していたが、直そうと思って直せるものでもないと思っていた。

あるとき、上司に雑談の中で、
「お前さー、躁鬱やめてよ、俺も感情を引っ張られるんだよね。」と言われた。何気ない言葉だった。
その時は、さらっと笑って終わったが
それから先、私の感情の波はおさまった。

人の感情に敏感だったので、感情を引っ張られることの辛さがすごくわかっていた。だからなのか、暗い感情の波が押し寄せてくるたびに、あの上司を巻き込んじゃうなーと頭によぎった。人は、時に自分のためよりも人のための方が自分を変えられることがある。

あのとき、「やめた方があなたのため」と言われていても、私はその言葉を信じなかった。だけど、俺が嫌だからやめてくれ。なら、信じられる気がした。だってその先に、裏切りがないから。裏切るのは自分自身だ。

自分のためが曝け出されたうえでの、言葉をきっと私は信じていく。

おまけ。信じるとは何かを考えるときに読んだ本。




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御伽(おとぎ)
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