優しすぎて生き辛い人のための『自分軸のつくり方』おわりに~自己受容の先にあるもの~
わたくしめがnoteデビューを果たしました2019年夏頃に書いておりました、“優しすぎて生き辛い人のための『自分軸のつくり方』シリーズ” というものがあります。
(なにげにnoteは一度離れてやり直してる出戻り組だったりします。)
結構一生懸命書いてました。共通言語のない人、正しさとか損得で生きられる強い人はどうか触れないでくださいお願いします。
↓これもくじ。たぶんフォロワーさん数人とかのときに書いたこれが全記事の中で今でも一番ビューの数が多い。なぜだ。
このシリーズは、今これを読んでくださっているほとんどのかたと出会う前に書いていたものです。
(今読み返すと恥ずかしくて涙目になる)
完結させたいと願っていたものの、八回目まで書いたのを最後に長い間続きが書けずにおりました。
九回目、最後を飾る記事を書く気分に、ずっとなれずにいたのです。
でもこうしてnoteでアウトプットを続けることで、自分のなかでひとつの終着点(という名の通過点、乗り換え地点)にたどり着き、そこで思ったことをこのシリーズの完結編として書きたいなと思いました。
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自分軸って結局なんなのかなって考えたときに、自分の世界観を背負うってことだって思ったんです。
常識や誰かの受け売りそのままでなく、情報を自分の身体で咀嚼したうえで、自分の言葉を話すということ。
自分の言葉を話すことで、自分だけの光が放たれる。
「みんなと同じ」をするために、
悲しいときに笑ったり、笑いたいときに深刻な顔したり、おもしろくもないのに愛想笑いしたり、尊敬もしてないのにへこへこしてみたり、もう限界なのに大丈夫ですって言ってみたり、
そんなことをしているうちに、人は自分の言葉が話せなくなる。
いつもいつも尖ったこと言う必要はないけれど、無難なことしか言っちゃいけない・思っちゃいけない毎日ってやっぱりかなしいし、おかしいよ。
「みんなと同じ」に殺されないでって、心底思います。
自分の言葉を話す回路が閉ざされると、生命力の光は弱くなっていき、「自分の人生を生きる」という生命体にとっての「普通」が出来なくなる。
以前『性はわたしに語りかける』という記事でもふれたのだけど、言いたいこと・やりたいことをぐっと我慢するたびに、性(=生)の力が抑えつけられていくのだよね。
そういった抑圧をこの自分軸メソッドの①〜⑧で書いてきたような方法で解放していくと、
その先で出会うのって、表現とか創作をしたくなる “欲” だったりします。
この欲が出てくるというのは、生命力が再びきらきらと輝き始めたということを意味します。
自己受容の先にあるのって、創造のエネルギーなんですよね。
自分自身と向き合ってきた人たちが、なんで揃いも揃ってみんな本書いたり発信活動をするのかなって不思議だったんだけど、自分自身が愛で溢れると周りに伝えたくなるんだろうね。
それが今はなんかわかる。なんかっていうか、すごくわかる。伝えたくなるというよりも、勝手にそうなってしまうんだ。
これも同じく『性はわたしに語りかける』の記事の中で、「被害者の対義語は創造者である」ということを言いました。
(被害者の対義語をわたしが加害者だとしないのには理由があって。何かのきっかけで加害者となってしまう人って、多くの場合、見えないところで自尊心の部分に大きな傷を被っていたりバグが起きてしまっている「かつての被害者」であるのですよね)
そして同じ記事の中で、自分自身からの I love you という言葉を、特になんの説明も添えずに「あなたは被害者でなく創造者なんだよ」と訳したのだけど、
耳を澄ますとわたしたちの命はいつだって、
「あなたは両手を縛られた被害者などではなくて、本来とても自由で豊かな人。本当のあなたは自分の世界を好きなように創造していけるんだよ」
って語りかけてくれていると思うんです。
自由に生きるために息をして、今日という日をクリエイトするために心臓が動いてくれている。
それって、自分自身からの最大の愛情表現なんじゃないかなって思うんです。
創造とか表現って言ったら、なにかすごいことのように聞こえるかもしれません。
でもそうじゃなくて、「言われたことをこなす」という生き方から「やりたいことをやる」「やりたくないことをしない」という生き方に変わるだけ。
小さなことからでも「やりたいことをやる」、「やりたくないことをしない」をする。
自分の心や感覚のセンサーにどこまでも敏感になる。他人じゃなくて自分に、従う。徹底的に。
そうやって自分の意志でする選択の積み重ねが、自分だけの世界観、自分だけの言葉を生み出していくのだと思います。
言われたことをこなす生き方を少しずつやめていって、その代わりに自分の言葉、自分の世界観を背負って生きていく。
その道の途中で、どんな人たちと出会ってどんな景色を見ることが出来るのか、わたしはその実況中継をこれからもしていきたいなって思うんです。
だからわたしというコンテンツは、わたしが死ぬまで終わらない。
自己受容の先に、自分軸を確立した先に、死ぬまで遊べる一生モノのおもちゃである【人生というコンテンツ】をわたしたちは再発見するのですよね。
生きるってことの難しさ、人間の怖さに一度は絶望したわたしが、このままこの人生を終えるのは悔しいから、人類全員に嫌われてもいいから言いたいこと言って表現したいこと表現して生きていこうって、そう思ったところから始まったこの道のり。
「もうどうなってもいいや」と思うところが、全ての始まりなのかもしれないですよね。
かかわってくださる人たちと共に、いつか来るこの世とのお別れの日まで、人生のクリエイターとして世界に感動しながら生きていきたい。
みなさんと共に、創造する者としてこの世界を楽しみたい。
そんな願いを込めまして、“ 優しすぎて生き辛い人のための『自分軸のつくり方』” シリーズをおしまいとさせていただきます。
ご清聴ありがとうございました。
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優しすぎて生き辛い人のための『自分軸のつくり方』
人の機嫌や起こる出来事に影響されやすく生きづらさを感じていた私が見つけた『自分軸のつくり方』。 「自分は社会で生き抜いていくにはちょっと…
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