【エッセイまんが】自分を責めずに生きていく方法
私は小学生の頃、仲良しグループのみんなから、しばらく無視されるという体験をしました。
このときから、ずっと自分の中に原因探し続けていましたが、
最近になってその体験を振り返ることがあって、彼女たちの行動の理由について、満たされない思いがあったからなのでは、と想像するようになりました。
私の心は、しばらくあの「小学生のクラス」という世界から抜け出せずにいましたが、この振り返りのおかげで、自分を必要以上に責めなくてもいいんじゃないかと思えるようになりました。
今回はそんなお話をまとめましたので、どうぞお付き合いください!
【エッセイまんが】自分を責めずに生きていく方法
「旅行で休むなんて、ズル休みだ」
小学校を休んで最初に登校した日。
友人から「どうしたの?」と訊かれて素直に理由を伝えたら、それはズル休みだ!と言われ、グループのお友達からの無視が始まりました。
小学校というコミュニティしか世界を知らなかった当時の私にとっては、
この出来事はかなり辛いものでした。
「ズル休み」で学習した事と、今思うこと
この経験から、何を学習したかというと「出る杭は打たれる」ということでした。つまり、「私って、みんなより不幸なんだよ~」と言う方が安全なのだということです。
この時は、「嫉妬」とか「羨ましい」とかいった感情をよく分かっていませんでした。けれど、振り返ると彼女たちは、もしかしたら私のことが羨ましかったのかもしれない、と思うのです。
小学生の当時、うちの家族は年に何回か家族旅行へ行きました。それに、欲しいものは大体クリスマスにサンタさんが枕元に置いてくれました。
私は、みんなそうなんだと思っていたし、
クラスのなかしか知らなかった私はお友達の家庭環境なんて想像したことがありませんでした。
この出来事を最近になって思い出して、ハッと考えたのは、
「彼女たちは、同じように旅行にいってたのかな?」
「我が儘を家族に言えていたのかな?」
「もしNOなのだとしたら
そのフラストレーションを何かにぶつけることが出来ていたのかな?」
ということでした。
満たされない思いはどこへ行くのか
当時の私は、無視された原因は自分にあって、「すべて自分が悪いんだ」と思い込んでいました。
でも、【彼女たち無視をした理由は1つでなはく、すごく複雑だったのかもしれない。】
この想像が出来たときに、なんだかホッとしたような、救われたような、心が軽くなったような気持ちがしました。
私のなかにまだ居る、小学生時代の自分自身に対して「あなただけのせいじゃないよ」って抱きしめてあげられたような感覚でした。
もしかして、満たされていたのは私の方で、そうでないのはあのグループの女の子たちの方だったのかもしれません。
大人だって、満たされない想いの解消は難しい。
小学生、欲求の満たし方をまだ知らない彼女たちは、誰かを無視するということでしかその感情を満たせなかったのだとしたら?
その想いはいったいどこへいくのでしょうか。
何かが、誰かが受け止める事になるとして、それがあの時は、たまたま私が受け止める順番が回ってきただけのことかもしれないですよね。
真実はもう分からないし、都合の良い解釈・妄想かもしれないけれど、
この妄想のおかげで、小さい頃の私は救われました。
そして、何か理不尽なことを言ってくる人にあうと、きっとこの人は何か満たされない想いを抱えて生きているのかもしれないなという発想が出てきて、大人の私も救われました!
少なくとも自分を責めることはなくなったと思います。
世界は広い。よろこびを分かち合う世界線で生きていこう。
私のように、小さい頃の世界から抜け出せずに大人になってしまうと、当時の学習が一般化されてしまって、「世界とはそういうものなのだ!」と言わんばかりに、全人類に適用してしまう人も居るとと思います。
実際、私は「私は【誰からも】無視されるような原因を持つ人間なんだ!」という、世界観フィルターを通して(=思い込みをして)いて、他人と関わるのにすごく神経質になっていたなあ、と思います。
でも、世界はあのクラスだけではなく、広い!
確かに、無視したり、嫌なことをしてくる人も居るかもしれないけれど、
広い世界のどこかには、自分の成功体験や「幸せなんだ」という話を、共によろこんで、きいてくれる人がいます!
私も、この記事を読んでくださった貴方も、
生きづらさを感じるような世界観フィルターを塗り替えて、自分のよろこびを分かち合える人と共に生きていけますように。そう願っています。