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ポテサラと唐揚げ論争。スクランブルエッグは手抜き料理か?

先日、ポテトサラダを買おうとした女性が「ポテトサラダくらい自分で作れよ」と見知らぬ男性に嫌味を言われたのを目撃したというツイートが話題になった。

つい最近には、唐揚げは手抜き料理だとする意見の男性がテレビに登場しており、Twitterのトレンドになっている。

ジェンダーの偏りの問題、手間を愛情とするか問題、自炊と惣菜のコストパフォーマンスなど、この件はいろいろな切り方をすることができるが、
手抜き料理とは何かについて思うところがある。

ポテトサラダと唐揚げの手間さ

この話題でよく語られる意見は、ポテサラも唐揚げも手間のかかる料理だということ。

たしかに、ポテサラはじゃがいもを茹でる、熱い状態で皮を剥く、マッシュするという大変さがある。また、それとは別で玉ねぎやにんじんも茹でておく=コンロと鍋の管理が面倒である。

唐揚げも、鶏肉がばらけていない場合は包丁で切るのが大変。そして包丁を洗うのが脂で面倒。
脂がはねる、それが夏だと余計に暑い。そして揚げた後の油を捨てるのが大変である。

たしかに大変だ。

手抜き料理を考える

では、何が手抜き料理になるのかを考えたい。
材料が少なく、料理工程が少ないものが候補になるだろう。

おにぎり、肉野菜炒め、スクランブルエッグあたりだろうか。

しかし、上に挙げた料理でも、
おにぎりは、熱々のご飯を握る手間があり、炊飯に拘ろうとするとしばらく水にお米をつけておかないといけない。
肉野菜炒めは、ジャガイモは皮むきが面倒だし、カボチャは切るのが大変で、ピーマンでさえタネを取らないといけない。
スクランブルエッグは材料一つと調味料で済むが、それでも使用後のフライパン洗いが手間として残る。

もっというと、料理を作る前にスーパーに行って食材を買う、なんとなくでも献立を考えること自体が手間になりうる。

結局、手間は個人差による

大学自体は料理をしていたが、いまはしていない身としては、洗い物をしたくないので、フライパンに油を敷くだけでも手間だ。
火の通りやすさを考えて食材を順番に炒めるのも、日曜に排水溝から生ゴミを掃除するのも面倒だ。
私にとっては、スクランブルエッグですら手間な料理である。

しかし一方で、毎日料理を作っていたり、そもそも料理が好きな人(の中)には、スクランブルエッグやポテサラや唐揚げは手間な料理ではないと考える人もいるだろう。

現に、わたしは「健康のために葉物サラダくらいは作ったら?」とアドバイスされることがあるが、これはアドバイスする人にとっては、葉物サラダはそこまで手間な料理ではないのだろう。

普段相当に美味しい料理、手間のかかった料理を食べている人にとっては、唐揚げやポテサラは手を抜いている料理と考えることがあっても不思議ではない。

共感を集めやすい集めにくいの程度はあれど、何が手間で手抜きなのかは、結局は個人差だ。

責めるときは発言者の背景も考えることが大事だと思う

人はそれぞれ考え方がちがう。
違う価値観による発言に、怒りや憤りを覚えること自体も良いと思う。

しかし、だからといって、唐揚げやポテサラが手間のかかる料理だと一般的に思われているのだとしても、
「手抜き料理だ」と発言した人がどういう意図や背景だったのかには注意を払わないといけない。

SNSは、短い言葉しか語れないし、注目を集めやすいから、つい強い言葉や断定的な言葉を使いたくなる。
手抜きだという考えに賛成する必要はないし、苦言も呈して良いと思う。
(もちろん手抜きだということに賛成してもいい)

ただ、相手の発言の背景にすこしでも思いを馳せてくれると、SNSはもっと優しい世界になるのではないか?と思う。

あなたにとって、スクランブルエッグは手抜き料理だろうか?

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なむなむ
お金を稼ぐということが大変だということを最近実感しています。サポートいただけると幸いです。