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電車という名のゆりかご

電車という空間を大真面目に考えてみたら、けっこうわけわからんことだらけだ。

四方八方の出発地から駅とよばれる施設につどい、切符とよばれるチケットを改札とよばれるシステムで提示することで利用できる。

そしてホームと呼ばれる乗り場から、二本のどこまでも並行するレールとよばれる鉄をつたって走る、列車とよばれる細長い車体に乗り込み、目的地へと向かう。

こう説明するとなんだか奇妙な儀式と思えなくもない。

なぜわざわざみんながんばって駅に集まって、この細長いのに乗ってるんだろう?とふと疑問に思うことがある。

みんなが良い感じに最寄り駅まで近くて良い感じに目的地に迎えればいいのに、これは本当に効率が良いシステムなのだろうか、と考えてしまう。

それに、赤の他人があり得ないくらいの距離の近さでそこに共在している。
電車じゃなかったら恋が始まるか通報されるかのどちらかだ。

うるさい走行音と数々のアナウンスも、他の業種なら近所迷惑だの騒音だの言われてしまうだろうに、わりとお構いなし。
なんなら禁止されている通話のほうがずっと小さい音だったりする。


どんなに広い土地、立派な街に住もうとも、電車で通う限りそこに特別待遇などはない。グリーン料金支払い免除なんて制度もない(はず)。

だから、どんな芸能人も学者も電車に乗るならみな同じ客。
通勤電車のなかはいつだって平等だ。

だけどやっぱりわけわからない。

この絶妙な「わけわからなさ」をだましだまし気にならないようにして生きているのが、われわれ日本人、とくに都会人なのかもしれない。

けど小さい子はそうはいかない。
電車で小さい子がぐずりやすいのは、この電車の「わけわからなさ」に直面し、半ばパニックを起こしているんじゃないかと思う。

内心どの子も「なにここ狭っ!人多っ!音うるさっ!みんな顔暗っ!なんだここ!?」と思ってるに違いない。絶対そうだ。

さて何年か前、NHKの『チコちゃんに叱られる!』で、電車で眠くなるのは電車の音と振動が母親の胎内に似ているからだという説を取り上げていた。

どうやらまだ定説とはなっていないようだけど、個人的にものすごくしっくりくる。

なにしろ、駅と駅の間が長いときほど、赤ちゃんや小さい子のぐずりがおさまる気がするからだ。

逆に、駅と駅の間が近く、頻繁にドアが開いたり閉まったりするときほど、小さい子たちが不機嫌でいるように思う。

母親の胎内を奪われた気持ちとか、急に起こされた気持ちみたいなのが生まれるんじゃなかろうか。

電車に乗るたびわが子が不機嫌になってお困りの方は、たまにはちょっとだけ速い電車に乗ってみるのもいいかもしれない。

泣かせっぱなしにしておくのは、あまりに哀しい。

そんなわたしは、帰りの電車だと7割ぐらいの確率で寝ます。

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