黒猫の目
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YouTubeに朗読をアップしました。
https://youtu.be/vmWDvawK_pg
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仕事で帰りが遅くなり、
雨も降り出して憂鬱な気分で僕は帰っていた。
電車を降りて15分。
僕はこの雨の中を帰らなくてはいけない。
傘はあるけど横風が吹いているので
僕の全身はもうびしょ濡れだ。
早く帰って風呂に入ろう。
夕食を取る元気もない。
風呂で温まったらそのまま寝てしまおうと考えていた。
この辺りは最近物騒で、半年の間に
近所の子供が数人行方不明になっている。
街灯のない薄暗い道に、手入れのされていない生垣。
神隠しにあったという噂も信憑性を増してくる。
いつから聞こえていたのか定かではないけど
かすかに猫の鳴き声がした。
僕は後ろを振り返る。
すると、夜のそこそこ激しい雨の中に黒猫が佇んでいた。
暗くて全身は見えないが、きっと猫もずぶ濡れなんだろう。
でも僕のアパートで猫を飼うわけにはいかないので
心の中で「ゴメン」と言いながら早足で歩を進めた。
黒猫はニャーニャー鳴きながらついてくる。
さっきはかすかに聞こえていた鳴き声が
とてもはっきりと甲高い音色で聞こえてくる。
すぐ近くにいる気がして振り返ったが足元を見てもいない。
薄暗闇の中、目を凝らしてみると3mほど後ろにいる。
猫の声ってこんなに通るものなのか。
そう思いながら前を向いて歩き出すとまたついてきて
まるで耳元で鳴いているかのようにニャーニャーと聞こえる。
その近さにドキリとして振り返ると足元にはいない。
やはり3mほど後ろにかすかに姿が見える。
なんだかおかしいな。
そう思いながらまた歩き出す。
ニャーニャー鳴きながらついてくるけど今度は振り返らなかった。
この猫は本当に猫なのか。
ニャーニャー聞こえるけど振り返ると鳴き止むんだ。
雨の薄暗闇で猫の目は確認できるけど
姿はほとんど見えない。
僕は猫が鳴いている姿を見ていないし
そもそも猫が動いている姿も確認できていない。
振り返るとただ、月の光のような瞳を光らせて
僕をまっすぐ見ているんだ。
それにこんなに雨音がうるさいのに
どうして猫の鳴き声だけハッキリと聞こえるんだ。
あれは猫じゃない。
僕が見ているのは猫じゃない。
あれはなんだ。
ひときわ大きな鳴き声がして僕は思わず走り出した。
もう猫ではないと確信した今、振り返ってはいけないもの、
目を合わせてはいけないものから距離をとりたかった。
家までついてこられたらどうしよう。
アイツは何が目的で僕に付き纏うんだ。
何もかもが怖くて、
もう帰ったら布団を被って寝てしまおうと思っていた。
がむしゃらに走っていたら、
いつの間にか雨は止み猫の鳴き声も聞こえなくなっていた。
寒くてなのか怖くてなのかわからない体の震えで
鍵を開けるのに手こずってしまった。
鍵を開け、ドアを閉めて着替えるのも忘れて僕は布団にくるまった。
もう大丈夫だ。助かったんだ。
そう思ったら少しお腹が空いてきた。
昨日作り置きしたカレーが少し残ってたな。
僕は冷蔵庫からカレー鍋を取り出し、火にかけた。
カレーがクツクツと煮え始めた頃、聞こえたんだ。
そうだ、それは猫というよりも
空気を切り裂く人の断末魔のような叫び声だ。
叫び声はすぐに静かな部屋に吸い込まれた。
怖くてやっぱり寝てしまおうとカレーの火を止めようとしたら
僕は見てしまった。
カレー鍋の中に二つの月のような瞳を。
僕はそのまま気絶をしたようだ。
気がつくと病院だった。
母親はよかった、よかったと泣いていた。
何があったのか聞かれてやっと僕は黒猫の事を思い出した。
母親にその日の出来事を夢中で話した。
信じてもらえなくてもいい。夢でもいい。
全部吐き出したかったんだ。
猫ではない何かに付き纏われて
そいつはカレー鍋の中で僕に向かって鳴いたんだと。
母はそれを泣きながら、うなづきながら聞いていた。
そして、もう大丈夫だからゆっくり休めと言ってくれた。
母に話して安心した僕はまたうとうとと眠りにつこうとしていた。
遠くから母と男性の話し声がボソボソと聞こえてきた。
母親がすすり泣いている。
男性は鍋から証拠がどうとか言ってる。
やっぱりあれは夢じゃなかったんだ。