正欲と共に考える「生きる意味」について。
【生きる意味とは?】
生きる意味とは何だろう…。
凄く哲学的な疑問ですよね。
答えを出すには、深く、そして難しい問いかけだと思いますし、この疑問は、いつか答えが出る日はくるのか……?とさえ思います。
私自身、生きる意味の答えは出ていませんし、それ以前に、この世に生まれた意味さえも、未だに分かっていません。
【子どものための哲学対話】
ここで、おすすめして頂いて読んだ、永井均さんの「子どものための哲学対話」で述べられていた、生きる意味を引用し、更に考察を進めていこうと思う。
この本の中で、生きる意味は遊ぶためである、と書かれていました。
また、この本の中で「遊ぶ」の意味合いは、このように定義付けされていました。
子どものための哲学対話の中では、生きる意味は【遊ぶため】、そしてその【遊ぶ】とは【その遊びとしてやっている事をやる事以外に意味や目的を求めない状態】と書かれていました。
つまり、生きる意味はない、という論理ですよね。
ただ、満たしたいと思う己の【欲】を満たしていくこと、それが生きるということ……。
この点、正欲や進撃の巨人とリンクする部分があり、哲学対話を読みながら、頭の中で断片的だった自分の考えが、糸で繋がったような気がして素直に感動しました。
そして、私は物事に明確な理屈を求める癖があるのですが、【私は物事に明確な理屈を求めてしまう、だから私は、生きる意味が分からないのではないか】と思いました。(今度は、何故私には生きる意味が理解出来ないのか、の理屈を考えているわたし……誠に草)(ややこしい)
【満たしたい欲】
では、今度は満たしたい欲について掘り下げていこう。
【欲】と言えば、人間の三大欲求と言われる「食欲」、「睡眠欲」、「性欲」がイメージしやすいですよね。最近はSNSの普及により「承認欲求」という言葉もよく耳にするようになりました。
人間の三大欲求と言われる欲は、所詮、一般化された欲、つまりマジョリティ的な欲だと、私は思っています。
それは、朝井リョウの「正欲」を読んだから、特にそう感じているのかもしれません。
朝井リョウの「正欲」に、水で欲求を満たす水フェチの登場人物達が出てきます。作中では、その登場人物達が、マイノリティ的な欲を持っている事と、日々生きづらさを感じながら生きている事が、並列的に描かれています。
そして、朝井リョウさんは、生きづらさを感じることなく、この社会に自然と馴染んでいる人達のことを、無意識的に明日も生きる前提で生きてる人達と表現していました。
この表現を読んだ時、明日当たり前に生きる前提がある人間でいられる為には、「マジョリティ的な欲」を持ってる事という条件があるように私は感じました。
これは視点を変えると、人間が明日当たり前に生きる前提は、「欲を当たり前に満たし続けていける保証」の元、成り立っているとも言えると思います。
つまり、ただ満たしたいと思う己の【欲】を満たしていくことこそ、生きるということであると……。
「子どものための哲学対話」と、表現は違うけれど、言っていることは同じですよね。
明日何食べようかな〜…明日はお鍋を食べよう!
友達と新しくオープンするカフェのケーキを食べに行きたいな〜!
半年後に開催される好きなバンドのライブのチケットを買えたからライブに行ける!
キャリアを積んで、30歳になる頃には海外駐在員に選ばれたい!
老後は田舎のログハウスでのんびり過ごしたい!
私たち人間は、大なり小なりこれらの夢や希望、つまり【欲】抱き、無意識的に生きていく前提をつくり出しているのだと考えました。
そして、どんな種類の欲を抱いたとしても、その欲を満たせる望みが薄くなった時、希望が絶たれた時、生きることを辞めたいと思うのかもしれない。
また、心理学者、マズローが提唱した、マズローの欲求5段階説と正欲の水フェチを持つ登場人物から考えられるのは、満たしたいけれども満たせない欲が、生理的欲求に近いものであればあるほど、生きることを辞めたいと、強く思うのかもしれません。
【スタバのジョイフルメドレーティーラテ】
私は現段階で、「正欲」と「子どものための哲学対話」で提示された生きることについて、強く共感したので、【生きる意味はない。目的も意味も見出さず、ただ己の欲を満たすことが生きることである】という考えに着地しました。
私は、しんどかった時に、その時は、特別好きという感情のなかったスターバックスコーヒーで、ホリデーシーズン限定のジョイフルメドレーティーラテを飲んだことがありました。ジョイフルメドレーティーラテの、温かさと美味しさと華やかな香りに凄く癒されて感動したのを覚えています。それから、冬のジョイフルメドレーティーラテを密かな楽しみにしていて、毎年飲んでいます。小さなことかもしれないけれど、ジョイフルメドレーティーラテを飲みたいという欲を抱き、ホリデーシーズンに飲んで欲を満たすこの一連のフローこそ、生きるということなのかもしれません。
欲を抱いて満たすことが、生きる事の本質か……
ということは、生まれるということは「欲を満たす権利を得ること」であるということだろうか…
また新しい気づきが得られて、嬉しい限りです。
【ゆるっとした感情の掃き溜め】
その1
私は、子どもの頃から、それなりに最近まで(まあ、今でも…笑)自分の可能性は無限大で、望めば、望んだ場所へはどこへでも行けるし、高みを目指せるって思ってたんです。それは、どんな事にもチャレンジしたいし、絶対自分なら叶えられる!そんな欲、望み、希望、そして根拠の無い自信を抱いていたからだと思います。大人になればなるほど、世界は広がって、欲求のレベルも高くなり、欲を簡単に満たせなくなりました。そして自分の限界を知ったものの、欲は消える訳ではないから、フラストレーションをためてばかり。人生は難しいなあと日々感じています。
その2
子どもの頃って、親の管理下、そして義務教育という国の管理下で生活しなければならないから、自由にできることは少なかったですよね。でもその拘束や制限があるからこそ、小さな世界でどんな夢も希望も抱けた。あの頃の純粋な価値観や感覚、キラキラした夢だけを見ていた自分には絶対に戻れないから、子どもの頃のことを思い出すと胸がきゅーってくるしくなるのかもしれませんね。
青春ゾンビの人格が……笑
その3
欲深いって、日本人の国民性が起因してるからか、悪い意味で使われることが多いけれど、生きるエネルギーで満ち溢れていると言う事では?と私は思ったので、むしろ欲深い事はいい事だと思います。私も欲深い人間ですが、それはエネルギッシュな人間である証拠と言えるのかもしれないなー、いいことじゃん。
そういえば大学一年生の時に、スポーツ心理学で、風景構成法を習い、教授に分析して頂いたんだけど、エネルギッシュな人間って分析結果を頂いた事を思い出した。その時の絵が残ってるので、今度別のノートに書いてみようかな。
その4
約3000字……軽く大学の期末レポート書いたくらいの文字数で誠に草。
読んでくださった方、本当にありがとうございました……! 笑