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【note】世界で2番目に嫌いな人物

義母について少しだけ書こうと思う。
夫が自死した今となっては私の中ではもう姑とも思えないのだが。

私は中2のときに母親を病気で亡くしている。(詳しくは、また)
家庭環境もあってか結婚願望が強かった。旦那さんのお母さんと仲良くなって本当の親子みたいになれたら良いな、なんて淡い期待をしていたのだ。

初めて義母に会ったとき、おしゃべりが止まらない明るい人だなと思った。
まだ入籍してはいないけど母の日が近かったある日、庭の手入れを毎日している義母に虫除け機能の付いてる日焼けしないアームカバーをプレゼントした。
口では「ありがとう」と言ってくれたが使っているところは一度も目にしないまま十数年。渡した翌週には「私は日焼け止めなんかしないの。パッとやって終わっちゃうからいちいちめんどくさいわ。」とワイドショーの日焼け止めグッズの特集を見て言った。あぁ、だから使ってないのか。趣味じゃない物なんかあげちゃって申し訳なかったな…と思った。

次に実家へお邪魔したとき、もう失敗するまいと旦那にリサーチをした結果「モノより食い物」「ジャムとかよく食ってる」とのことだったので手土産にボンヌママンのジャムをいくつか買って行った。ラッピングもしてもらい、今度こそ喜んでもらえるかなと。

義実家には運悪く義母の姉が来ていた。こちらもかなりキャラが濃いというか、昔「オバタリアン」というテレビ番組で見たな〜みたいな人だ。結婚式のことでも言われのないことで批判され、すごく不快だった。私は初対面から圧倒されていた。
私が義母にジャムが入ったラッピングされた箱を手渡すと、御礼の一言もなく包を開け「なんか貰ったけど…あげるわ〜。」と低いトーンで言い、おもむろに義母姉に横流ししたのだ。「悪いわね〜」と私ではなく義母に言う義母姉。時空が歪んでるのだろうか?はたまた蜃気楼?幻?いや、現実だ。
衝撃だった。ただただ戸惑いを隠すかのように振る舞ったのを覚えている。
これを機に義母の性格をしっかり認知したのであった。

それからはというもの、結婚式についてもいろいろ厄介な事があったり、子供が生まれてからも信じられないことが多々あった。子供を出産した当日も信じられないことがあった。
大事な日はすべて義母に台無しにされている、それが許せなかった。生理的に無理になった。
元々、アル中(酒乱混じり)の実父との生活で適応障害を発症していたが、義母からの連絡に動悸がするようになり、義実家から来いとお呼びがかかれば目眩がするようになった。抑うつ状態にもなり本当に辛かった。


結婚後、仲良い嫁姑像を捨てられず義実家の近くに移り住んでいたのだが、義母アレルギーになってからはスーパーでバッタリ会うのではと恐怖で気軽に子供と散歩にも行けなくなった。移り住んだ私には近くに友達もおらず気分転換もできずストレスは溜まる一方だった。それでも私は関係悪化を恐れて、ヘラヘラ愛想良く「明るい良い嫁」の仮面をかぶっていた。多くのお嫁さんがそうであるように。

そして、私が完全に反論をしないキャラを確立してしまったある日、私の家族を侮辱するような嫌味を言われた。ついに私の中の糸がプツリと切れてしまった。「片親とか複雑な環境で育った人が犯罪を起こすのよねぇ!」と。ニュースでやっていた殺人事件をみて、犯人がまだ肉親ともわからないのに、それを言うためだけにキッチンからこちらへ来て満足気に早速さとキッチンへ戻って行った。一瞬、何が起こったのかわからなかったくらいの早業だった。

冒頭でも書いたが私は中2で母を亡くしている。両家顔合わせにも結婚式にももちろん出席していない。当たり前だが、私が片親だと知らなかったは通用しない。
さぁ、あれから十数年経ち、あなたの孫もお宅の息子さんが自死して片親になってしまいましたが事件を起こすのでしょうか?孫にも同じこと言えます?と罵ってやりたいくらい今になって悔しさが侵食してくる。

1番残念なことは、夫が庇ってくれるわけでも義母を失礼だと嗜めるでもないことだ。こんな無礼な義母を嗜めるでもなく、逆に庇うのだから私の中で夫の株は大暴落である。
帰宅後に「さっきのアレ、聞いてたよね?」と愚痴れば「何が悪いの?悪気はないんだからオカンのことそんなに悪く言わないでよ。」の一点張り。悪気がないのなら余計に一緒にはいられない。私は傷付いているのだ。

限界になり、私は離婚したいと夫にお願いした。
まだ子供が赤ちゃんだったので、夫は離婚ではなく引越しを提案してきた。正直、私は義母と縁を切りたくて仕方なかったから、引越しするならちょっとやそっとじゃ行き来できない距離を取りたかったが、夫の仕事のこともありそれは叶わず、車で30分くらいの場所に引越した。
それでも、物理的に義母と距離を置いたことで胸のつかえが随分と楽になった。これで自由に外へ出られるし自分らしく生きられると思った。

引っ越してからすぐのある日、義母方の親戚(義母からしたら甥っ子)にバッタリ会った。
「なんで〇〇ちゃん(義母)から離れちゃうんだよ。可哀想じゃないか。悲しんでると思う。」と挨拶も早々に夫と叱られる。はっきり言って余計なお世話過ぎて固まったが、夫は苦笑いしていた。
義母は一体、この引越しをどう親戚に話していたのだろう。そういう透けて見える所も人として嫌いだ。

そもそも義実家の近くには夫の兄家族がいる。息子2人ともずっと手元に置いておかないと気が済まないの?少なくとも、私は嫌われ尊重されていなかった訳だから側にいなくちゃいけないなんて都合良すぎる話である。夫の今の家族は私と子供。そんなふうに思っていた。
夫の一族はつながりが異様に濃いところがあり、特に私が育ってきた環境とは180度真逆過ぎて、自分がその一員になるのが怖かった。ましてや義母がこういう人だから、余計に拒否反応が出てしまう。

私の母が生きていたら、義母のことをなんと言うだろうとふと考えることがある。
母は義母とは全く違うタイプで、お茶目だが人から頼りにされ、でも群れるわけでもなく余計なことも言わないクレバーな人だった。
今でも姉に、私の中で薄れている母がどんな人だったか尋ねると「非の打ち所がないひと」と答える。まさにそんな人。嫌味を使わずに人を気持ちよく動かすことができる人だった。(人を使うとかではなく、共感させる力がある。)
病気をしていたので父方の田舎へはほとんど帰ることができなかったが、そんな中でも親戚関係は良好で好かれていた。相手の気持ちを察し配慮することに長け、自分が病気で苦しいのに周りに気を遣えるひとだったのだ。とても無理だと思うがそんな母親になりたいと思っていた。

神様は不公平だ。
なぜ母があんなにも早く死んだのか。
義母は70代でまだ生きてるというのに。

夫はもういない。子供ももう成長してきて自分の世界がある。義実家との関わりはフェードアウトの方向で行きたい。(義母は何かと理由をつけ、月一くらいでウチに来たがるが。)
亡き息子の残した孫に会いたい気持ちは勿論わかるが、私が毎日暇してるとか何か勘違いしているのか、これまでなかった「子供を連れて泊まりに来い」や「夏は一緒に旅行へ行こう」などと口に出して求められるようになった。なぜ?と吐きそうになった。

夫にお線香をあげたいと家へきた時も、子供の誕生日付近でお小遣いをあげると事前に言っていたのに、「今日は持って来ないことにしたの。うちへ来たら渡すわ。近々連れて遊びに来れるわよね?」と行ったのだ。この言動に義母の全てが詰まっている。そういう人。

あなたの息子さんが自死したため、結婚後は専業主婦をしていたけど働きに出なくてはいけなくなったし、土日は子供の習い事で試合や当番もあってバタバタだ。当たり前だが、ひとりですべてやらなくてはいけないのだからあなた達に会う暇があるなら家のことをやりたいし、休息したい。そもそも会いたくもない。
夫が自死してもなお「あなたたちは私の傘下!逃がさない!」って感じるのが本当に義母っぽい。

もし私が義母の立場だったら、「まだ若いんだから、自分の幸せを見つけてね。きっと〇〇もそう思ってるはずだから。」と伝え、お骨も引き取ると言うだろう。

何度も「自死したせいで」というフレーズを使っている自分に嫌気がさす。夫には申し訳ない気持ちだ。
でも夫のことを想わない日は1日もない。
多分一生そう。
それが供養だとも思う。

だけど人の気持ちを雑に扱い、思い通りにさせたいだけの出力が強い人は嫌いだ。

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