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【毒親との記憶は、水に流すことにした5】遠足の日だけ豪華になる母の手料理

幼い頃から爪がボロボロになりやすく、爪切りを使うたびに欠けてしまい、縦筋も入っていた。あまりに日常的だったため、「こんなものだろう」と受け入れていたほどだ。

だから、大人になってから二枚爪の主な原因を知り驚いた。

  • 爪の乾燥

  • 栄養不足

  • 血行不良

  • 鉄欠乏性貧血

爪の縦筋も「乾燥」や「栄養バランスの偏り」が影響するとされているらしい。

今振り返ると、心当たりがあるのは「栄養不足」と「血行不良」だ。わが家は昭和の一般的な家庭で、母は専業主婦。家事全般を女性が担う環境だった。

母の食生活と家庭の食事

母は食に興味がなく、細身の見た目に反して好物はジャンクフード。お寿司は食後のコーラとセット、『ツインピークス』を観るときにはレディーボーデンの470mlサイズが欠かせないという人だった。

私が成長するにつれ、コンビニやファストフードが当たり前になり、家庭の食事にも取り入れられるようになった。冷凍食品の出番もどんどん増えていたように思う。合理的といえばそうかもしれないが、母には十分な時間があった。

その証拠に、夕食の準備は16時頃から始めるのが常だった。ところが、2時間後に食卓に並ぶのは、「はんぺんを焼いて醤油を垂らしただけ」といったシンプルな料理。たまに登場するハンバーグも、焼いただけだった。

大きくなって初めて、ハンバーグにはソースがあると知り、本来はふっくらジューシーな料理だと知った。わが家のハンバーグはカチカチで、水分なしでは飲み込むのもひと苦労だったのに。

高校時代のお弁当

高校生になると、お昼はお弁当が必要になった。卵焼きとミニトマト、ご飯の上には味のない海苔。そして、主菜は冷凍食品が1種類だけ。そんなお弁当を毎日持たされた。朝早くから作ってくれることには感謝していたものの、周りの子たちは一口サイズのそうめんや飾り切りされた煮物を広げている。多感な時期もあって、気まずさを感じるようになってしまった。

いつの間にか、私は人のいない理科室でお弁当を食べるようになり、人と食事をすること自体が苦手になってしまった。事情を知った友人が一緒に食べてくれたことには、今でも感謝している。

この経験のせいか、私は子どものお弁当づくりに必要以上にこだわってしまう。栄養バランスや見た目を気にしすぎるのは、高校時代の反動なのかもしれない。

母の「得意料理」とは

そんなわが家の“お袋の味”は、「豚バラブロック肉のカレー」と「ポテトサラダ」だ。父も兄も何かあるとリクエストし、私も当たり前のように母の得意料理として挙げていた。

何しろ、カレーを作るときだけは母の気合いが違った。前の日から具材を煮込み、玉ねぎはとろけて消えるほど。ルーは決まってバーモントカレーの甘口で、隠し味はなし。トロトロで、味は濃いめ。

そう、母の料理にしては驚くほど味が濃いというのがポイントだった。普段の料理は、どれもぼんやりとした味付けで旨味を感じにくい。ドレッシングを作っても、サラダの水気を切らないせいで薄まってしまう。だからこそ、はっきりした味付けのカレーは特別だったのかもしれない。

一人暮らしをしてから気づいたのだが、母はカレールーを入れたあとも煮込み続けていた。トロトロだと思っていたものは、実はドロドロで、濃い味の正体はルーに含まれる塩分だったのだろう。ポテトサラダにいたっては、塩こしょうはせず、マヨネーズのみ。ハムときゅうりが入っていたかどうかも怪しいレベルだった。

試しにレシピ本を見ながら作ってみると、カレーもポテトサラダも、思いのほかお店の味に近かった。母の口癖は「家では外食の味は出せない」だったけれど、料理初心者の私でもわかるほど、味付けに問題があったのだ。

母にとっての料理とは

おそらく、母にとって料理は苦行だったのだろう。家族にしか評価されない、興味の持てない作業。人の目を気にする母にとっては、きれいに洗濯物を干すほうが、よほどやりがいを感じたに違いない。

その証拠に、イベントや行事の弁当だけは気合い十分で臨んでいた。遠足の前はざわざ本を買い、一口サイズのおにぎりにさまざまな味をつけていた。幼稚園の頃は、おひなさまをかたどった茶巾寿司がお弁当箱に入っていたこともある。

誰かが「すごいね!」「いいお母さんだね」と褒めてくれる場面では、母は本領を発揮していた。つまり、やろうと思えば料理はできたのだ。地域の恒例行事だった誕生日会でも、母はブラウニーのようなケーキを披露していた。

おかげで、同級生や保護者からは「いつも美味しいものが食べられていいね」とうらやましがられた。そして、これを書きながら、夕食のメニューに「うどん」と答えて怒られた理由も、なんとなくわかった気がする。

母の子育ては、世間に向けたものだったのだろう。目の前の子どもを育てるのではなく、「母親としての評価」を得るための行為だったのかもしれない。

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