見出し画像

ためにならない屈折語の話

はじめに

こんにちは、かっぱちゃんです。

前回の記事(自己紹介)では、自己紹介がてら、ぼくが言語学を勉強し始めるきっかけをご紹介しました。簡単に説明すると、「第二外国語の講義を受けているうちに、言語を使って何か別のものを研究するつもりが、言語そのものに興味を持ってしまった」というお馬鹿な話でした。

ぼくが大学の初年次に外国語科目として履修したのは古典ギリシア語・ラテン語・ドイツ語の3つ。これらはいずれも屈折語とよばれる言語分類に含まれるものです。

これまでいくつもの言語を学習した経験を振り返ると、もしかしてかっぱちゃんが求めていたのは屈折語だったのでは…?ということに思い至りました。

そういうわけで、今回はためにならない屈折語の話というテーマで記事を書いてみました。前回の記事の内容も踏まえ、「どうしてぼくは英語を好きになれなかったのに、ギリシア語やラテン語は好きになれたのか」という観点からテキトーに書いています。

タイトルを見れば明らかですが、言語学を専門にしている方にとっては「何だそんなことか」と思うような初歩的なことしか書いていないでしょうし、詳しい言語学の話を期待している人はとくに注意ですよ。

屈折語ってなんなのか

まず屈折語(英:inflected languages または fusional languages)とは、簡単に説明すると、語を構成するさまざな要素が融合してしまい、それぞれの境界が明確に分かれていない言語のことをいいます。まだまだわかりづらいかも。

英語のplayという動詞を例に考えると、playは3人称・単数・現在時制でplaysというかたちになりますが、どの部分が現在を表わし、どの部分が単数を表わし、どの部分が3人称を表わしているのかは、形態の上ではっきりと分けることが難しいですよね。はい、この基準だと実は英語も屈折語なんです。

ちなみに、屈折語のように言語の形態的な特徴に基づいた分類には、膠着語孤立語があります(あるいは、これに抱合語を含めることも)。膠着語には日本語やトルコ語、孤立語には中国語などが含まれます。このように世界中の言語をいくつかのグループに分類し、人類言語に共通する普遍的な性の発見を目的とした言語学の一分野を言語類型論といいます。

とりわけ以上で述べた3つ(4つ)の分類は、アウグスト・シュライヒャー(言語の系統樹説を提唱した人!)に代表される19世紀の言語学者たちによって定式化された古典的類型論によるものでした(古典なので当然古い。今はもうちょいちがう解釈の仕方になっています)。

この辺りのことが気になる人はまずはキーワードをWikipediaとかで検索してみてね。

さて、話を戻しますが、ぼくが履修したギリシア語・ラテン語・ドイツ語はいずれも屈折語に該当する言語でした。でも実際には英語も屈折語であるという説明もしましたね。じゃあ英語とこの3つの言語のちがいはどこにあるのでしょう。

屈折が「多い」「少ない」

ギリシア語やラテン語はまさに屈折語の代表格です。他には古代インドの言語、サンスクリットなどが有名ですね。

屈折(英:inflection)とは、つまるところ一つの語がさまざまな語形に変化して実現することとでもいいましょうか。これらの西洋古典語は、動詞変化から名詞や形容詞の変化にいたるまで、英語とは比べ物にならないほど複雑な語形変化を持っています。どうにもこの語形変化の多さがぼくには新鮮に映ったんでしょう。

ちなみに、動詞の屈折のことを活用(英:conjugation)、名詞や形容詞の屈折のことを曲用(英:declension)というので余裕がある人はぜひ覚えちゃってください。

そしてまた、屈折語にみられる屈折(つまり語形変化)の度合いには、言語によってかなりバラつきがあることが知られています。屈折語のなかにも屈折が「多い」「少ない」というちがいがあるんです。なかでも英語は屈折の度合いがかなり小さく、英語の語形変化といえば、人称代名詞動詞の3単現の-s(この響きめっちゃ懐かしい!)などのごく一部に残っているにすぎません。

「残っている」ということはですよ、つまり英語は元々たくさん語形変化を持っていたわけなんです。今日われわれが目にしている英語は、歴史的にさまざまな変化を被ってきた果ての姿ということになります。もう荒みまくりなせいで、今では不規則と思われる文法規則がけっこうあります。細かい話はここではできませんが、皆さんもそれで頭を悩ませた経験があるんじゃないでしょうか。

英語って世界的に使用されている言語のわりには全然スタンダードっぽくないというか不思議な部分が多いと思うんですよ。その理由はどうしてかってことを突き詰めていた結果、ぼくは「屈折語なのに屈折語っぽくないから」という結論に至りました。

あくまでぼくはですよ。個人的な感想です。

屈折語だけど屈折語じゃない?

じゃあ英語のどういうところが不思議なのかっていうところを言語学との関連で少しみていきましょう。

英語においては屈折的な特徴が減少したかわりに、前置詞の使用が発達したほか、語順の固定化助動詞をともなった時制形が確立しました。言語の変化は止めようと思って止められるものではありません。ある要素がなくなったままでは言語の運用上不都合が多いでしょうし、英語話者はそれを補うために代わりとなる別の方法を用いたわけです。

言語学的には、英語のような変化の仕方を指して分析的傾向を強めたとかいったりします。「分析的」(英:analytic)というのは、哲学の用語でもあるんですが、とりあえず意味としてはあるものについてそれを構成している要素ごとに切り離せるくらいに考えてOKです。例えば、英語ではof + 名詞のかたちをとるものが、大まかにいうと「(名詞)の」と解釈できる場合がかなり多いと思います。このとき、ofと名詞のあいだには形容詞や冠詞など別の要素が入ることもできますよね。つまり前置詞のofが「の」の意味を担っているだけでなく、名詞から独立して機能しているということがポイントなんです。

「分析的」の対義語には「総合的」(英:synthetic)があります。簡単にいえば、要素どうしがくっついちゃってるということです。また、この「総合的」という考え方には、膠着的融合的という下位範疇があったりします。覚えてますかね、古典的類型論のあたりで似たような言葉が出てきました。あと「屈折語とは~」の説明の部分とか。

「膠着的」と「融合的」もそうなんですが、ここでいう「分析的」とか「総合的」というのは、あくまでグラデーション的な区別であって、明確に両者を線引きできるものではないってことだけ押さえておいてください。

これまでの説明を振り返ると、英語という一つの言語をとっても、動詞のplaysのような例では総合的な側面が、of + 名詞のような例では分析的な側面があるということがわかりました。(やっぱり英語って変わってんなぁ…。)

ごく簡単なことしか書いていないので納得いかないとか物足りないという人もいらっしゃると思います。そういう方はご自分でも英語の総合的な部分と分析的な部分を探してみると面白いかもしれません。

屈折って素晴らしい(?)

それでは、そんな屈折の「少ない」英語に対して、ギリシア語やラテン語などがどうなっているかをざっとみていきましょう。というかむしろこっちから説明するべきだった…。

すでに述べたとおり、こっちは凄まじく語形を変化させる言語でしたね。(ドイツ語の屈折度合いは英語ほど減少してはいないのですが、ギリシア語などと比べればまだかわいいものです。)参考になるかはわかりませんが、以下の画像をご覧ください(見づらくてすみません)。

ラテン語動詞変化r

これはぼくが学部生の頃にExcelで作成したラテン語の動詞変化表一部です。

実はこれ、語幹を入力すると自動で語尾を付け足して各語形がわかるように自分でCONCATENATE関数とか組み合わせてつくったんですよ…!

というのは今は置いといて。(致命的なミスがあるので自信がある方はご指摘してください。)

ここで一部と表現したのは、この表が第1変化動詞の変化表であって、ラテン語の動詞変化はこれだけでは網羅していないからです。ラテン語の動詞には、この他にも第2変化動詞、第3変化動詞、第4変化動詞があり、それぞれが少しずつ異なる変化の仕方をするんです。いやー恐ろしいですね。

しかもラテン語やギリシア語では動詞以外に名詞や形容詞も変化するんでしたね。しかし、どんな言語を学ぶにしても覚えなきゃならないことはたくさんあります。この言語では語形変化が重かった、それだけです。

まあでもやっぱり語形変化表は複雑でなんぼですよ。これはこれで絶景です。何たってこれは英語では味わえませんからね。

雑な結論:かっぱちゃんは語形変化フェチ。

おまけ

先ほどはラテン語の動詞変化表をお見せしましたが、実はサンスクリットの動詞変化表もExcelで作成したものが手元にあるので、おまけとして以下に貼っておきますね。

サンスクリット動詞変化

左側が動詞の変化表で、右側が活用語尾になります。

サンスクリットは動詞の語幹の形成方法が複雑ですし、ぼく自身が機械オンチということもあり、語形を自動算出するように関数を扱うのはけっこう苦労しました。でも意外と頭の整理になるので暇な人にはオススメです。

ちなみに、サンスクリットの動詞変化の仕方には第1類から第10類まで区別があります。そのうちの第1類変化を示したのが上の画像です。これで実に10分の1とは恐れ入りますよね。(名詞だって面倒くさいのに…。)

おわりに

いろいろ書いてきましたが、結局何が言いたかったかというとぼくが求めていたのは屈折語らしい屈折語だったということです。英語なんてけしからん。皆さんもぜひ屈折語らしい屈折語としてギリシア語やラテン語を勉強してみてください。

話は変わりますが、大学の西洋古典語の講義は年々履修者が減っているという大問題に晒されています。今は大丈夫でもこのままでは開講そのものがなくなってしまうということもあるかもしれません。以前、ぼくの指導教官が言っていた「ギリシア語やラテン語が学べない大学なんて大学じゃない」という言葉が今でもとても印象に残っています。

文法書

写真は大学で使用したギリシア語とラテン語の文法書。

最後のほうで語形変化表をドカンと見せられたからって「やっぱりギリシア語やラテン語勉強するのやめようかな」なんて思わないでくださいね。

あんな目がチカチカしてくるような変化表をいっぺんに学習するというほど大学の外国語科目もではありません。例えば「この課では直説法現在をやりますよー」「今回は未完了過去ですよー」というように情報を小出しにすることで、ジワジワと初学者の脳を麻痺させていきます。まあ、そもそも参考書がそういう体裁になってはいるんですが。

そういうわけで、語形変化が多いとはいえ、これまで英語しか知らなかったという人でも意外とすんなり学習し始められるんです。むしろ他の外国語よりもわかりやすいと感じる人もいるかもしれませんね。

それでは最後まで読んでいただきありがとうございました。

(記事のなかの説明にはひょっとすると誤りがあるかもしれません。お気づきの方は遠慮なくご指摘ください。)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?