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新宿のお祭り

 一九九七年の五月、初めて新宿駅で降りた。テニスサークルの飲み会があるのだ。ちょっと足がふわふわする感じがして、強く地面を踏んで前の人をあえて追い抜く。人が賑やかに話しながら過ぎていく。手に何かのカップを持っていたり、串にささった果物のようなものを持っていたりするカップルもいる。きっと今日はお祭りをやっているんだと思う。
 数日経った平日、午後の授業が休講になった。智が「買い物いこーぜー」という。横浜に行くはずの駅で、やっぱり新宿に行きたいというと、あぁいいよーと返ってくる。
 駅を出ると、ツンツンの髪でベルトから伸びる鎖をじゃらじゃらさせた男が、すれ違う女性に声をかける。駅前のフェンスに腰掛けて黄色い袋に入った唐揚げにかぶりつく男の隣で、串にささったメロンを食べる女性の目元がすごく黒い。どちらもひどく日焼けしている。街が浮ついていて、今日もお祭りか、疲れるなと思いながら丸井メンズ館に向かう。
 丸井メンズ館にもたくさんの人がいる。茨城育ちの智は、平日休みの人も多いんだよ美容師さんとかねというので、たしかに美容室いっぱいあるもんなと思った。トルネードマートとミシェルクランオムで迷い、結局迷いながら見つけたPPFMで安くなっていた六千円のパンツを買う。ファーストキッチンで四八〇円のバーガー、ポテト、コーラのセットでだらだらする。新宿ってすげーなというと、智は気だるそうな顔で「なー」といってシェイクをズズズとすする。智は手首に白いG-SHOCKを巻いているのが見えて、自分よりずっと先にいるんだと気づく。
 三日後、再び新宿に行く。パンツの裾上げができているはずだ。学校が終わって日が暮れた頃だった。東口を出るとノースリーブに短パンの女性が革のジャケットを着た男性と腕を組んで歩き、数人の男がタバコを吸って立っている。アルタ前の横断歩道が青になり、熱気に押されて人の流れに乗って歩いてみる。突然果物屋さんが出てきて、串にささったメロンやなんかのフルーツが売られている。
 このとき、お祭りでもなんでもなかったんだと気づいた。毎日大量の浮かれた人間が行き交い、それがエンドレスに繰り返されているのだ。ということは、東京の都会は、渋谷だって原宿だって池袋だって品川だって六本木だって、どこも毎日こんなに人だらけなのか。一気にイメージが膨張して頭がぱんぱんになる。
 けばけばしい色合いの看板にビデオと書かれた店がたくさん見えてくる道をぼんやりと歩く。ピンクに赤に鮮やかな青、緑、黄色。「お兄さん」と声をかけられて立ち止まると、看板と同じような色合いのはっぴを着た男が、おっぱい足りてますかといって近づいてくる。「あ、いや、えと丸井メンズ館はどっちですか」
 はっぴは、えー? あー、といいながら方向を指差してから、こちらの耳元で「おっぱいいっぱいだよ」という。なんだか見透かされたような感じがして引く。「あ、あざす」といって逃げる。なんだか重い液体を飲まされたような気持ちになって、それから新宿はしばらく行かなかった。

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