阿字ヶ浦海水浴場|とわ
「よおく、わたし一人であんたたち三人を連れて行ったと思って」
母はよおくと強調するように大きく頷いて言う。夏休みは父の友人家族とキャンプに行くのが恒例だったが、みちるが小学四年生か五年生のその年だけは、母と子供たち三人で大洗まで海水浴に行ったのだった。実家から車で一時間も東へ進めば海に出るのに、母はわざわざ県をまたいで二時間ほどの場所を目指した。みちるには七歳の娘が一人いるだけだったが、とても恐ろしくて自分一人で海になど連れて行けない。
「なんでお義父さんは一緒に行かなかったんですか?」
琴ちゃんがキッチンからペットボトルとコップを運んで来る。
「うーん、なんでだろう。ケンカでもしてたんじゃない? 覚えてない」
母は腰にあてがっていたクッションをずらすと、コタツからゆっくりと足を引き抜いて横に伸ばす。たったそれだけの動作でも身体が痛むようで、顔を歪ませる。ズボンの裾からのぞく脛には艶がなく、本人が嘆くほど肉は削げてはいないが、あちこちに内出血の跡がある。みちるも琴ちゃんも一瞬目の端に捉えるけれど、すぐに逸らす。病気が分かってからこの数か月の間、母は次男の啓人たち家族の住むアパートに世話になっていた。もっぱら母の世話は啓人の奥さんの琴ちゃんに任せっきりで、実の子どもたちよりも琴ちゃんの方が母の病状に詳しい。
「行ったのって、阿字ヶ浦海水浴場っていうとこかな?」
みちるはスマホの地図アプリを開き、大洗町の海岸沿いをなぞって目ぼしい海水浴場を探す。
「ぜんぜん覚えてない。職場の人に教えてもらって行ったんだよ。忘れちゃった」
阿字ヶ浦海水浴場をタップすると、投稿された写真が画面に上がる。どこの海もそう違わないのかもしれないが、なんとなく懐かしい感じがする。泊った民宿は道路を挟んですぐそこに砂浜が広がっていた。実家に帰ればどこかに写真が残っているかもしれない。そう、大洗に向かう途中、母はコンビニでインスタントカメラを買ったのだ。何枚撮りのものかも確かめずに手に取る母のすがたがみちるの脳裏に浮かぶ。いま初めて思い出している。ずっと昔に失くしたゲームカセットのありかを突如思い出すような、記憶とも想像ともつかない一片の画に自分自身がたじろいしまった。
「帰って来てから背中がもう水ぶくれになって酷かった。やけどとおんなじ。眠れなくて大変だった。」
みちるが海で泳いでいる間、母は啓人と磯でカニやヤドカリを探していた。みちるは浮き輪に身体を預け、ほんの少し空を見上げて緩やかな波に揺られてみるけれど、すぐに不安になって磯に屈む母のすがたを確かめた。一つ違いの弟の誠がどこにいたのか覚えていない。いっとき、母は毎週末のように子供たちを連れてショッピングモ―ルの中にあるゲームセンターに通い、何か月もの間、四人でただメダルを増やし続けた。誠はよく迷子になって、みちるは啓人の手を引く母親と手分けをして探した。誠が海で迷子になった覚えはなかった。
なにかいまの瞬間だけあの場所への回線が繋がっているような気がして、みちるは順番に思い出そうとする、海水浴に出掛けた日のこと、その道中のこと。家を出るときはなぜかみんな留守で、だれにも行ってきますを言わずに母の車に乗り込んだ。母のとなりにだれが座るかで喧嘩をするから、子供たちはみんな後ろの席に座ることになっていた。母の車はずっとワゴン車だったのに、その時期だけはセダンに乗っていた。姉弟のなかでみちるだけが車酔いをしやすく、目を瞑って天井を仰いでいた。母が遠くの景色を観なさいと言ったけれど、ちょっとの間も目を開けていられないほど気持ち悪かった。コンビニで梅干しを買ってもらって食べると、すこし胸がすっとした。酔っているときに胃を刺激するようなものはよくないと思うけど、と母は言った。
民宿は畳の部屋だった。浜辺に腰を下ろして浮き輪を膨らます母の像がかたち作られるけれど、まだ四十代前半だった母の顔は思い出せない。朝から晩まで海で泳ぐ合間に、部屋に戻って昼寝をしたような気がする。母が家から持って来たバスタオルをお腹にかけてくれた。幼稚園のころから使っている、ごわごわしたミッキーのバスタオルは保険屋さんからもらったものだった。夢うつつのあわいに、母がそっと部屋から出て行く気配がした。
夕飯はきっと民宿の食堂で食べた。何でも好きなものを食べてよかった。母は食事をする子供たちを見ながらビールを飲んでいただろう。お風呂はたしか時間が区切られていて、ホワイトボードの開いている時間に名前を書くことになっていた。何時にしようとマジックを手にしばし考える母のかたわらにみちるはいた。
冷たい布団に入ると母が電気の紐を引いて、カーテンの下だけが明るかった。誠が足でちょっかいを掛けてきてくすくすと笑っていると、母が声をひそめて「寝なさい」と言った。啓人は母のとなりでもうとっくに眠っていた。だれかが浜辺で花火をしているのか、ときおりにぎやかな声が聞こえた。そのうちに波の音しか聞こえなくなって、いつの間にか朝が来ていた。
最後の日、民宿の玄関先で浮き輪の空気を抜いた。三人で空気栓を押さえる人と浮き輪に乗って空気を押し出す人と交代でやった。まだ朝なのに、焼けるように暑かった。湿った手のひらにじゃりじゃりと付いた砂を黄色いキュロットスカートで拭った。母はその間、旅行鞄に帰り支度をしたり、会計をしたりしていた。とても長い時間、ほとんど夏休み中と言ってもいいような時間をそこで過ごしたような気がするけれど、実際には三日ほどだったのかもしれない。
琴ちゃんは片手でコップを母に手渡すと、「いま開けたばっかりのやつです」とペットボトルを見せて微笑んだ。母の白血球の数値は著しく低く、わずかな細菌でも重篤な感染症を起こしてしまう。食事を作るのにも細心の注意を払わないといけない。みちるは治療のない間だけでも千葉のマンションに来ることを提案してみたが、母はいつ死んでもおかしくないんだから、死んだあとこっちまで運ぶのが大変だからと断わった。それが本心かは分からない。ただ、死んだら一度、実家の客間に寝かせて欲しいとは聞いていた。
客間には実家で唯一クーラーがあった。夏の暑い昼下がり、母は水風呂に入ると客間に布団を敷いて起きたり寝転んだりしていた。起きているときは足の爪を切ったり、ペディキュアを塗ったり、乾いて捲れた腕の皮を剥いたりしていた。みちるは母の手の届かない背中の皮を剥いて、ティッシュに乗せた。皮は半透明で白く、下の皮膚は日に焼けたまま茶色かった。それは大洗に行った年の思い出じゃないかもしれない。そういう夏は何度も繰り返しあった。繰り返していたようで繰り返してはいなかった。