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買い出し|とわ

「誠お義兄さんって結婚とかしないんですかね?」
 車がカーブを左に右に曲がって実家が見えなくなったころ、琴ちゃんが言った。誠はみちると一つ違いの弟で、琴ちゃんは三つ下の啓人の奥さんだ。
「あの几帳面さだと、だれかと暮らすの無理じゃない? じっとしてないよね。玄関掃いたり、掃除機かけたり、お皿拭いたり、ずっと何かしてる。ほんとすごいと思う」
 みちるはそう応えると席の間から身を乗り出して、夫に「そこ左ね」と声を掛ける。
 バーベキューのセッティングは啓人に任せ、誠はみちるの子供のあさひと啓人の子供のひなたの子守で家に残ってもらった。姉弟や親にはつっけんどんだが、姪たちには折り紙を教えたり、絵を描かせたりと、甲斐甲斐しく面倒を見てくれる。
「さっき、キッチンの排水溝まで掃除してて、申し訳なくなっちゃって。そういう人と結婚したらすごい助かるなっても思うんですけど、自分も何かしなきゃって落ち着かないですよね」
「啓人はやらなすぎだけどね」
「ほんと、誠お義兄さんと足して二で割りたいですよ」
 琴ちゃんが肩を落として、大きなため息をつく。
「あとさ、今日も実家に来がてら、果樹園で子供たちにブドウを買って来ようと思ったらしいんだけど、食べさせてるか分かんなかったから買って来なかったって言ってて、すごいびっくりした」
「わたしもそれ思いました! 子供いないのに普通そんなこと考えなくないですか?」
「だよね。わたしもそんなこと考えたこともなかったもん。いまでこそ、ブドウを喉に詰まらせて死んじゃった子のニュースとか、痛ましいと思って観るけど、独身のころなんて気にも留めなかったもんな」
 赤信号で車が止まり、「この信号もまっすぐでいいの?」とみちるの夫がルームミラーを覗く。みちるは横を向いて、琴ちゃんに「まっすぐ?」と尋ねる。みちるはちょうど今年、地元で過ごした年月と、地元を離れてからの年月が同じになった。街にはメガステージやロックタウンといった、オープンモール型の施設が出来た。スーパーや薬局のほかに、ホームセンターや衣料品店、百円ショップなどなんでも入っている。実家からは車で二十分ほどかかるが、用事が一か所で済むぶん便利になったのかもしれなかった。琴ちゃんが「はい、このまままっすぐで大丈夫ですよ」と頷いて答える。
「なんかお義母さんが亡くなって、藤村家の嫁一人になっちゃったなってさっき思って。誠お義兄さんが結婚してお嫁さんもらうなら、できればしっかりした人がいいなと思って。わたしポンコツなんで」
「琴ちゃん全然ポンコツじゃないけど、まあしっかりした人がいいよね」
「それでさっきそのブドウの話聞いて、もしかして誠お義兄さんシングルマザーの人とかと付き合ってんじゃないかなって。ちょっと思いません?」
「たしかに、それだと辻褄が合うし、なんかありそう」
「ですよね」
「あとで聞いてみたら?」みちるの夫が運転席から口をはさむ。
「お義兄さん聞いてみてくださいよ」と、琴ちゃんが冗談めかして笑う。
「いやいや、ぼくはそんなセンシティブなこと聞けないよ」
 道路の両脇の斜面は葛の葉に覆われ、蔦が歩道まで這い出している。みちるたち姉弟が卒業した小学校の今年の新入生はゼロだと聞いた。黄色い帽子に、黄色いランドセルカバーを付けた子供は部落中どこを探してもいない。代わりに、デイサービスの送迎車が朝夕と地域の家々を回るようになった。
 のっぺりと青一色の空のせいか、真っすぐな道のせいか、車窓を流れていく景色はちゃちな仮想現実世界のように思える。みちるは遊び心に風景の終わりと始まりのつなぎ目を探して目を凝らしてみると、突然、ついさっきまで意識出来ていたはずのものが、スコンと抜け落ちてしまったような不安感に胸を掴まれる。リアウインドウを振り返ってみるけれど、見る間に景色は遠ざかって行く。何が欠落してしまったのか、みちるには見当もつかない。耳の奥でずっと風が吹き抜ける音がする。

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