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反旗を上げる|とわ

 美醜の概念が生まれたのは、高校生になってからだった。それまで母が「あなたは理知的な美人ね」と育てたからか、テレビをあまり見せてもらえない家だったからか、小中学校の同級生が二十人ほどしかいない田舎に住んでいたからか、他人と自分の見た目をくらべたことがなかった。
 唯一、小学校高学年のときに、友達よりも体毛が濃いことに気が付いた。鏡を見ないと分からない顔とちがって、腕や足は他人と見くらべることが出来たからだと思う。周りの人をよく観察すると、体毛が濃いのは男の人で女の人は体毛が薄かった。自分の身体はというと、腕にも足にも黒々とした毛がみっしりと生えていて、急に恥ずかしく思った。
 お風呂場でこっそり父の髭剃りを使って腕の毛を剃ってみると、白いすべすべの肌になって嬉しかった。けれどすぐに母にバレて、「小学生のくせに色気づいて!」とひどく叱られた。変に素直な子供だったので、とても悪いことをしたのだと思って、言い訳もせずにしくしく泣いた。それから夏が来るといつも恥ずかしかった。
 高校一年生になってすぐ、友達の目の上に白いゴミが付いていて、教えてあげると少し困ったような顔をした。あとになってそれがアイプチという化粧品だと知った。ずっと人が何をもってその人を美人として、何をもってそうでないと判断するのか分からなかったが、目には一重と二重とあって、二重の方がかわいいとされているらしかった。他人が人の目の皺まで見ていることに驚いた。
 それ以来、新たな判断基準を知るたびに、くせっ毛、小さい目、低い鼻、歯並びの悪さ、濃い体毛、高い身長、大きな足、と指折り数えるくせがついた。両手で数えきれなくなると、自分は何重苦を負っているのだろうと悲しかった。
 大学生になると整形を考えないでもなかったが、ネットで体験談を読み漁っては恐怖が勝ってしなかった。社会人になって全身脱毛と歯列矯正を始めた。大人になってからも美の基準はつぎつぎと生まれ、Eラインや、涙袋の大きさ、シンデレラ体重、パーソナルカラー、人中の長さ、中顔面の長さ、頭の形などキリがない。
 それでいまでもコンプレックスまみれかというと、不思議なことにまったくと言っていいほど何も気にならなくなった。わたしはわたしという気持ちが強くなったし、これまでわたしとして生きてきた身体が単純に愛おしい。他人には分からない自分だけの困難と向き合っているうちに、少しずつ長い年月をかけてこの身体で生きていくんだという覚悟が決まった。自分を恥ずかしいと思うこともめったになくなった。どんなんでもかわいいよ、と思う。
 昨年から、夫は『No No Girls』というガールズグループオーディション番組に熱中していて、わたしも途中から一緒に観るようになった。プロデューサーのちゃんみなが、さまざまな場面で「No」と言われてきた経験から、同じように「No」と言われてきた人たちを救いたいと思い、「No FAKE(本物であれ=自己表現)」「No LAZE(誰よりも一生懸命であれ=自己理解)」「No HATE(自分に中指を立てるな=自己肯定)」をポリシーに始まった。詳しくはYouTubeを観てほしいけれど、いままで体型や個性などでNoを突きつけられ、自分を愛せなくなった彼女たちが、オーディションを通して恢復していく様子が映されていたように思う。あまりの自信のなさから、ちゃんみなに「いい加減にしろ」と叱られていた子が、二万人を収容するKアリーナのステージで、堂々とソロパフォーマンスを見せるすがたは圧巻だった。
 ちゃんみなが歌う番組のテーマソング『NG』の歌詞もまた、「細すぎる、太すぎる、デカすぎる、チビすぎる 死ぬ死ぬ死ぬ、女が死ぬ」「これはrevengeだ 一体何人が死んだ」「お前からのNOじゃ 死ななかった私は 扉開け放ってやる 世界中のNO GIRLS」「世界を回す私 ありがたく思え全員 歩く高級芸術品 お前のNOは無意味」と、いまある価値観に反旗を上げている。
 三十数年をかけて自分を愛せるようになったわたしは、とても感動した。「ほかのだれでもない、わたしが良いと思ったから良い」という、ほんとうは一人一人が持っているはずの価値観が、あたりまえに尊重され、肯定される時代になるかもしれない。それはおそらく長い間、だれかが代わる代わる声を上げ続けてきた枝葉の先に、やっとつけた蕾だ。無事に花を咲かせられますようにと、願わずにはいられない。わたしには何が出来るだろうと考える日々だけれど、せめて自分の懸命さと、向き合うだれかの懸命さには素敵だよと寛容でありたい。

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