
五月四日|とわ
雲梯に二本の細い腕でぶら下がっていた子供たちが、続けてはたと落ちて着地する。乾いた地面に土煙が上がるのと同時に、身体をひねって駆け出して行く。母親たちはなごり惜しげに木陰から出てそのあとを追いかける。子供たちがロープネットに飛びつくと、格子に編まれたロープはたわんだり張ったりして不規則に波打った。悲鳴にも似た甲高い笑い声が上がる。手を伸ばした先や足を持ち上げた先にロープがあるかも確かめず、五月の雲ひとつない空を見上げてぐんぐん登って行く。ずり落ちたマスクから上気する頬を覗かせ、額から流れた汗が前髪を濡らしている。
みちるはネットの下から、娘のあさひと姪のひなたにスマホを向けて動画を撮っている。名前を呼んでも手を振ってもお構いなしに、あっという間に頭上を越えて行ってしまった。
「ひなちゃん、あさちゃんの手踏まないでよー」
琴ちゃんが、手でひさしを作って眩しそうに仰ぎ見る。琴ちゃんは末弟の奥さんだ。
「この調子で遊んでて夜までもつかな」
みちるは動画を撮ることを諦め、琴ちゃんの隣に立った。公園の端のベンチに、みちるの母が日傘をさして座っているのが見える。孫たちが遊ぶ姿を見るだけでいいのだと言って、駐車場から末弟の啓人に手を引かれてやっと歩いて来た。ゴールデンウィークの公園は子どもたちでいっぱいで、ベンチから孫のすがたを見付けられているのか分からなかった。少し前までベンチの脇に立っていたみちるの夫と啓人は、タイヤの交換を頼んでいた啓人の車を引き取りに、二人でガソリンスタンドへと向かった。
「今晩、どうしましょうね」
「バーベキューするんだけどどうするって、おばさんたちに電話しちゃう?そしたら遠慮してお線香あげたらすぐ帰るよって言わないかな?」
「なりますかね。一緒に参加するってなったらどうします?」
みちる一家は今朝、母の退院に合わせて千葉の家を出て来た。車が高速に乗ったあと、父から電話があって夕方から親戚が来るのだと言う。そういうことがないように、みちるは一週間前から何度か電話を掛けたがいずれも留守で、LINEも既読にならないままだった。退院してすぐにその話を聞いた母は、感染の心配もあるし、親戚にあれこれと病気のことを詮索されるのも嫌だと言った。日にちや時間をずらすことは出来ないかと父に掛け合ったが、いまさら断れないし、久しぶりに飲もうと約束したのだと言って譲らない。
母の余命があと二、三ヶ月であることを宣告されてから、すでに二カ月が経っていた。気持ちと体調が直結している母には余命は半年と伝えられていたが、長く看護師として勤めてきた彼女が言葉通りに信じているかは分からない。病院は小学生以下の子供の面会が禁止されていて、孫たちに会うのは久しぶりだった。退院した折に、実家で孫たちと水入らずの時間を過ごすことを母は何よりも楽しみにしていた。
「買って行くお肉の量も変わっちゃうよね。追加で大人四人ってことでしょ? あとお酒か。お父さん飲むって言ってたけど、お酒買ってあるのかな」
「お酒が入るときっと長くなりますよね」
琴ちゃんはため息を吐くと、ポケットからスマホを取り出して、啓くんとお義兄さんそろそろ戻って来ますかね、と言う。
ネットの先の長い滑り台を滑り降りた子供たちが、それぞれの母親の元に駆け寄り、勢いよく抱き付く。「ねえ、おちゃちょうだい。もうのどがかわいてしにそう」「ひなちゃんもおちゃー、ひなちゃんもしんじゃいそう」と赤らんだ顔で見上げ、わざとらしく息をハァハァと吐いて訴える。
「二人ともすごい汗。マスク外していいよ」
「手洗ったら、ばあちゃんのところに行ってお茶飲もう。もうパパたちも戻って来るよ」
あさひはみちるにマスクを外されるなり、「じゃあ、すいどうのところまできょうそうね」と走り出す。琴ちゃんに額の汗を拭われていたひなたもぱっと離れて、「まって、あさちゃん」とその後姿を懸命に追いかけて行く。風がなく木々も草むらも静止している。みちるはふとベンチの方を振り返ると、母が「あぶない」とでも言いたげに、前のめりに孫たちを見つめている。