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お話をこどもとたのしむ vol.1

2021年8月「親子センター」主催の講座「読書デザインー子どもに本を届けるー」でお話ししたことをまとめました。


ようこそストーリーテリングのお話会へ


名古屋ストーリーテリングの会 まほうのおなべ のお話会

 「まほうのおなべ」のお話会は、絵本や紙芝居を使わず、語り手が、昔話の本などに載っているお話の中から選んだお話を覚えて語ります。小学生向けのお話会は、こんな感じ。

ーお話会のプログラムー
 なら梨とり(日本の昔話)
    『おはなしのろうそく6』(東京子ども図書館)より

 ヒヨコとネコ(ミャンマーの昔話)
    『ネコ、猫、ねこ、世界中のネコの昔ばなし』(平凡社)より

 屋根がチーズでできた家(スウェーデンの昔話)
    『子どもに語る北欧の昔話』(こぐま社)より

お話会の初めには、いつも子どもたちにこんなふうに話しています。

「私たちのお話会は、絵本も紙芝居も使いません。
私たちがみなさんのお顔を見ながら、ことばだけでお話を伝えます。
どうぞみなさんも私たちの方を見て聞いてくださいね。」

そして、お話の最後には、お話の載っている本の表紙をみせながら紹介します。

「今日聞いていただいたお話は、どれも本にのっているお話です。
最初の「なら梨とり」は、東京子ども図書館というところが出している『おはなしのろうそく6』にのっています。
つぎの「ヒヨコとネコ」は、平凡社というところの『ネコ、猫、ねこ、世界中のネコの昔ばなし」にのっています。
さいごの「屋根がチーズでできた家」は、こぐま社が出している『子どもに語る北欧の昔話にのっています。
どれも、図書館で借りることができますので読んでみてくださいね。」

お話を聞く子どもたち

 この3つのおはなしは、どれも、子どもたちが本当によく聞いてくれる昔話です。子どもたちは、おはなしの中の主人公になりきって、主人公といっしょに”なら梨”をもぎにいったり、くしゃみをがまんしたり、魔女をかまどにおしこんだりする経験をするんですね。
 あるとき、「やま梨もぎ」を小学校の放課後児童クラブで語ったときのことなんですが、「太郎は 岩の上のばあさまに言われたことも忘れて いぐなっちゃガサガサ となっている方へ入っていきました」と話したとたんに、それまで黙って聞いていた2年生の女の子が 「なんで?!」と小さく叫んだんですよ。もう、自分も太郎になりきって、山を上ってたんですね。
 子どもは、「おはなし」を聞くことでたくさん擬似体験をしているようです。そして、それを通して、生きる知恵やユーモアを学び、人間や人生への理解を深めていくんだろうなぁと思います。そして、何よりも、実生活では絶対にできない体験をお話の中でする楽しさを味わってくれているように思います。

文学としてのお話

このように、ことばによって心の深いところに喜びをもたらしてくれるお話は(ちょっと格好よくいうと)文学的価値があるということだと思います。ですから、わたしたちは、ストーリーテリングのことを「耳からの読書」とも言っています。ただ、表面的な刺激でおもしろがらせるのではなく、文学として価値ある話を選んで語り、物語の楽しさをあじわってもらいたいと願ってお話会をしています。

昔話はいちばん身近な文学

 私たちの語るおはなしは昔話が多いのですが、それは昔話が、文字というものが発明されるずっと以前から、人々の間で受け継がれてきた口伝えの文学だからです。昔話は、おじいちゃんやおばあちゃんから子や孫へ、そのまた子どもたちへ、というように長い年月、語り継がれるうちに、耳で聞く話として最適な独特の語り口を手に入れました。たとえば、話の中に同じような場面の繰り返しがあるのも昔話の特徴の一つです。上のプログラムのお話には、どれも繰り返しが3回あります。同じ場面の繰り返しというのは、本を目で読んでいるととても煩わしく思えます。でも、耳で聞く時には、繰り返しによって話にリズムが生まれるんですね。歌でも「サビ」のところは何度も繰り返しますよね。耳で聞くお話には、歌ととてもよく似たところがあります。そして、耳で聞いてわかるために、話が行ったり来たりせず、はじからおわりまで、時間に沿って流れていくようにできています。
 昔話は、そういうシンプルな形だからこそ、子どもたちに受け入れやすいし、なにより、力のない小さいものが怖いものをたおして成功するお話が多いですから、お話を聞く子どもたちは、お話を通して成功体験ができるんですね。もちろん、そうではないとんち話とか、ほら話のような昔話もたくさんあります。そういう「面白いはなし」を聞くことで、だれかをからかって笑うような質の低い笑いではない、まっとうなユーモアのセンスを身につけていってくれるんじゃないかなと思います。

絵がないことで得られるもの

 ところで、わたしたちのお話会ではいつも「絵本も紙芝居も使いません」と言って始めます。手振り身振りも含めて、視覚に訴えるものはほぼ使いません。それは子どもたちに、自由に自分の想像力を使ってほしいからです。
 ここでちょっと実験してみますね。みなさん、赤ずきんちゃんのお話はご存知ですよね。今から赤ずきんちゃんの中の一節をいいますので、その場面を想像してみてください。

「おおかみは赤ずきんといっしょに森の中を歩いて行きました」

では、お聞きします。今、頭の中で想像した場面で、オオカミが後ろ足で立って、2本足で歩いていた、という方? 4本足で、赤ずきんちゃんの隣を犬のように歩いていた という方?

みなさん、自由に想像してくださって、それぞれの頭の中に自分なりの赤ずきんちゃんやオオカミが描かれていましたね。どちらが正解ということはありません。どちらでもいいのです。お話の筋には、オオカミが二本足で歩こうが、4本足で歩こうが関係ないですからね。そして、多分みなさんは、オオカミの毛なみとか、耳の形がどうなってるとかまではっきり想像はなさらなかったと思います。お話を聞いただけでは、想像がおよばないでぼんやりしている部分がありますよね。それもお話を聞くということでいえば、全く問題ないです。お話の筋には関係ないですから。でも、さっきの場面を絵に描かなければならない画家の人は、そうはいきません。オオカミの毛並みや耳の形も描きますよね。そうすると、その絵を見た人は、もう、自分なりの想像のオオカミは浮かびません。画家が書いた通りの、2本足なら2本足で立って歩くオオカミしか見えなくなります。その画家の想像したものしか思い浮かばなくなってしまいます。
 また、絵がないときには、自分の想像の及ばないところがぼやけたままだということには、実はいいことがあります。たとえば、赤ずきんが狼に食べられる場面。大抵の人は オオカミの顔のアップなんてみたこともないし、ぼんやりとしか想像できません。けれども、上手な画家がオオカミの牙やら血走った目などをリアル描いた迫力満点の絵を見たらどうでしょう。その絵のインパクトが強すぎて「オオカミが怖かった」という印象だけが残るのではないでしょうか。赤ずきんちゃんもおばあさんも助かって、めでたしめでたし、という肝心のストーリーがはいってこないかもしれません。絵がないということは、自分の想像力だけが頼りです。自分が怖くて耐えられないような絵は思い浮かびようがありません。そして、話のに必要なものだけが頭の中に描かれて、一つのストーリーとして心に残るのですね。

私たちが”リモートお話会”をしない理由

昨年新型コロナが流行り出して以来、お話会がずいぶん中止になりました。私たちのお話会も2020年の2月から11月まで全部中止になりました。そういう中で、いくつかのグループではインターネットのYoutubeを使ってリモートお話会を試みられたところがあるようです。私たちも考えないではなかったのですが、私たちのおはなし会には、その形はそぐわないのではないかといことで、そういう形でお話会をすることはありませんでした。その理由を聞いていただくことで、私たちが大事にしていることを理解していただけるかなと思ってお話しします。
私たちは、お話し会のはじめに必ず「みなさんのお顔を見て語るので、みなさんも私たちの方を見て聞いてください」と言います。これが、本当に大事なことだと思っているのです。
お話の語り手は一方的に話しているようでいて、実は聞き手のみなさんからたくさんのものをいただいています。どんなに得意な話でも、聞き手の子どもたちが、今からプールに入る前でそわそわしていてお話会どころでない、なんていうときには全くうまくいきません。逆に、初めて人前で語るお話で、あまり自信がないというときでも、聞き手が前のめりになって聞いてくれると、それに力を得て楽しく語り終えることができるということもよくあります。同じ話でも、自分が思ってもみなかったところで、聞き手から笑いが漏れたり、「え?」という疑問の表情が浮かんだりすると、そのお話の捉え方がまったく変わったりもします。
こんなふうに、おはなしは、語り手と聞き手が同じ場を共有してこそ成り立つ一期一会のものだと思っているので、わたしたちは、リモートお話会という選択をしませんでした。スマホやパソコンのカメラだけを見て、一方的にお話を語るという気にはどうしてもなれなかったのです。

読み聞かせや朗読との違い

お話会を聞かれた大人の方によく言っていただくのは「すごい記憶力ですね」「よく覚えてられますね」ということです。そして、「覚えなくちゃいけませんか?」という質問も受けます。
絵本の読み聞かせや、本の朗読は、素晴らしい活動です。先ほどは、お話に絵のないことの良さをいいましたけれど、よくできた絵本の素晴らしい絵を 読み手と聞き手が一緒に見てその世界を共有することは、ほかにはない体験です。また、朗読にも朗読にしかない良さがあると思います。
お話と読み聞かせや朗読の違いは、「本」というものが語り手と聞き手の間に介在するかどうか、です。お話にはそれがなく、語り手と聞き手が直につながります。
絵本を読み聞かせているときは、読み手も聞き手も「本」を見ていますね。もちろん、ときどき聞き手の様子をちらちらうかがいはするでしょうけれど、ずっと子どもの顔を見ているわけにはいきません。でも、話を覚えて語るときは、ずっと子どもの顔を見ていられるんです。するとね、
「ヒヨコは猫にやる分までみんな食べてしまいました」
といったときの、子どもたちの表情を見逃すことがありません。子どもたちがみんなそろって「え〜〜〜〜」っていう顔をするんです。
逆にいうと、その聞き手の表情をエネルギーにして、お話を語っているようなものなので、覚えることの苦労はありますけれど、本なしで語る喜びは何ものにも代え難いものだと思っています。

子どもと本をつなぐ

 もうひとつ、私たちが大事にしていることは、最後に必ず「本の紹介」をすることです。図書館では特に、お話会の会場に本を用意していただいて、すぐに借りて帰れるようにしてもらっています。すると、いつもではないですが、お話を聞いた子の中から、何人かがその本を借りていってくれます。この講座は「子どもに本を届ける」というシリーズですが、わたしたちは、お話を通して子どもたちに文学の楽しみを知ってもらい、それをきっかけに本に手をのばしてほしい、読書につなげていってほしいと願ってストーリーテリングの活動をしています。

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