#26.私の宝物
今日も朝から家の中から怒声が聞こえる。
「嫌よ!絶対に行かないからね!」
デイサービスの送迎でこの方の家に来ると必ず起こる一悶着。
この方は80代の女性。認知症を患っている。ご主人と二人暮らしで週2回のデイサービスが日課だ。始めのうちはも拒否なく通えていたのだが、認知症の進行とともに拒否が目立ち始めた。
夫の説得によりようやく送迎車に乗り込む。乗車後も「どこに連れて行くのよ!」「家に帰しなさい!」といつまでも大声で怒鳴るため、他の利用者もこの女性を避けるようになっていった。
施設についてからも常にエレベーターの前を陣取り、空きあらば帰ろうとするためスタッフも目が離せない。唯一席に座るのは食事の時だけ。レクリエーションも参加せずただひたすらに帰りの時間を待っていた。
ふと、なぜこの方はこんなにも帰りたがるのだろうと気になった。つまらないからの一言ではこんなにも頑なに入り口で待機することもないのではないか。
『〇〇さんはなぜそんなにも家に帰りたいのですか?』
女性は少し驚きながらもこう呟いた。
「あのひと(夫)は一人では何もできないのよ。そろそろお昼の時間でしょう?ご飯の用意もしなきゃいけないし、、何にもしてこなかった人だからね」と。
時間はまだ昼ではないし、夫も自分のことは自分で行っている。しかし、昔の役割を覚えており、気持ちは今でも現役の主婦。
早くご飯を作らないと夫が帰ってくる。掃除もしなきゃと気持ちが焦る。やることは沢山ある。こんなところに来ている暇はないのだ。
次の利用日。夫に協力してもらい送り出す前に妻に手紙を渡してもらった。
いつもありがとう。
今日は〇〇(名前)に変わって僕が
ご飯を作るからね。
楽しみに待っててね。
女性は笑顔で送迎車に乗った。デイサービスでもすぐに席に座り手紙をニヤニヤしながら眺めていた。
それからその手紙はその女性の宝物。毎回デイサービスに来るたびに持ってくるようになった。そして本当に夫がご飯を作って待ってくれている。
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