ラジオで話して思った堂々とイキることと全裸コンテンツ(比喩)の話
先日友人のラジオ(Facebookの生配信&YouTubeでの後日アップ)に出演して、一時間半くらい喋ってきた。まー、なんというか、イキったイキった!気心知れてる友人ということもあったし、彼のバディも話しやすかったので。実際に、自身二度目のベトナム移住しかも初日で「やったるぞぉ!」という気合に満ち溢れていたしな。一例を出すと、「名実ともにベトナムレジェンドブロガーに俺はなる!」的なこと言った。いきなり伝説を名乗りだした訳ではなくそう呼んでもらった過去があるのよ。
人目を気にして逃げ道を用意してきた
俺は人の見る目をトコトン気にする、これは病気かってくらい臆病な人間でございまして。キョロ充って言葉があるが、そこから充を引っこ抜いたキョロ助です。キョロ太です。まぁ、呼び方はどうでもいい。たぶんにもともと小学生の頃から、暗くて、太ってて、運動もできなくて、三大青春輝き要素全つぶし状態だったから、そんな性格に仕上がったと思う。
いや、それ以上の理由があったな。それもこれも、幼稚園から小学生低学年までの遊びが、三人兄妹での設定がこまかすぎるぬいぐるみ遊びと何も完成しない未パッケージの端レゴブロック遊びだったから、想像力を養う代わりに社会性を養えなかった。とはいえ、それがあるから今の仕事があるんだが。
そんな性分が災いしてか、今でもするクセがある。話し言葉にしても、書き言葉にしても、最初に逃げ道を置いてしまうことだ。「あくまで個人的な意見なんやけど」「ヘンな話かもしれんねんけど」「以前どこかで聞いたんやけど」って、それは本心だし事実でもあるんだが、あらかじめうんとハードルを下げておきたい、あわよくばそれで嫌われる可能性を潰しておきたい、ということがあるんだと思う。
これは今のSNS時代との相性が最悪だ。なぜかって何を書いても、「あの人に嫌われないかな」「こいつイキってやがると思われないかな」という不安がついて回る。それで萎縮して中途半端な動き、ひいては人生になってしまっては、誰のために俺がいるのか。いや、そこは俺のための俺でええやろがい。少なくとも今現状は。結婚願望はある(したい)。
ラジオに突き付けられた自分のイキり体質
でもラジオでついついイキってしまう自分に、ハッキリした。そして、これはリアルタイムで配信され、そしてノーカット編集でYouTubeにアップするという。そんな逃げられない(文字通り逃げ道がない)状況に、30年以上かかったが覚悟を決めた。
あまりに昔からのものだったので生まれつきだと思っていたが、人目を気にするのは幼少の頃に「養われてしまった」性格だ。たぶん俺の地はイキりたがりのクソ野郎。いや、待てよ、それは違うかもしれない。人目を気にしてきたからこそイキりたがりになってしまったのかもな。どっちだっていいけど。
それに、言葉では逃げ道を用意しつつも、そもそもこれまでの自分の人生で逃げ道を用意した覚えがなかった。すってんころりん七転び八起きのアホみたいな俺の経緯を知る人なら、「逃げ道用意してる」なんて言う人はいないだろう。大前提として、要領が悪くてできなかっただけに過ぎないんですけどね。その意味で、自分は行動と言葉から伝わってくる性分が噛み合ってなかったのかもしれん。以前友人に真顔で「なんで水嶋そんな話おもろないん?」と言われ、かなりムカついたが(今でもムカついてるが)、もしかしたら今こうして書いた話を突いてきていたのかもしれない。だったらきちんとそう言ってくれ。
そういえば、少し話は逸れるけど、まだ文章で食えなかったときに同年の人に「お前は向こう見ずすぎる、ダメ」(要約)みたいなことを言われたことがある。って俺さっきからいろんな人にボコボコに言われてるみたいだな。間違ってはないが。今でもたまに思い返すが、人は考えなしに頑張る、保身なく全身をジタバタ動かす、計算なしの愚直な人間が意外と好きだ。自分の姿をシッカリと伝えていれば、張ったら張った分だけ報われる。とくに轍のない道を走りたい人には意識して損はない話だと思う。
まとめると「ラクすんな、足を動かせ、顔も出せ、余裕があれば金も使え、やってること全部出せ」って話になるか。ロケの多いYouTuberなら当てはまりそうだ。でもこれを考えない人が多い。今になって思う。手探り夜行で逃げ道を用意するなんて、あるいはラクをするなんて、開拓者が旅先でのホテルを予約するようなもんだぞ。そんなものは、ない。ホテルは、掘っ立て小屋でもいいからてめぇでつくれよ。それが最終的に豪邸になる人もいるんだよ。というよりそんな精神のやつでないと、持たざるものが豪邸を持つなんて、実現できないんじゃない?それで言えば低スペックの俺のやってきたことなんてイージー中のイージーモードだ。
全裸コンテンツ(比喩)をつくりたい
スケジュールありきの記事(コンテンツ)は何度でも推敲できるし編集できるが、その行為こそが角を奪うことにもなる。言ってみれば、あとからの理性がそのときの野性を蝕んでいく。この素人コンテンツ全盛の時代、人は意外とドラマを求め、野性味あふれるものを欲しがっている気がする。それに答えてやる義理はないけれど、単に、単にだ、野性を剥き出しにすると心地よい。逃げ道を用意せず、ちんちんおっぱい出してイキっていこう(比喩です)。