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たぶん日本人は日本人に厳しい

生まれ育った国以外に長く住めば慣れないことにもたくさん遭遇する訳で、それまでだったらイライラすることもまぁしゃあないなと思いはじめることがある。ひとつに食事のマナーとか。日本だったら咀嚼音を立てながら食べることを拾い上げて「よろしい」なんて言う人はいないけど、これがベトナムだったら珍しいことでもなく。べっぴんですね、イケメンですね、なんて容姿や見てくれに関係なくクチャクチャ立てる人は総じてクチャクチャ。

それが書いた通り、最初に驚きこそすれ、「まぁしゃあないな」と思うようにもなった。そりゃ、できれば聞きたくないけれど。ほかにも、列に割り込むとか、いろいろある。とはいえ、そうした行為を恥ずかしい、やるべきではない、と考えるベトナム人も多くいる訳で。これを「文化の違い」で片付けるのか、あるいはいわゆる「民度」という言葉を持ち出すのか、人によって意見の別れるところだとは思うが、どちらにしろ、まぁしゃあない。

その意味では自分も多少おおらかになったかと思っていたのだが、どうしたことか、これが日本にいると逆転するのだ。咀嚼音に、列の割り込みに、そのほかのさまざまな行為に対して、ベトナムに移り住む前以上にイライラしている気すらする。そこにはきっと、「ここは日本なのに」「あなたは日本人なのに」という考えを持ってしまっていると思うのだ。「日本人なのに、きっとそれがダメだと教えられる機会があっただろうに…」という意味で。ここには相手が日本人だという思い込みもある、そんな理由でたちは悪い。

で、また、そんなイライラしている自分にもイライラする。むしろそこが一番イライラポイント。これだけ個々人が自由な選択を取れるだけの情報が溢れかえっている世界の中で、そういうわざわざ他人を批判するためにナショナリズムを持ち出すのもいかがなものかと。あるとき自己責任という言葉があちこちで聞かれたが、「恥さらし」というのはけっこう日本人の好きな言葉だと思う。思い込みだが、恥さらしだという人間に限って、恥をそそぐような活動もしていなければそもそも気概もない。だなんて、また「日本人の悪いところ」なんて書いている時点でやはり自分もあれだなと思うのだが。

ただ確かなことはひとつ。

「日本人だから」と頭に置こうか置かまいが、赤の他人の行為に対してイライラすることは不毛中の不毛だ。そんな前提に関係なく、そもそも他人にイライラすることのない、常に大らかな気持ちであれたらなと思うのでした。

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ネルソン水嶋
ぜんぶうまい棒につぎこみます