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新しい生活様式はじめます、奄美の離島で。

この記事は、Facebookで知人友人に向けて書いた投稿をほぼそのまま持ってきたものです。読む人が大きく変わらないとは思いますが、書いときます。

ベトナムから沖永良部島へ移住しました

今、祖母の家にいます。沖永良部島(おきのえらぶじま)という奄美の離島で、年末年始も少しいたので「あそこね」と思う方もいるかと思います。
ただ前回と違う点は、移住です。滞在でなく。また、そのうち紹介しますが、町の移住促進制度で、良き一軒家に安く一年住めることになりました。2011年10月に日本を離れ、ホーチミンだったりバンコクだったりダナンだったり、住んでるような遊んでるような、「住む」に頓着のない9年弱でしたが、じっくり考えていたところ有り難い縁もありやってきました。

そんな島暮らしまでの経緯と、今後について、自分自身の整理のためと、知ってもらった方が風通しが良いので、書いていきます。

島とのつながりを切りたくなかった

えらぶがおもしろそうだ、と思いはじめたのは5年前です。今から7年前に祖父が亡くなったとき、自分の経済的な理由で葬式に行けなかったことがずっと引っ掛かっていて、ようやく工面できて2回忌に行きました。

もう先が長くないとこぼす祖母、でも十中八九、孫よりは先にゆくだろう(今んとこピンピンしとるんですが)。そうなったらこの島に自分の知る親戚はほぼいなくなる。大阪から、鹿児島か沖縄を経由しないといけなく、母もきつくて来れなくなるだろうし、当然自分も含めた兄妹も来なくなる。用事がなくなる。この島と水嶋家がそんな自然消滅みたいな別れをしていいのかな、自分がつながりを持てないかな、と勝手に家族を代表したつもりで思いはじめた。

そんなとき(正確には島に行く少し前に)おきのえらぶ島観光協会さんのSNSを見て、和泊町にある事務所で事務局長さんと会って話して、こんなことになってるのか、おもしろそうだぞと思いつつ、でも当時はべとまるの運営をめちゃ張り切っていた時期で、そのときは移住なんて思いもよらず一週間くらいで切り上げた。

住む場所を選ぶ理由って何?

それからさらに4年半経ち、それなりに仕事をもらえるようになり、住む場所を選べるようにもなっていた。タイに住んでみたあと「海近くに住んでみたい」と思ってダナンに半年滞在していたちょうどその頃、ベトナムで古くから知る友人が出張でやってきたので夕飯を食べた。

そこで、えらぶに大学の先輩が移住して喫茶店をやっている、と話を聞き、4年半前のえらぶおもしろそうだぞという感覚を思い出す。そして島に移住するってどんな人なんだろう?と興味があったので、紹介をお願いし、おもに移住者に会うことを目的に一ヶ月半の滞在を決めた。そこは祖母経由ではなく、自分自身と島とのつながりをつくろう、という理由もある。

ただそのときはベトナム、海外拠点の考えは変わっていなかった、それに世界の日本人街をめぐるという新しい計画があったので、むしろ今まで以上に大胆に動こうと思ってたけど、それは3つのことで覆る。大きな仕事を失ったことで住む場所を選べなくなったこと、コロナで物理的に行けなくなったこと、そして、島でことごとく、素敵な出会いがあったこと。とくにベトナム実習生との接点を持たせてもらえたのは大きかった。一ヶ月半の滞在中に交流会とかち合うなんて、たまたまだったとしても、呼ばれてると思い込むには十分すぎる出来事だった。

その実習生については以前も取材を通して課題意識が強かったので、島でじっくりアイデアが煮詰まって、これだけで島にいる理由になると考えはじめる。ちなみに先日、補助金が下りたと書いたのは、その事業に対しての話でした。

滞在中には島の人たちに対してベトナムの話をする場も持たせてもらって、みんなでベトナムツアーに!と盛り上がりもした。今はコロナで全面ストップだけど、えらぶの人をベトナムに、ベトナムの人をえらぶに、そんな仕事を兼ねたライフスタイルもありかもしれない…。

移住へのフラグが勝手に次々と立ちながら、それとは別の事情から起業する気満々で東京で人と会って回り、実家の大阪に戻り、コロナでその動きはロック。地元に友人も少ないので結果外出自粛しながら住むって何?と考えていた。

どこにでも住めるのなら、それを決める理由は何だろう。答えはえらぶで感じた住みたいという感情を逆算するだけだった。おもしろい人たちと、おもしろいことをしたいな。なりゆきで移り住んだベトナムでも、一番おもしろい時期はおもしろい友人たちとおもしろいことをしているときだった。一人旅も好きだけど、あのおもしろさに比べたらなんてことない…。

じゃ、えらぶに住もうかな?とはいえただひとつ、問題があった。コロナで収入がほぼほぼ吹っ飛んでいた。えらぶには住みたい、仕事が前の状態ならそれもできただろう。でも今は…。

島にいると、本土へ行くのにやっぱりいちいち金がかかる。なので、せめて以前と同等、できたらそれ以上にリモートでも稼げるようになってからそうしたい。とりあえず、2年後くらいまでに住めるといいなーくらいに思ってた。思ってたら、島の方から仕事の話が舞い込んだ。

えらぶを発信するメディアのお仕事

えらぶを発信するメディアの立ち上げ、そして運営。依頼主の方は、コロナもあって、マーケティングに力を入れるという。まったく、仕事を奪ったり連れてきたりと忙しいコロナ。

前向きに考えたいです、と言いつつ、まぁやるわな、と思って後日喜んで引き受けた。本土に行く手間も結局お金の話で、島で仕事がもらえるのなら問題ない。むしろ仕事のために行くのなら、一挙両得の感じすらある。それに、メディアの仕事なんて、そもそも2年後に自分がしたかったことで、名前はすでに決まってた。

時代とか、島の魅力の伝え方とか、そういうのを考えたら動画がいい。動画はたまにしかやってこなかったことだけど、メディアは手弁当ながらもずっとやってきた。手法なんてどうせこなれる、いちおう、企画でメシを食ってきた。

以上が移住に至る顛末ですが、それ以外の理由もあります。

どこでも働けるという人生実験

そもそもそんなスタンスだったけど、怪訝な顔をされることも多かった。でも今はコロナで一気にそっちへ傾いたので、これまで以上の人たちに言いたいことは分かってもらえるはず。

というより、実際これまでベトナムでやってきた仕事の大半が依頼主は日本にいて、ベトナムでなければいけない仕事も多くはなかったし、場所は関係なかったといえば関係ない。でも少し事情は異なる、島でなければできない仕事をしつつも、島にいながら島とは関係ない仕事もしたいということ。なんだろ、ライターや編集だけじゃない、シンプルに島内外でビジネスがしたい。前から進めてるあれとこれとで。

それが実現する頃にはめちゃくちゃ自信もついてるし、誰かに住みたいところに住もうぜというときの説得力にもつながると思う。

離島移住、地方移住、別に躍起になってそれを推し進めたい訳じゃないんだけど、住みたいところに住める環境が整うだけで人の心は追い込まれたときの抜け穴ができて、穏やかになれるはずだ。と思っている。これはベトナムやタイという居住経験で身を以て知った。そうなれば後ろ向きな無理は減ると思う。そしてこれは完全に俺のワガママだけど、国内外いろんなところに友達がいる方が楽しい。俺は俺の移住録をこれから動画でつくるから、楽しそうだなと思ったら、なにか聞いたり、遊びに来てほしい。すぐにとは、時勢的に言えないけども。

チャンネル名は「AbebeTV」

YouTubeチャンネルの名前は「AbebeTV」、「あべべ」とは祖母が驚いたときに口にする方言です(驚くほど「べ」が増えるか伸びる)。

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ネルソン水嶋
ぜんぶうまい棒につぎこみます