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サナトリウム_スケッチ02

 精神病棟にはどうにもさまざまな人々がいる。それはこの世界全体がそうであるから仕方がないことだとはいえ、それにしてもその様相はさまざまであった。

 四六時中、戸を叩く人、呟く人、徘徊する人、呟きながら徘徊する人、座り込む人、自身が飲んでいる薬の種類を幾度も確認し暗唱する人、計算する人、自らは神だと自称する人、大声を出す人、何かからの監視に怯える人、着ている服を脱いでしまう人、人、人。

 ある人とは一緒に歌い、ある人とは一緒に絵を描き、ある人からはゲームを創ろうと誘われ、ある人からは「眠るための薬はなんという名前だ」と聞かれたりもした。眠剤だと答えると丁寧にメモをしていた。

 彼らの中には不思議な言語すらあった。一般には妄言の類に属するような、何か、妙な、あるいは不可思議な視点からの示唆、会話。それはフィクション小説にはもってこいだが、実社会では忌避されるのも仕方あるまいと僕ですら思う。残念なことである。その絶妙な言語は、あるいは真実の言語である可能性だって捨てきれないのだ。少なくとも僕は捨てていなかった。ので、というわけでもないが、そういった言語でのやりとりもしていた。

 季節の移ろいとともにクライアントは入れ替わり立ち替わり、一期一会という響きそのままに、昨日の友が明日にはいない。寂しかったり不思議だったりもした。冬の次には春が来てしまう。寝ても覚めても時間は過ぎる。

 書き連ねねばならぬことはまだ山ほどあるが(なぜ? わからない)、少なくともこの世界にはこういった小宇宙が存在していた。その背後ではロシアとウクライナが戦争をしていた。世界は大きく揺れていた。宇多田ヒカルさんはあなたという曲でこう歌っていた。

"戦争の始まりを知らせる放送も
 アクティヴィストの足音も届かない
 この部屋にいたい もう少し"

 僕はその部屋を出た。三週間が経つ。

(2022.4.28)

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