今日の思想 2022/06/22

日記

水曜。
8:10ごろ起床。最近朝が弱く、特に平日は全く起きられないので、昨日の夜は早く寝なければという思いから1時には就寝したんだけど、そうしたらちょうど早く寝たぶんだけ早く起きられた。
火曜が1:20就寝で8:36起床。7時間16分睡眠。
今日が1:01就寝で8:09起床。7時間8分睡眠。
最低でも7時間は寝るようにできているんだなーと思う。ただこれもスッキリぱっちり快適に目覚めているというわけではなく、どうにかベッドから這い出ることができる状態にまで持っていけるのがこのぐらいというだけで、本当は8時間とか寝た方がいいんだろうな。
ほぼ毎日在宅勤務で、9時に始業すればいいんだけど、それはそれとして、できれば7:30に起きて、余裕を持った朝の時間を過ごしたいと思っている。そうすると8時間寝ようと思うと23:30には寝ないといけない……?そんなの絶対無理じゃないですか?
今日は昨日より30分早く起きて、お腹が痛くて20分トイレに籠もっていたのでトントンでした。何それ。

だらだらと仕事。4年目にも入ると後輩もできているので、偉そうにアドバイスをしてあげたり、指導したりすることも増えてきたんだけど、先輩ぶってんな〜コイツ〜〜〜とずっと思いながら話している。後輩と話すための人格。Kindleで買った『私とは何か』はまだ手をつけられていないんだけど、概ねこういう話なんだろうと思っている。
チームで仕事をしているが、チーム内での役割分担が異なり、それぞれに違う種類の目標が設定されているため、同じ方向を向けていない、という話をする。みんな怒られるのが嫌だから、とりあえず怒られないように、やっているフリや最低限怒られない簡単に達成できる作業を優先してしまったりするが、目的と手段が逆転してしまっているので最終的には怒られる。怒られるのを先延ばしにしたり、誰かに押し付けているだけで。皆が同じ最終目標(売上を立てるということである)を目指すことによって皆がハッピーになれるのに。囚人のジレンマを思い出す。合理的に行動できる人間は少ない。お昼はトースト。
午後もだらだらと仕事。振り返るととくに何もしていないような気がするが、働いている間はずっと忙しい忙しいと思って何かにせっつかれているし、毎日2時間も3時間も残業をしている。虚な業と書いて虚業。何も生み出していない。

マイノリティ加点おもんな

短歌研究新人賞の選考委員座談会での斉藤斎藤さんの発言が、狭い短歌界隈の、更にごく一部の方々に過剰に反応されていて、局地的な炎上のようになっている。

当該の連作も、先行委員座談会のその部分も読んだけれど、おれが気になったのはこの方のツイートの「それって例えばコロナ禍でも東日本大震災でも戦争でも、それらをテーマにした人に同じことを言えるかと問いたい」という部分について。
それは主語の大きさをすり替えているだろうというか、「東日本大震災で被災しました」という人と「女性であるが故に生きづらさを感じています」を同列に語るなというか。もっと言うと、「戦争を体験しました。戦争反対です」と「テレビで戦争の酷さを見ました。戦争反対です」では重みが違うというか、"自分ごと"として自分の言葉で言えているのか?ということで、斉藤斎藤さんはそういうことが言いたかったのではないのかと思っているけれど(『ここにあるのは社会的な意義であって、文学的な意義ではないのではないのか』)。

それはそれとして、おれが常々思っているのは、何がテーマであろうと、どんな相手だろうと、それが文学として、また批評にさらされる場に出されてきたものであるならば、面白くないものは面白くないと正しく評価されるべきなのではないか?ということで、
コロナ禍でも東日本大震災でも戦争でも、人種でもLGBTQ+でも、「それは大変ですね、それはそれとして、あなたの作る短歌はクソ面白くないですね」ということが言えなければ、文学作品である必要はなく、批判を許さない聖域のように扱われたいのであればそれはデモでも街頭演説でもなんでもやってください、と思う。
今回の短歌研究新人賞で大賞を取った連作にも「女性の生きづらさ」を詠んだ歌はあったけれど、それは短歌としてことで面白かったから選ばれたということであって、テーマがどうこうじゃなく面白くなかったから選ばれなかったんですよねー。新人賞に応募した時点でどう評価されてもしょうがないと思うんですよねー。負け惜しみにしかならないと思うんですよねー。

あと、短歌研究新人賞についてみんなが言っているツイートを検索すると、みんな自分は何首載った、佳作だった、ダメだった、というようなことばかり言っていて、他人の歌を話題にしている人があまりいないと思った。みなさんご自分が大好きなんですね。自分の短歌を見て見て〜ばっかりで。
上記の炎上についてもセンシティブなワードばかりが取り沙汰されていて、当該の連作については何も言われていない。そういうところがだめなんだよ。

追記

結局斉藤斎藤さんの言いたいこととは、テーマがありふれているからダメという話ではなく、誰かの真似っこをしているからダメということでももちろんなく、「社会的に問題だとされていることをテーマとすることには、『あっこれは私のことだ』と思って誰かの感性に共振してしまう危険性があり、もちろんあなたも当事者ではあるだろうが、自身のことを詠んではいるのだろうが、きちんと自分の中にあって、自分の中から出てきたものを詠もう」ということだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?