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雪の日の勿忘草

 去年の冬、久しく会えていない友人やお世話になった人たちにクリスマスカードを贈った。コロナウィルスが始まった頃にフランスから帰国したあと、生活のために慌ただしく日々を過ごしているうちにあっという間に2年も経ってしまった。向こうでの経験をシェアできる人たちと直接会う機会もすっかり遠のいてしまっていた。

 そこで何枚かのカードに、拙くて恥ずかしいけれども、贈る相手の似顔絵を描いた。最後に会ったのがずいぶん前だから髪型も変わっているかもしれないと心配になりながらも、描いているうちに、その人と一緒にいた時のポジティブな感情の記憶があったかいスープのように心の中によみがえってきた。その感情の一つ一つは、快さだったり、嬉しさだったり、憧れだったりした。どうぞ少しでも温かい冬をお過ごしください、そしてすてきな春をお迎えください、という二年越しの気恥ずかしい友愛の気持ちが届くかどうかは果たしてわからなかったけれど、そういうちょっとした使命を背負いながら、クリスマスカードたちは旅立っていった。



 手紙を出して数日後に、勿忘草の手紙が届いた。お返しをしてくれた方は、学生時代は詩について研究をしていて、ご自身も非常に美しい文章を書かれる、鈴が鳴るようなきれいな声でお話をする人だった。手紙にそっと触れると、彼女の楚々とした佇まいが記憶の靄の中からたちのぼってきた。

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 年が明けて近所のお花屋さんに立ち寄ったとき、店頭に見覚えのある小さな青い花が並んでいた。ドキドキしながら育て方を聞くと、優しい店員さんは、「水が好きなお花だから乾燥させないように気をつけて、お日様がよく当たる場所に置いてくださいね」と丁寧に説明してくれた。そして、はにかみながらこう付け加えてくださった。


「勿忘草は宿年草ではないけれど、忘れずに水遣りをしていれば小さな種ができて、次の年もその種から花が咲くことがあるんですよ。」


 小さな鉢植えを自転車かごにそっと乗せて坂道を帰りながら、小さな花からできる小さな種のことを考えた。

 遠くに富士山が見える家のベランダに一つだけ置いた小さな鉢植えはなんとなく寂しそうだった。その日から、冬のベランダの冷たい空気に身震いしながら勿忘草に水遣りをするのが私の毎朝の日課になった。



 2月の寒波が押し寄せてくるある週、「今週の木曜日は朝から雪が降る」と聞いた。最初に思い出したのが、ベランダにぽつんと置いた勿忘草の鉢のことだった。あのささやかで可愛らしい青い花が雪の寒さで枯れてしまわないか心配になった。

 翌朝、6時前に起きて窓を開けると、これから雪になることを予期させる大きな雨粒がぼつぼつと空から落ちてきていた。冷たい冬の空気の中で、勿忘草は昨日と同じように健気に咲いていた。どうやってこの花を雪の寒さから守ろうか考えた結果、空気穴を数か所開けたビニールの覆いを鉢に被せてみることにした。朝ごはんを食べ、身支度をして仕事に出かけるときには雨粒は雪に変わっていた。そして雪はうっすらと白く積もり始めてさえいた。

 日中、職場のガラス窓の向こうで、雪はときどき雨の姿に近づいたりもしながら降り続けていた。


 家に帰るころには道がすっかり綺麗な雪化粧をしていた。転ばないように気をつけながらゆっくり、でもなるべく急いで、アパートの階段を上がった。鍵を開けてコートを脱ぎ捨てると一目散に窓を開けた。こんな冷たい空気の中であの花が縮こまっていたらどうしようとハラハラしながら、鉢を包んでいた覆いをそっと外してみた。

 すると勿忘草は、指のかじかむような寒さの中を、出かける前の朝と変わらない健気さで咲いていた。雪が降る日は、ふわふわした結晶に物音も人の声も吸い込まれてしまって世界が静かになる。その花の顔を見た一瞬が、一日の中でいちばん静かだった。この小さな花の芯にある凛とした強さに、私は初めて気づいた。


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 天から降りてくる雪が周囲の景色を絵画のように白くやさしく塗っていく澄んだ時間の中で、日常のいろいろなことを忘れて、しばらくただぼうっと勿忘草を見ていた。世界がちいさな雪の詩を贈ってくれているようだった。




 雪はしんしんと積もっていつの間にかまた水滴の粒に近づき、夜の間に穏やかな雨になって溶けていった。

 その夜の中で、贈ってくれた手紙そのままに勿忘草のような美しさを持つあの人が、柔らかなやさしい夢に包まれていることを願った。




 雪が解けて少しずつ外気の冷たさが和らぎ、日差しに穏やかな柔らかさが感じられるようになってきたある日、早朝の水遣りのために窓を開けたとき、頬にあたる風にもう鋭さがなかった。からだまるごとが春の気配に優しく迎え入れられる季節になった。

 その頃から勿忘草の花はつぎつぎと開き始めていった。鉢の中でまだ眠っていたつぼみたちが春の訪れに目を覚ましたようだった。勿忘草が春になればわっさわっさと賑やかに咲いていく花であることを知らなかった私は、「こんなに元気なお花だったんですね」とただただ感服してしまった。


 その後にまた冷たい雪が降った。勿忘草は寒の戻りを耐えたあとの季節の美しさを知っているかのように、ぴったりと花びらを寄せ合って雪の日を越した。


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 富士山を遠く臨む春の朝のベランダで、今、小さな青い花々は春の嵐にも負けず、満開を迎える華やかさで咲き誇っている。

 ちいさな雪の詩は溶けて、春の清らかなひかりの花束になった。


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