知的"障害者"は脳内物質の"被害者"だ。という持論。
kenです。
暑いので、イライラします。
だけど、ここ最近はイライラしてません。
障がい者(同僚)に対する考え方・捉え方が変わったからです。
現在私は障害者就労支援B型作業所という施設に通ってます。
そこにいる方々は、いきなり奇声を発したり情緒がおかしい方など様々な症状を抱えた障害者が通って軽作業などをしてます。
今はたまに企業から届く漫画冊子が入った資料などを封入する作業を行ってます。
(分かりやすくいうとBネッセの漫画が入った郵便物)
今は18人ぐらいの方がいます。(ソーシャルディスタンスでやっております)
で、僕の障がい者に対する捉え方について、何が変わったのか、というと、"彼らはわざとやってるのではない"という点です。
彼らは障害者だから…と言葉では理解してたのですが、やはり心がそれを許してはくれないイライラが日々僕の中で起こります。
内心(あの人は頭がアレだから…)(~症だから)とは思っても…
内心(うっせぇな!)(いい加減にしろよ!)(黙らせろアイツ!)と私の心の何処かが叫びます。(なんか詩的…
理性・頭でで抑えても、正直何処かで、くすぶった何かが溜まるのです。
負債??ストレス??的な何かが。
だから考え方を一旦変えてみました。
それは、障害者ではなく、被害者である。と。
何が引き金となって奇声をあげたり、いきなり笑ったり奇行が起こってるのか正直分かりません。
ですが、世間ではおかしいと思われる"彼ら"にとっては、それが普通なんです。
もしくは、何らかの生命活動の維持になってるのだと解釈をしてます。
つまり、なにかのバランスを保つための活動となっているのです。
今までイライラしていたのは、いきなり思い出し笑いをしたり、ニヤニヤする方がいて、それが僕にとっては無茶苦茶イヤでした。
いきなり一発ギャグ的なことをブツブツ言ったり内心怖かったのです。
でも、彼はそれ(奇行)をすることで生命を保っている。
生命を保つ、つまり「生きる」という意味は人によって様々です。
何かで数字を出すことが生きる。稼ぐこと働くことが生きる。食べることが生きる。
普通に何もなく、非生産的だったけど生きた。等
明らかに(コイツおかしい)と思ってしまっても、当事者にとってはそれが日々のルーティーン・日々の習慣つまり、「生きる」なのです。
歯磨きのようなものです。それをやらないと気が済まない。気持ちが悪い。
そういう感覚で捉えてみるといいです。
僕は身体障害者でもあり、てんかん持ちでもあります。
頭がおかしい人と言われてもその通りなのです笑。(笑う所じゃないと思いますが。
そういうルーティーンは傍から見て直すべき対象(悪しきもの)だと捉えがちでしょうが、僕は彼らは脳内で起こる興奮・化学的反応の被害者であると考えるようになりました。
てんかん発作は脳が興奮して、ショートする現象です。
私が患ってるてんかんと知的、諸々の脳の障害は似てます。
てか、抽象的にみると同じです。
昔は発作が起こるたびに、「私が悪い」と捉えてましたが、今は違うと思ってます。
彼らは脳内物質の被害者なんです。一種の特別扱いなのか
時代によっては彼らは犠牲者にもなりました。
魔女狩りとも呼ばれます。
たまに思うのです、もし生まれた年月日が少し違ければ、僕は死んでたということを。
話の規模が無駄にでかくなってしまいましたね笑。
以上、障害者は被害者という話、でした