リストカットシンデレラ②
姉妹
母は意外と家庭的で料理は美味しくて、母の作ったお弁当は私の自慢。
いつもスヌーピーの醤油入れやアンパンマンの顔をしたフライドポテト、必ずお子様ランチの上に立てる旗が3本入ってた。フタを開けるのが楽しみでみんなに羨ましがられた。
編み物も得意だった。
服を編んだり、スヌーピーの布を買ってきて、手さげや上履き入れをよく作ってくれた。
3時のおやつには、ホットケーキやトマトにとろけるチーズをのせ焼いてくれたり、機嫌の良いときは無邪気な子供みたいだった。一緒にファミコンをやったり、父と母も朝まで夢中になってた。
妹が生まれて、私のお手伝いは増えた。
母は夜、コンビニで働くようになって、学校から帰ってくると、いつも寝てる。疲れてるのはわかっているけど、それがなんとなく嫌だった。
静かに起さないように、妹のオムツを替えてミルクをあげて、風呂とトイレ掃除、お米をといで宿題をして、最後にピアノの練習をする。
遊びに行く時は、自転車に小さな椅子をくっつけて、そこに妹を乗せて遊びに出かけた。ガニ股にしてペダルを踏む。太腿に椅子の角がぶつかるたび、皮が剥けた。
自分が中心に回っていた世界。私は初孫で親戚中から可愛がられてた。欲しいものはみんなが買ってくれる。ワガママお姫様状態。
妹が生まれて、私はまるで召使。嫉妬が膨らむたび、妹とつまらない喧嘩をした。と言うより、八つ当たりしてイジメて泣かした。
言うまでもなく母に怒られる。面白くない。
買うのは妹の服ばっか 。当たり前のことなのに、その時の私には気に入らないことばかり。
そんな気持ちも知らず、「カイちゃんカイちゃん」って、何をするにもどこへ行くにも、引っ付いて真似ばかりする妹が、可愛いくてウザくてムカついた。
転んで泣いて立ち上がれない、知らんフリして歩き出しても、振り向けば放って置けなくて。妹に苛立ち、そして何より自分に苛つく。
面倒くさいヤツ!イジメても殴っても、すがりついてくる妹。
でも今の私にとって、奈々は誰より大切なんだ。
万引き
私が初めて万引きをしたのは、小1のとき。
夕飯の買い物に行くと、いつも100円分だけ好きなお菓子を買ってくれた。
キャラクターのお菓子がプラスチックケースに分けられて入ってる。まるでお菓子のビルみたい。ハートのチョコ、ピンクのマシュマロ、大きなアメ、噛んでると絶対に飲み込むガム。
小さいものをたくさん100円分買うか、100円の大きなスナックを1つ買うか。
小さなカゴを持って行ったり来たり、お菓子のビルをうろついた。
早く選ばないとお母さんが来る。グズグズしてると怒られる。焦って選べない。
どうしよう。どうしよう。
何かが切れた?それとも本当は計画的だったのか。
欲しいものは全部、ポケットに詰め込めばいい。私は澄ました顔で100円のスナックを1つ、母のカゴに入れた。
買い物に来るたびポケットは夢いっぱい、机の中はお菓子だらけ。
気づけばお菓子のビルを私は無謀に通り過ぎていく。
万引きは悪いことだよ。
そして何より退屈。
母が欲しいものをカードで買いまくるのは、悪いことじゃないけど、
退屈の始まりなんだ。
借金
母がコンビニで働きはじめて数ヶ月。
この頃からすでに何かが始まっていたのか。
それとも全てが終わっていたのか。
どっちでもいい。私の人生の一部でしかない。
そのときは“今”という一瞬が、世界を支配しているけど。
私は小3になった。
季節は覚えてないけど母がコンビニを経営したいと言い出した。
仕事を覚えた母に店長が勧めたんだと思う。
経営するにはお金がいる。父は毎日、母にせがまれていた。
ある日、父方の親ばぁちゃんの家に行った。父と母は、じいちゃんとばぁちゃんにお金を借りるため保証人になって欲しいと頼んだ。
ばぁちゃんは断固拒否。考えているじいちゃんにばぁちゃんが言った。
「じいさん!先祖代々守ってきたこの土地がなくなってもいいんかい?」
じいちゃんは黙ってた。
父は長男でお坊ちゃま育ち、両親に手をあげられることなくただ可愛がられて大人になった。
ボンボンってやつ。
ばぁちゃんから聞いたんだけど中学の時、夜トイレに行くのが怖くて妹を起して一緒に行ってたらしい。
免許を取った時も、酔っぱらって人の家に突っ込んで車はグシャグシャ。次の日の朝、車を見たばぁちゃんはビックリ。慌ててその家に謝りに行ったけど、もう少し行くのが遅れてたら警察に通報されていた。しかもその時にちょうど貯金が満期でおりて、ばぁちゃんは父に2台目の車を買ってあげた。
いつも愚痴みたいに言ってる。
甘ったれの泣き虫で優しい子。
結局は親バカだ。長男で男1人だから、だから?
むしろ厳しく育てるべきだ。本人のために全然なってない、このザマだよ。
でもこの時ばかりは、ばぁちゃんは絶対に頷かなかった。
ところが父と母は、じいちゃんだけをこっそり呼び出した。
そしてじんちゃんは保証人になった。怒るばぁちゃんにじいちゃんが
「利男は大学に行きたがってたけど行かせてやれなかったから、今度は好きにさせてやるべ、な?」
ばぁちゃんより親バカだ。
私も単純に嬉しかった。自分の家がコンビニを経営してる。
すごい!
コンビニ
コンビニは24時間営業だから、ばぁちゃんの家に引っ越した。
引越しは二度目。
生まれた時は元々ばぁちゃんの家に住んでて幼稚園が終わる頃、社宅に引っ越した。
嫁と姑の仲は悪いまま、再び戻ってきた。
父と母は仕事場に行きっきり。
コンビニは車で30分くらいの場所にあった。夜も帰ってきたり来なかったり、家にいる時はいつも寝てる。
土曜日は妹とコンビニに泊まること事もあった。
嬉しくて、ジュースを裏から補充する手伝いをした。
小さなソファベットが事務所に置いてあって、けして寝心地がいいわけじゃないけど、何故か安心してぐっすり眠れた。
一番嫌だったのは、妹だけが泊まる日曜日。
私は次の日学校。
でも妹は母の足にしがみ付いて泣きっ面。
私も帰りたくないのに。
あの一番奥の広い部屋に1人ぼっち。
母には絶対服従。帰りなさいと言われれば頷くしかない。
本当は寂しいから私は毎回不機嫌な顔で泣くのを我慢して帰った。
部屋で1人。
毛布に顔を押しつぶして、声が誰にも聞こえないように叫ぶ。
学校なんて大嫌い!
学校なんてなければいい!
授業参観
コンビニを始めるまでは来てくれていた授業参観。
どうしてこんな下らない日があるんだ。普段の学校の様子や子供たちの授業態度を見るため?
普段の?!
そんなの全部嘘だ。
授業参観日の前日は、いつもより学校を綺麗に掃除して、先生はいつもよりちゃんとした服を着て、子供はいつもより張り切って、親は香水をふり撒いて、映画でも撮るつもりか。
前日に授業参観の打ち合わせをして、教科書は台本のよう、授業参観という名の学芸会だ。
母は親同士の付き合いが嫌で、滅多に放課後教室に残ることはなかった。私は親が話し合いをしている間、放課後の校庭で遊ぶ子が羨ましかった。話し合いが終わると、親に呼ばれてみんな車で帰る。
母は目立ちたがり屋だから、来てくれる時はブランドのバックにブランドの服、アクセサリーをまとい教室に現れる。私は二十歳の子で母は親の中で一番若い。
「カイちゃんのお母さんは若くて綺麗だね」
母は私の自慢だった。
でも授業参観が終わるとさっさと帰る。
私は美保ちゃん家の車に一緒に乗せてもらって帰ってた。
一度だけ残ってくれた時、気分がよくてワザと車のドアを開けて友達に手を振った。しかも我が家の車は外車。
羨ましそうなみんなの視線を鼻先で笑う。くだらないけど気分がいいのは事実だ。
私が授業参観日に期待しなくなったのは4年生のとき。
それまでは通知を見せて、来れる?来れる?来てよーってねだってた。
まぁ見に来ても張り合いのない子供だったから、退屈なのはわかるけど。
私は小学校6年間、一度しか手を挙げたことがない。全員答えるまで給食にしないという、なんとも強制的なもの。
コンビニを始めてから毎日忙しくて、母は授業参観には来なかった。
でもその日は珍しく絶対に行くって約束をした。嬉しくて、手も挙げないくせに朝からはしゃいでた。
給食を食べ終わったら5時間目に授業参観。
頭がズキズキ痛い。本当は前の日から体が少しだるくて、でも今日は母が来る、だから普段は無意味に行く保健室にも行かず、授業参観に挑んだ。
始まりのチャイム。
何度後ろを振り返っただろう。
母は来ない。
私は授業参観が終わっても、みんなが教室からいなくなっても帰らなかった。
息を切らした母が後ろのドアから現れるかもしれない。
「カイちゃん、ウチの車で一緒に帰ろっ」
「・・・いい、お母さんが迎えに来るから」
とても静かな廊下、私の足音だけが響く。
母は来なかった。
体調は最悪。
やっと目を開けながらフラフラと長い通学路を歩いた。瞼が重い。閉じてしまいそうで上を向かないと前が見えなかった。
何故か通学路にさえ誰もいなくて。
もうダメ。何度も倒れそうになる。
倒れてしまいたい。
でもいったい、誰が助けてくれるの?
狭くなっていく視界に陽炎が見えた。
ダルすぎる小石の砂利道、足がもつれてうまく歩けない。
もう少し。もう少し。もう少し。
繰り返し唱えて進む。
気づくと薄暗い自分の部屋に倒れていた。
「ごめんねカイちゃん、ごめんね」
冷たい手で私の顔を撫でる母。
許すとともに、期待しなくなった。
だって、傷つきたくないから。
喧嘩
理由はわからないけど、父と母はよく喧嘩をするようになった。
まるで別人のような2人。
この小さな部屋にある、私の幸せな世界。
それが全てなのに、2人はどうして壊すの?
家族4人で出かけても全然楽しくない。
母が笑ってないから?
父が笑ってないから?
私も笑ってない。
奈々は無邪気だ。私も無邪気なフリをする。
お姉ちゃんのクセに妹の真似をした。
憎しみ
もしも今
あの男が目の前に現れたら。
私はきっと殺すかも。
それだけじゃダメかな。アイツには生きて、苦しんでもらわないと。
顔がよく思い出せないけどムカツク!
良かったね。
目の前に現れても私はきっと気づかないよ。
思い出したくない。思い出したくない。
憎しみなんて抱きたくないのに。
どうしても許せない。
コンビニの社長と店長は父と母で、副店長を母の従姉弟の弘雅に任せてた。
母は何百万もする外車のデカい車を、弘雅に買ってあげた。
ある日、弘雅と母と私と奈々でディズニーランドに行くことになった。
「今日はディズニーランドに行くよ!」
久々に見た、嬉しそうな母の顔。
「お父さんは?」
コンビニで働く父を車の中から覗いた。
「お父さんは、仕事があるから4人で行ってきていいって、だからカイちゃんも行こっ」
父がそう言ったなら行こう。
でも何かがおかしい。
私は少し気づいていた。
ディズニーランドで寄り添って歩く2人の後ろ姿、まるで恋人同士じゃないか。
全然、楽しくないや。
「お父さんが行ってこいって言ったんでしょ。何でそんなこと言ったの!?」
「俺はそんなこと言ってない!お前が一言、俺に教えてくれればよかったんだ!」
母は弘雅に貢いでいた。
不倫してたんだ。
でも一番許せないのは、弘雅が母を愛していなかったこと。
本当に好きなら貢がせたりしない。
不倫が良いのか悪いのか、そんな事はどうでもいい。母が幸せならそれで良かったんだ。
愛し合っていたら誰にも止められないし確かな幸せが一つある。
たとえ誰を傷つけたとしても。
でも母と弘雅には愛が無い。お金の切れ目が縁の切れ目。
母はバカで、弘雅は最低だ。
父は母を愛してた。
それでも母を愛してた。
弘雅は台風みたいに消えた 。
母の自殺未遂
学校から帰ると母の手首に包帯が巻いてあって、私は何故か母に直接聞けなかった。
「ねぇお父さん、お母さんの手、どうしたの?」
「あぁ、ちょっと怪我したんだよ」
「なんで?」
「医者には、子供と遊んでて窓ガラスが割れた時切れたって事になってる」
私はそれ以上聞かなかった。
本当は父に聞かなくてもわかっていたから。
母は自分で手首を切ったんだ。
そして母は突然いなくなった。
私と奈々と父と飼い犬のゴハンで何日も車で探し回った。憂鬱な時間がゆっくりと途方もなく流れ、暇つぶしのように父が話し始めた。
母と弘雅が密会している時に、母の車をつけて現場に乗り込んだこと。
「きっとアイツは、また弘雅といるんだ」
当ても無く探し回る。
車の中で繰り返し流れる音楽は、家族4人で楽しくドライブしていた時から変っていなくて、陽気な曲が言葉を詰まらせた。
父の吸う煙草の煙が重い。
目に見えるほど息苦しい。
私は父の痛みがどんなものか、考えもしなかった。離婚してほしくない。ただそれだけで。
「お母さんは悪くないよ!悪いのは全部お父さんだ!離婚なんてしないで、お父さんが我慢すればいいだけじゃん!!」
父を苦しめていたのは、私だったのか。
心も体もクタクタで、気づけば母は帰って来てた。
私は窓ガラスにもたれて、ズルズルと床に寝転んだ。このまま呼吸が終わればいい。汚れた窓から、ただ静かに雲を見てた。
次の日も、次の日も。
呼吸が止まる練習をした。
その苦しみの中でわかったこと。
雲はものすごくゆっくり形を変えて、消えているんだ。
すべては繰り返し、繰り返し。
ウンザリした。
父の自殺未遂
お昼ご飯を食べて、部屋でゴロゴロしていると
ばぁちゃんの怒鳴り声が聞こえた。
私は飛び起きて奈々と声がする部屋に走った。
父がいた。
その部屋には、毎晩じいちゃんが飲んでいる日本酒の一升瓶が3本くらい転がってて、全部空っぽで父は口からお酒をこぼしながら飲み続けている。
こんな父を見たのは、初めてだった。
「利男!しっかりしろ!どうしたんだよ、利男!利男!」
飲み続ける父。手に負えなくなって、ばぁちゃんはじいちゃんを呼びに行った。父はベロベロになりながら回らない舌で何度も叫んだ。
「俺は死ぬ!俺は死ぬんだ!」
奈々は震えながら怖いものを見たように泣き出し父に抱きついた。
「奈々ー、ごめんなぁ、ごめんなぁ」
私は立ったまま何も言えなかった。
頭と胸が熱くなって、私は愕然としゃがみ込んだ。
父はグシャグシャの顔でしがみ付くように私を抱き締めて言った。
「ごめんな果理、ごめんな果理」
何度も、何度も、痛いほどに力を込めて。
それを見ていたじいちゃんが、ばぁちゃんに怒鳴る。
「救急車を呼べ!」
サイレンが近づいてきて庭に近所の野次馬が集まっている。同時に何も知らない母が部屋に現れた。驚いた顔で、母の目は寂しくて冷たい感じがした。
そして二度と、この家には帰ってこなかった。
離婚
父が母のどこを愛していたのか、母も父を本当に愛していたのか、私には分からない。
ただ私がいる限り、2人のリアルは消えない。
父と母は6年生最初の授業参観日に、2人で学校に来た。仲良さそうに寄り添って、教室の後ろに飾ってある私の絵を見てた。
「カイちゃんのお父さんとお母さん、ラブラブだね」
「いいな~」
私は鼻で笑って、父と母は離婚した。
誰にも言ってなくても無神経な世間は見ている。
「あんなに仲良さそうだったのに、なんでぇ!?」
「嘘でしょー!!」
「ホントだよ」
笑って答える私の隣で、代わりに美保ちゃんが黙って泣いていた。私はそんな美保ちゃんを見て、急いで廊下に出た。
我慢していた物があふれてしまった 。
学校で泣くなんて屈辱的だった。
家族だったんだ。
離婚は
2人だけの問題じゃないよ。
心臓の場所
母はアパートで一人暮らし。
「もしもしカイちゃん」
「もしもしお母さん?どうしたの?」
母からの電話がとても嬉しかった。
だけど
「カイちゃん、心臓って右と左、どっちにあるの」
こんな言葉が聞きたかったわけじゃない。
私は、母が何を言いたいのか、なんとなくわかったけど、ワザと明るく答えた。
「う~んわかんない、右じゃない?あれー左かな、お父さんに聞いてみれば?」
「もういいよ、知らないなら」
「何でそんなこと聞くの?」
本当は母に言いたかった。
《どうやって助ければいい?》
これはSOSのサインだ。
「もしもしお父さん!」
「おぉどうした」
「お母さんから電話があった」
「ふーん、それで?」
「心臓は右か左、どっちにあるかって」
「はぁ?なんでそんなこと聞くんだ」
「知らないよ!」
「ハハ、そうか」
「お父さん!」
「ん?」
「お母さん、死なないよね」
「あぁ・・・大丈夫だよ、今電話してみるから。ばぁちゃんには言うなよ」
「わかってるよ!じゃぁね」
私は胸に手を当てた。
右も左も、どこに当てても、心臓の音がうるさかった。
次回 《天国と地獄》
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