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Z地区 第四話

 燃料を補給した車と手押しの荷車を数台使って、翌日からヒダリたちは物資の運び出しに精を出した。映画館の周辺にはまだ使えるものが残されている可能性がある。本ばっかり漁るなよ、と釘を刺されたヒダリは持ち込んだ昼食をさっさと済ませ、一人で書店の跡地へ向かった。
 植物に浸食された街はしかし、かつてそこに人々の賑わいがあった面影を残している。風が穏やかに草木を揺らす音だけが鳴るその場所をヒダリは歩く。二〇二九年当時、すでに書店は姿を消し始めていたと聞く。だがヒダリの知識が正しければこの街には大きな書店が生き残っていたはずだ。ファッションブランドの名前、飲食店の並び、間違いない。
「あった……!」
 瓦礫の中に「書」の文字がある。逸る気持ちを抑えヒダリは瓦礫の上に足を乗せた。慎重に、慎重に。教わった通りに足場を確認し、頭上の瓦礫を手で触れる。重いコンクリ片同士は硬く組み合うように重なっていてびくともしない。大丈夫だ。身を屈め、侵入する。
「す、すごい」
 中は大人ひとりが這って進むのが精一杯な空間になっていたが、その地面にはまだ透明な包みでカバーされたままの本が何冊か転がっていた。何の本かまでは暗くて見えないが構わない。手を伸ばし、指先で引き寄せる。一冊、二冊……どうにか三冊手に入れた。明るいところで見ても埃まみれで何の本か分からない。ふっと息を吹きかけ、舞い上がった砂埃に咳き込んだとき、背後でくすくすと笑う声がした。
「あ……」
 振り向いた先にいたのは、昨日の女だった。
 やはり汚れの一切ない服を着ている彼女に対し土や埃にまみれた自分が気恥ずかしくなり、ヒダリは急いで立ち上がる。両手で服をほろっても、洗わなければ汚れなど落ちはしない。汚い男だと思っているだろう。這い蹲って拾い物をする、無様な者だと笑ったのかもしれない。ヒダリはそっと目を向ける。
 透けるような肌だった。長い髪は糸のようにぱらぱらとそよぎ、大きな目は少し吊り上がっていて涼しげだ。ダイキの村から来たのですか、と無意識に呟いていた。
「あなたはアカツキの民?」
 彼女の喋る声を初めて聞いた瞬間、心臓を貫かれたかと思った。思わず服の上から掴んだ左胸は絶え間なく鼓動する。こんなに激しくては、彼女に伝わってしまうのではないか。耳が熱い。汗が滲む。乾いた唇でヒダリはやっと声を発した。
「そうです……アカツキの村から来ました」
「お話して。アカツキの村のこと」
 まるで花の蜜に引き寄せられる虫だった。そう、村には花が咲いてて虫がいるよ。ヒダリは答える。胸を掴んだ指がほどけ、片手からは本が落ちた。
「動物は?」
「いないよ……人間だけ」
 浮かんだような足取りで一歩近付く。彼女が下がる。ヒダリはもう一歩進む。また彼女は下がった。頭がぼうっとする。酒でも飲んだかのようだ。
「僕が村に入った日、歓迎してくれた。お酒を飲んだよ」
「他には何があるの?」
 笑顔のままに彼女は問いかけ、ヒダリが近付けば一歩下がる。逃げられている――とは思わなかった。ヒダリの心はむしろ逆で、彼女がいざなう方へとどこまでもついて行きたいと思っている。ふいに甘い香りが漂い、もっと頭が回らなくなった。乾いていた唇は唾液で湿り、今にも口の端から流れ出そうである。
「他には何があるの?」
 同じ質問を繰り返す彼女にヒダリは答えた。――いくつかの棟があるんだ。病人や妊婦は病棟で休んでいて、僕のような異端者が送られた時はまず教育棟で歴史の勉強をする。そうだよ……二〇二九年に起きた大災害のこと、アカツキが最初の異端者だったこと。そうそう、アカツキは予言をするんだ。村にとって役に立つ異端者や物資の在り処が見えるんだ。それをみんなで集まって聞いて、従うんだよ……。ヒダリはふらふらと彼女のあとをつけながら村の話を聞かせた。
「アカツキはどうやって予言するの?」
「それは……」
 分からない。
「アカツキはどうやって予言するの?」
 目が覚めた気分だった。ずきん、と頭が痛む。めまいがし、その場にしゃがみ込んだ。
 むせるような甘い香りが漂い、吐き気がした。さっき食べたものを土の上に吐き出し、ヒダリは呻いた。ぜいぜいと息が上がる。脂汗が滲み出る。そして思い出した。
 ――俺はアカツキを信じている。
 イツキはなぜそんなことを言った?
 欲しい時に都合よく予言される燃料、セメント。そういえばその前にはこれまで村になかったカボチャの芽が生えているという予言も聞いた。当然それはアカツキの言う場所に生えていて、村民たちは喜んで土ごと持ち帰った。秋には収穫できるだろうと大盛り上がりだ。
 疑いだせばきりがない。村民たる異端者たち、彼らは古い時代の技術や知識を守ったがゆえに異端とされて送られたと聞くが、ではダイキはどうか。彼女の村の長、ダイキはAIの知識を重宝されて地下都市に暮らしていたのではないのか。それともAIは政府にとって必要なものだから? そもそも、地上にAIを持ち込んだことが彼が異端者たるゆえんなら、どうやってダイキは地上へ? ――村とは、なんなんだ。
「ヒダリ!」
 イツキの声だった。
「またお話して」
 それは彼女が最後に放った囁きだった。
「何してる、ヒダリ! 大丈夫か!」
「イツキ……さん……」
 あの女――震える指で指した先に、彼女の姿はなかった。
 
 
 
 物資調達先での単独行動のうえ体調不良を起こしたヒダリを介抱したとき、ひどい臭いが漂っていた。喉に刺さるようなその甘い臭いは薬物だとイツキはすぐに分かった。村に帰り着いてだいぶ経ち、日が暮れようとする今も頭が痛いのだ。
「ヒダリはまだ起きないか」
 意識はある。病棟で薬湯を飲ませたが眠ることはできず大汗をかいてうなされている。
「汗で出ればいいが……ひどいもんだな。誰の仕業だと思う、イツキ」
 仲間に小声で問われ、イツキはしばし黙る。証拠はない。だが他に疑いようもない。おそらく仲間たちも同じだろう。重い口を開いた。
「ダイキの村だろうな」
 深いため息が続く。俯く者、髪を掻きむしる者、そして床を強く踏み鳴らした者。
「なんのためにだよ!」
 そこへアカツキが現れる。
「アカツキ! どうして、なんでこれを予言できなかったんだ!」
「……そうだ、そうだよ。俺たちはあんたに言われてあの場所へ行った」
「それがきっかけでこうなった! あの場所に危険があると、それは見えなかったのか!」
 男たちは口々にアカツキを責めた。言い分には一理あるが、手を引かれ歩く老婆に対してきつい物言いだった。
「やめろ、おまえら! これまで何より信頼してきた長老にその態度はなんだ!」
 イツキが一喝し、一旦は静まったもののすぐに「でも」「そうだ」と声が沸く。思わず振り上げた拳を制したのは、アカツキの手だった。
「よか、よか。当然じゃ。わしの千里眼なぞ、とうの昔に死んどるわ」
 その一言で男たちの怒りは爆発した。ばばあ、だましやがって。D地区の連中とつるんでいるのか。何が目的だ、吐け! 掴みかかろうとする男たちとアカツキの間に、それでもイツキは割って入る。
「アカツキ! アカツキ、逃げてください、アカツキ!」
「てめえも仲間か、イツキ!」
「裏切者!」
 背後のアカツキは逃げようとしない。イツキは頬を引っかかれ髪を掴まれ、ついに誰かの拳を食らい体がくの字に曲がった時だった。ガン、と扉が叩き壊された。
「仲間割れか、アカツキの奴隷ども」
 若い男がそこに立っていた。外見はヒダリと同じくらいの二十代に見える。この村の者ではない。男たちは争う手を止め、見慣れないその男を注視する。
「ダイキ……」
 殴られた腹を抑えながらイツキは名を呼んだ。



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現代・超古代・未来の視点でえがく人類滅亡の物語。
三つの物語は繋がっているので、ぜひ三作ともご覧ください。

短篇集「終末考」①特異点 ②愛玩種 ③Z地区


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