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あなたのnoteが売れ続けるかは◯◯感でわかってしまう

村上春樹が好きだった。

まあ、いまは全く読まなくなったけど。



大学生の頃、バイトをしていた。何しろ金がなかったから、稼がないと飯が食えないし国民年金も払えない。

「仕送りは家賃分だけでいいよ。何とかなるから」

そう見栄を切った自分を何度恨んだかわからないが、撤回しないだけの意地はあった。

選んだ、というか流れ着いたパチ屋のバイト。時給が良かったから即「ここで働かせてください」となった。

シフトは当たり前のように週6を言い渡された。大学に行く以外何もすることのない無価値な大学生だった僕は、何の抵抗もなく受け入れた。

初日、配属となったパチスロフロアにいるスタッフは全員ブラジル人だった。田舎から出てきてろくに外国人と接触したことがなかったから戸惑ったが、あっという間に慣れてしまった。一目でパチモンとわかるブランド品で身を固めた、愉快な人たちだった。

バイトは平日は17時から、休日早番は9時からだった。

慌てて出勤するのは性に合わないので、随分余裕を持って近くまで行くことにしていた。そして、途中にあるマックやドトールでメシを食うのがいつものパターンだった。

そこで本を読んでいた。1990年代にスマホはまだない。

読む本や雑誌はその時の気分で変わった。定期的に読んでいた雑誌はSPA!とNumber。毎週欠かさず購入し、隅から隅まで読んでいた。もちろん漫画も読む。ジャンプ、サンデー、マガジン、ヤンジャン。メジャーどころは抑えていた。小説も読んでいた。

そんな日々を2年ほど繰り返していた。いまから振り返っても驚くほど変化のない、淡々とした日々だ。そのころから、社畜として生きる準備をしていたのかも知れない。大学生らしくない生活だ。

そこで、あることに気が付く。

ある周期で、村上春樹を読みたくなるのだ。


手が、村上春樹の書籍に伸びる。

何度読んだかわからない、ボロボロになった文庫本を本棚から引っ張り出してリュックに放り込む。

そして、マックやドトールで読み耽るのだ。

導入もオチも、全てわかっている。新鮮味などどこにもない。

でも、どうしても読みたくなってしまう。

それは、季節の変わり目にやってきた。春と秋だ。

寒さが和らぎ、生命が息を吹き返す季節と、生命がその活動をゆっくりと減速する季節。そんな季節になると、村上春樹を読みたくなるのだ。


「なぜ僕は、春と秋になると村上春樹を読みたくなるのだろう」


その答えがわかったのは、随分後になってからだった。

そして、この体験が、僕が文章を書くことの重心になっている。


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商売に求めるもの、つまり商売の理想とは、永遠に売れ続けることだろう。

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