椅子の写真を見て、思い出したこと・2

・AKARI Dシリーズ(イサム・ノグチ 1963-)
 へんてこりんと言えば、もう1つ。Nちゃんの家には不思議なライトがあった。今回は、そのライトと絵本の話。

 同じ間取りの部屋が並ぶ大規模な公団住宅。
 当たり前のことだけど、住んでいる人はそれぞれ違う暮しをしている。


     *  *  *

 友だちの家は、本だらけ。すでに天井まである本棚には本が並んでいて、廊下の本棚もぎゅうぎゅうだった。
 外国語の本や雑誌もあり、横向きに入れてある。本を横に収納するのを初めて見た。これなら横に書いたタイトルが読みやすい。
 Nちゃんのお父さんは本の仕事をしていた。『うちのパパは、この本を作ってるんだよ』と言われたけれど、開いても、難しそうな本で、よくわからなかった。それから、本を作るってことも、当時の私にはどんな仕事なのか、よくわからなかった。

 子ども用の本棚もある。パイン材でできた本棚。
 下の段はおもちゃが入れられる大きな引き出しがついている。
 この本棚の上段に、児童書、絵本がたくさん並んでいた。この本棚もきっと、ちゃんと探せば、どんな人たちが作ったかわかるはずだ。もしかしたら今でも制作されているかもしれない。

 本棚には、私が片っぱしから読んだ小学校の図書館よりも、読みたい本があった。うちの本棚と違って、明らかに、子どものために、誰かが選んだ棚だった。選書したのはお父さんか、お母さんか?

 妹用にはちいさいおうちや、読み古されたうさこちゃんの絵本。
 読み物は、くまのパディントンや、大きな森の小さな家シリーズなどの海外翻訳もの、中川李枝子さんの『ももいろのきりん』は私も持っていて、お揃いで、嬉しかった。『ノンちゃん雲にのる』ほんとうは、ノンちゃんは天国にいるらしい。ってお父さんが言ってた、と教えてくれた。

 絵本の形をした、深く考えながら読む本もあった。『風が吹くとき』は、あのキノコ雲が出てくるスイッチを手元に置く誰かが今もこの世界にいることに気づいて、眠る前に不安になった。
 そして『ぼくを探しに』もそこで出会った。読むと最初は寂しい気持ちになるが、あとからじわじわと勇気が湧いてくる。えいっと立ち上がらないといけない時に、背中を押してくれる。
 原題は"The Missing Piece" 見回すと、誰もがかけらを探しながら生きていると気づく。この本には、大人になってからも、何度も励まされたし、励ましたい人にそっと渡したこともある。

・ノンちゃん雲に乗る 石井桃子著 中川宗弥絵 福音館書店刊 1951年初版
・風が吹くとき レイモンド・ブリッグス著 小林忠夫訳 篠崎書林 1982年初版
・ぼくを探しに シルヴァスタイン著 倉橋由美子訳 講談社刊 1979年初版



 生まれる前から家に本があふれていた環境のNちゃんにくらべると、私は読むペースが、がつがつしていたと思う。ここでしか読めない本がある、とある時から気づいてから猶更、読むペースが速くなったかもしれない。
 一方Nちゃんときたら、我が家で『なかよし』と出会ってしまい、ものすごい勢いで何かを吸収していた。私が学校から帰るより先にうちに来ていて、マンガを広げていることもしょっちゅうあった。Nちゃんはやがて『りぼん』を買うようになり、毎月交換するようになった。
 そういえば、Nちゃんの家では当初は子どもからマンガを遠ざけていたのかもしれない。いや、お父さんが本の仕事をしていたのなら面白がってくれていたのかも? 駄菓子反対派のお母さんはどうだったのだろう……と今振り返ると複雑な気持ちだ。

 そして、自分の子どものために買った本を、よその子が先に読んでいるというのは親としてどういう気持ちだったのだろう? なんてその時は気づかず、遠慮なくNちゃんの本を借りて読んだ。

    *  *  *

 夕方になると、丸くした竹ひごのようなものに和紙が貼られた提灯のような球体に灯りがつく。照明はイサムノグチのものだろう。無印良品はあったけど、世の中に広がる前。ニトリも、IKEAもない時代だ。
 ライトの光はほんのりとしていて、灯りがつくと違う場所にいるようだった。慌てて本を閉じる。

 『お邪魔しました』と家を出て、すぐに自分の家に着く。
 ちなみにうちの和室は四角い枠の蛍光灯。
 長めの糸電話を作ったら、なんとか通じたかもしれない距離なのに、違う世界だった。

     *  *  *


 それからNちゃんは、隣の市に”図書館”があると教えてくれた。
 それまで図書館は、バスで本を運んでくるものだと思っていた。それがどこから来るか知らなかった。一緒に行こうと誘ってくれて、バスに乗って図書館に通うようになった。図書館になら、子ども同士ででかけてもOKになった。実はサンリオのお店にも寄ったりする悪知恵は、私の提案だったと思う。


 児童書の専門店、クレヨンハウスを教えてくれたのも、Nちゃんの家族だ。
 クレヨンハウスは1976年に開店。最初は表参道のビルの中にあった。小学生の私たちは何かのついでにお母さんに連れて行ってもらった。お店が2階にあったころのことや、ジュースを注文して表参道を眺めたことをわずかに覚えている。お店には、Nちゃんの家にあるような、大人が読んでも楽しめる絵本が並んでいた。


 子どもの頃の環境が大事。と言うけれども、Nちゃんの家から勝手に多くのものを吸収していた。
 もう少し大きくなってから出会う新しい友だちとは、遠慮する気持ちや、距離を置くバランスを意識するようになり、あんなに図々しく家を行き来したり、新しい本を棚から出して先に読んだりすることはなかった。

 この時期に出合ったたくさんの本が、自分のベースになっている。
続く


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