うつのおかあさん-28 人生会議
前回からだいぶ間が空きました。皆さんどうお過ごしでしょうか。
私は昨日の受診でやっと『複雑性PTSD』の診断がおりました。長かった・・・・・・いや本当に、心理テストが多すぎて・・・・・・知能テストもやったし、発達障害のテストもやったし、多くて。
主治医曰く「トラウマは流れる雲に乗せてどこかへやってしまう気持ちでいればいい」らしく、そうして受診後見上げた空は、雲しかない曇天でした。
さて、私は夫と人生会議をしておりました。この先の人生についての会議です。
なぜそんな物が催されたかというと、私が「もうひとり子供が欲しい」と言いだしたからです。
前回の記事を読んでいただければ分かるでしょう。ずっと諦めてきた人生でした。負けてきた人生でした。
幼い頃は毒親に姉妹差別に負けた。
毒親のせいで病気になって負けた。
なんとか仕事に就いて、いじめに負けた。
実家を出て結婚して、夫の両親のモラハラに負けた。
病気に負けた。
会社でもハラスメントに負けた。
病気に負けた。
本当はずっと子供が欲しかった。でも病気のせいで望むことができなかった。そう思っていて、年齢は35歳になった。
自分はもう高齢出産なんだ、と思ったとき「あ、今を逃したら一生悔いを残して生きるのだ」と気付いて、夫に「子供が欲しい」と言った。
そう、私はPMSが酷くてピルをのんでいるのだが、それだって本当はすごく嫌だった。だって、私は子供がほしいのに、ピルをもらいに妊婦さんたちに紛れて待合室に座るのだ。あの心を無にする時間がどれだけ苦しいか!
夫は私の体調と金銭的な面で反対をした。長い長い人生会議を何日もした。そうしてこれから1年の目標を立てた。
・妊娠出産に禁忌の薬の減薬・断薬
・目標金額までの貯金
これをクリアすれば妊娠してもいい。この2つをクリアするまではピルをちゃんとのむ。
そうしてひとつの科を受診するたびに「妊娠希望です」と言う日が始まった。
最初は3か月に1回の産婦人科だった。先生は「精神科でちゃんと必要な分だけ薬を出してくれるならうちは全然OKだよ~」と笑顔で言ってくれた。ピルもいつまでのむかは任せるよ、と。
次はピルをもらいに行った薬局で薬剤師さんに聞いてみた。「1種類が絶対にやめないといけないもの。1種類は妊婦さんで血糖値上がるのは怖いからできる限りやめたい。というか全体的に量が多いから、減らせるだけ減らした方がいい」これは難しかった。その「絶対にやめないといけないもの」は私にとって「のんだら格段に良くなった薬」で、「血糖値を上げる薬」も同様だった。ただ両方とも「あんまり体に良さそうじゃないからいつかやめたいな」と思っていた物なので、これはポジティブに捉えることにする。
1週間後、メインの精神科。昨日のことである。
「もうひとりこどもが欲しいです。ずっと思ってきたことなので躁状態とかではないです。今を逃したらもうだめなので」
と意を決して言った。主治医は「はあ!?」と言った後、パソコンに向かって深く大きく長いため息をひとつ吐いて、更に長考し、
「分かりました。じゃあ減薬していきましょう。でもすごく大変だと思います。本当にすごく大変だと思います」
と言って、とりあえず1錠だけ減らしてみてくれた。反対されなかっただけで嬉しかった。すごく大変なのは分かった。でも今の私にとって、また子供を産めるかもしれないということは、これ以上ない希望だから。
離脱症状も調べてある。何が来ても受け流してみせる。雲に乗せてしまおう。
あなたの妊活はどこから?そんな風邪薬のようなことを聞いたとき、答えは3種類では済まないだろう。何も考えずに授かった人、望んで望んでやっと授かった人。その間のたくさんのパターン。
私の妊活は減薬から。妊娠してもいい体作りから。精神力作りから。
1年後がどうなっているかは、私にもまだ分からない。