うつのおかあさん-29 経過報告
はーいこんにちは。
前回の更新が2/7!? なにやってんだ!
はい、めちゃくちゃ体調不良でした。でした? まだ全然治っていないので「めちゃくちゃ体調不良中です」。治ったら更新しよ! と思ったら治らないままこんなに・・・・・・
粗品さんで笑うことで生きてました。
この記事で出てくる病気や薬の説明は、私がネットで自力で調べたものがほとんどです。症状から導き出される確定病名は人によりますので、体調の悪い方はちゃんと病院を受診してください。
早めの受診、だいじ。
すべては5月から
娘が風邪を引いて、私にも移った。二人で「GWの前でよかったね、病院行っておこうね」と仲良くかかりつけ医へ。二人ともいつもの薬をもらって、その中には私の喘息の吸入薬も。
私は風邪の終わりに咳だけ残って咳喘息になるのが定番だったので、先生はそれを見越して入れてくれていた。
そしてのみ薬が終わって、案の定咳だけが残って、いつもの吸入薬(14日分)を使い続けていた。娘はとっくに治っていた。
14日後、咳が治らないので追加の吸入薬をもらいに行く。これもいつものこと。だいたいいつも28日くらいで治る。
28日後、治らない。なんなら薬の効果がまったく感じられないくらい。
ところでここまで使っていた「いつもの吸入薬」というのは、『ステロイドと長時間作用型β2刺激薬』の吸入薬。素人なので簡単にしか説明できないが、ステロイドで炎症を抑え・β2刺激薬で気管支を拡げて呼吸を楽にしてあげましょう、という薬。喘息ではまず使われる一般的な薬だった。
それが今回効かなくなってしまっているので、同じ作用の、一段階強い吸入薬に変わった。30日分。
その新しい吸入薬はよく効いた。強い薬はやっぱり効くんだな~と感心して、30日後に前の弱い吸入薬に一段階落とし、症状がそのまま消えれば終わりの予定だった。だった、ということはそういうことだ。
なにこれ
強い吸入で咳が治まったから弱い吸入に戻そうか、くらいの頃だったと思う。6月。私は感じたことのない体調不良に襲われていた。
動悸・息切れ・頻脈・毎日夕方から微熱・不眠・謎の体重減少・・・・・・なにこれ?
メンタルからくる体の不調には悔しいが詳しい。それとは違うということだけがなんとなく分かった。だって心がこんなに元気。あと私はメンタルを崩すと不眠ではなく過眠になるタイプのメンヘラだ。
生まれて初めての症状に不安が募るのは仕方がない。というかそれ以上に単純に、体がしんどかった。日に日に悪くなっていくのが手に取るように分かる。つわりの時を超えるペースで落ちていく体重。体はどんどん動かなくなる。動かなくなると筋肉が落ちていく。目に見えてふくらはぎが細くなった。
6月から始った症状に対して「明らかにやばい」という気持ちから、私は週1でかかりつけ医へ通うようになった。だってどんどん悪くなる。
大嫌いな採血を自分からお願いするくらいには追い詰められていた。かかりつけ医も「いつもと違う」は理解してくれていたので、小さなクリニックでできるだけの検査をしてくれた。
第1の診断『バセドウ病』
結果が出るまで1週間かかる採血だった。7000円の採血だった。高い。
結果を待ちながら「こういう検査って、結局いつも『メンタルからですね』みたいな感じで終わる人生なんだよな~」とか振り返っていた。
結果の説明を受ける。
「腎臓肝臓その他諸々健康です。ただこれ、TSHレセプター抗体が少しだけど基準値の上。これが陽性なので『バセドウ病』になります」
・・・・・・なんだっけ、バセドウ病聞いたことある。甲状腺? 触診では引っかからなかった。
この時の私は、原因が分かってよかった~! と純粋に思っていた。そこからが問題だった。
「ただ。本来バセドウ病だと、ここの2つのホルモン値が上がって、ここのホルモン値が下がります。でもそこが全部基準値だから、投薬治療が始められません。様子見としか言えない」
ほう、様子見。様子見? うん? うん分かった。
だんだんと全景が見えてきたのは会計待ちの待合室で。バセドウ病を調べて詳細を知り、なるほど症状が全くその通りだと感心してから今後の展開を予想し、さっき言われた「様子見」は「投薬できるくらいに悪くなるの待ち」とほぼ同意だと、ズン、と心が重くなってからだった。かかりつけ医が言ったのは「投薬治療が必要になったらすぐ対応するからそれまでは安心して!」だったのかもしれないけれど、この時の私にはそう届いてしまった。
メンタルがすり切れていた。
寛解はあるけれど完治はしない。そういう病気を抱えるのも3つ目。ああこれはさすがに。
うつ病になった時にもPTSDが分かった時にも言わなかったけれど、夫に
「こんな不健康な女とは、離婚してもいいよ」
と泣きながら言った。こんな台詞を使う人生になってしまった。
それからが本当の地獄だった。
体調は当たり前に良くならない。どんどん悪くなる。冗談ではなく床を這っている日もあった。2階の寝室までの階段を上がれないのだ。日常生活という言葉で説明できる生活を、全く送れていなかった。明日は確実に今日と同じかそれ以下の生活しか送れない。体調は良くなることはない。だってなんの治療もできていないのだから。
毎日思った。死にたい。毎晩思った。寝たまま死にたい。今日より苦しい明日はほしくない。
呼吸も心臓も苦しい。掠れた声しかだせなくなって、全身の筋肉が落ちて、寝ている時間が伸びていく。こうやって人間は死んでいくのかと思った。地獄だった。人生で一番死を近くに感じていた。
第2の診断『β2刺激薬の副作用』
月が変わり7月。2度目の血液検査をした(バセドウ病の抗体検査は保険の都合上1月に1度しか行えない)。
結果はオールクリア。すべて正常値。とてもきれいな検査結果だった。なんならホルモン値は前回より良くなっている。なんで? じゃあこの体調不良はなに? 私はなにによって希死念慮を抱いているのか。診察室で喜ぶべきその結果を前にして、大きくため息をついて床を見ていた。まだ『様子見』しないといけないのか・・・・・・いや正直もう希死念慮と戦う元気が体にも心にも全く残っていない。
(この頃すでに車で45分の精神科には一人で行けなくなっており、夫が休みを取って送迎してくれていた。精神科サイドとしては「体がそれだけしんどかったらメンタル崩れても仕方ない」となり、体が良くなるのを待つばかりであった)
頭を垂れる私にかかりつけ医が言った。
「もうひとつ気になることがあって、」
「はい・・・・・・」
「今まで使っている喘息の吸入薬にはβ2刺激薬というものが入っていて、気管支を拡げてくれる薬なんだけど、そのβ2刺激薬が刺激する場所が甲状腺のすぐそばなの。で、まれに、まれに、副作用でバセドウ病と似た症状が出ることがあって」
「はい?」
「吸入薬をβ2刺激薬が入っていないものに変えて様子を見てもいいですか」
「????はい」
ここで『β2刺激薬』という初耳の名前を一発で覚えて帰った私を褒めてほしい。β2刺激薬・副作用で検索すると、そこにはバセドウ病とほぼ同じ症状が書かれていた。嘘でしょ・・・・・・という気持ちでいっぱいになりながら次に、使っていた吸入薬の説明を検索する。
すると副作用の一番下『まれに以下の症状があらわれることがあります。症状があらわれた場合は使用をやめて、すぐに医師の診療を受けてください』の欄に、同じくバセドウ病と同じ症状(β2刺激薬の副作用)が書かれていた。
その日は呆然としたまま新しい吸入薬をもらって帰った。夜から薬を切り替えて、2週間の様子見生活が始った。
果たして2週間後の私は、体調が良くなっていた。
本当に少しずつ、4日前と比べたら良くなっていると感じる。くらいの速度で。常にバクバクしていた心臓は静かになり、階段が上れるようになった。体重が減るのも止まった。ただ治りかけていた咳はまた少し出始めた。私の体調不良は何年も使っている薬の『まれに出るやばい副作用』だったらしい。
診察でそれを話し、ようやく謎の体調不良は原因解明と終息に至るのだと言われる・・・・・・と思ったが、そうともいかなかった。
・今までずっと使っていたβ2刺激薬を含む喘息薬が今から使えなくなった(簡単に言うと、弱い薬しか使えなくなった)
・一度抗体が出たので、バセドウ病の検査は今後も定期的に行わなければならない
という2点が私の人生に付与された。
ともあれお疲れ様でした。私の体調はこれからどんどん良くなるのです!
そう思ったよね。
なにこれ 2
新しい吸入薬処方された7月頭。だんだん良くなる体調。それと平行して、心臓が痛かった。
初めて痛みを感じたのは夕方。ぽけ~っとテレビを見ていたら、左胸を刺された。突然長い刃物で刺されたと思ったのだ。刺さって、さらにその奥をぐりぐりほじくられているような、生まれて初めての痛みだった。激痛。
しかし1分ほどで痛みは治まって、なんだったんだろう? 怖いな。と思いながら過ごしていた。
それから2週間後、夜クッションで休んでいたらまた左胸を刺された。前回より痛かった。前から・背中から交互に刺されて、その痛みで息もできなかった。息はしないといけない気がする! と思ったけれどままならない激痛。救急車を呼んだ方がいいのか本気で迷って、迷っているうちにまた消えた。
しかしこの日から毎日、1回30秒~1分程度の、前2回よりも弱い痛みが1日に10回ほど起こるようになった。
まず思ったのが、「最近まで心臓に負荷がかかっていた」という事実。それによって心臓ちょっと弱っちゃったのかな? と。
それなら病院に行かなくても相談できるかも、と思い、他の科の薬をもらうために行ったかかりつけ薬局で、薬剤師さんに尋ねてみた。
「こんな経緯で吸入薬が変わったのと、今心臓が痛いのって関係がありますか? 副作用っていつになったら消えるものですか?」
薬剤師さんはマイナ保険証の記録から『猫田に処方された過去3ヶ月のすべての薬』を調べてくれた。やさしい。そして奥にいる薬剤師さんたちが数分の会議をしてくれて出た結論が、
・β2刺激薬の副作用は日数的にもう消えているはず
・副作用で心臓に負荷がかかっても、薬をやめて副作用が消えれば心臓は元に戻るはず
=別の理由で心臓が痛くなっている可能性が高いから早く病院へ行った方がいい!
全然かかりつけ医離れできない。毎週診察券を出している。受付のお姉さんはもう「いつもの?」と聞いてくる。「や、今日はいつものじゃなくて」と説明して診察を待っていた。
その日は珍しく朝一で受診して、朝の混みあった待合室を感じていた。やっと入った診察室で痛みの経過と薬剤師さんのご意見を話し、即心電図。先生もこれは今までと関係ない心臓だな、と思ったらしい。
心電図の結果は異常なしだった。けれど心臓は確かに痛くなる時があって、痛みが出ている時でないと心電図には現れない。またもや様子見と言うのかと思ったら珍しく悩んでいるかかりつけ医に、私は「もう様子見は無理です」と言った。
「2ヶ月間ずっと様子見で、どんどん悪くなる時もあって、物凄く辛かったんです。自分が死ぬ病気じゃないと分かっていても、もう少し『様子見』が長かったら私は自殺してたと思います。もう無理です、すみません、怖いので○○病院の紹介状を書いてほしいです」
それはずっと溜め込んで言えなかった私の心の症状だった。
先生は私がうつ病だということも知っている。精神科の薬をたくさん飲んで子供を育てていることを知っている。だから多分、本当に死んでしまうと思ったのかもしれない。すぐに「わかった。今からすぐ書くから待ってて」と言ってその場で書き始めてくれた。
いつもニコニコ見ている看護師さんたちが慌ただしく動く。
看護師「いつ行く? 予約いつで取ろうか?」(紹介状持ちでも予約制)
先生 「今日でいいでしょ、今から行けるよね」
猫田 「あ、じゃあ今から行きます!」
看護師「すぐ行く、で電話するね!」
市立病院には循環器内科がないので(田舎)、私の希望通り隣の市の大きな総合病院へ行くことになった。そこでやっと待合室へ戻って、私が来たときよりずっと混んでいることに気づいた。私の診察が長くてすみません、と心で謝りながら頭を低くして椅子に座る。待っているおじさんがずっとイライラして指をトントン脚をドンドンしていた。
次にそのおじさんが呼ばれて、先生に怒鳴っていた。先生ごめんね、と思ったが先生は超スルーして診察していた。
10分くらいで紹介状の入った封筒が私に手渡され、
「1人で行く? 自分で運転していくの? 本当に気をつけてね!」
そう声を掛けられて気合いを入れた私は、封筒を握りしめて大病院へと向かうのであった・・・・・・!!
次回 『循環器内科を受診するときは自分で運転しちゃだめ!』